第15話 捕らわれた叔父を捜して
マリーが青ざめて立ちすくむ。そんな彼女にカリンは優しく微笑んだ
「心配しなくても大丈夫。叔父様には毛ほどの傷さえつけさせずにあなたの元に送り届けてあげるわ」
「っ!夫の、スチュワートの居場所をご存知なのですか!」
「ええ、見当はつけてあるの」
「で、では、私も一緒に…」
「駄目よ?あなたには、分かっているはずよ?」
ひゅっとマリーの喉の奥が鳴った。
ビースター・テイルに赴任中のイシュカ大使が拐われた。しかも、自国から使節がやって来て、国賓として王城内に招かれている間にである。
二国が同盟を結ぶための模索をしている最中、そんなことを大っぴらに出来るはずもない。大使夫人であるマリーが表だって動いてはまずい。
だからこそ、自分が動くのだ。
魔法使いとしてのカリンが―。
それは只人である、自分が足を踏み入れていいような世界ではない。
マリーは糸の切れた人形のようにストンとソファに腰を落とした。
夫へと繋がる、捜索の道が示されたことは本当に嬉しい。けれど、その捜索に自分は加わる資格がないのだ。
「では…。では、これだけはお約束して下さいませ。決して、無理はなさいませんよう。
仮に夫が無事に戻ったとしても、カリン様とフラウ様に何かあれば、私は自分が許せません」
そう真摯に告げる。その顔に偽りなどない。
彼女は心から、カリン達の心配をしてくれているのだ。
そう思うと、嬉しくも切なかった。
「ええ。もちろん、そのつもりよ。あなたは大使館で私達の無事を祈っていてちょうだい」
「はい…、はい。どうか、よろしくお願いいたします」
マリーは額がテーブルの上につくくらい、深く上体を折って頭を下げた。
マリーが退室して、再び、室内は二人きりとなった。
それまで口を挟まなかったフラウが隣に座るカリンを見遣る。
「マリーにはああ言ったが、あてはあるのか?」
カリンはすっかり冷めてしまった紅茶を口に含んだ。
マリーが入室してから、部屋の中は人払いされており、新しく入れ替えてくれるものはない。けれど、冷めた紅茶でも十分に喉は潤う。
部屋付きの侍女はすぐ側に控えているが、内密の話をするという時に人を呼ぶべきではない。
「大使館の敷地内で拐われたのならともかく、王城を出てから拐われたのよ。
街の中のことは街に詳しい人間に聞くのが一番でしょう?」
そう言って、カリンはにっこりと微笑んだ。
フラウは慣れているが、知らない人間が見たら、ぞっとするような凶悪な笑みだった。
微笑んでいるのに目が全く笑っていない。
カリンは怒っていた。それこそ、昨夜の凶行を犯した犯人に対する以上にだ。
叔父とマリーの二人は、数少ないカリン達の理解者であった。
時として、血の繋がりこそが厄介なのが王族である。カリンを魔法使いとして忌む訳でもなく、フラウを王家の駒として見る訳でもない。
彼らはいつだって二人を、親しい身内として見てくれた。それがどんなに嬉しいことであるか、彼らはあまり知らない。
好かれているとは思ってくれているだろう。でも、そんな言葉では足りないのだ。
「私達の大切な人を悲しませたら、どうなるか教えてあげなくてはね」
うっすらと微笑む唇から、クスクスと小さな笑い声が漏れる。
フラウは、そんなカリンの様子に背筋が寒くなった。
(やれやれ、他人事とは言え、犯人は死んだほうがマシって目に合わされるんだろうな。まあ、私だって手加減してやる気は毛頭ないが)
フラウとて怒っているのだ。本当はすぐにでも飛び出していきたいくらいに。
けれど、初めてビースター・テイルを訪れた自分に何が出来ると言うのだ。
闇雲に探し回って見つけ出せるはずもない。
そんなことくらい、分かっている。
私だって馬鹿ではないのだ。カリンには考えなしとか脳筋とか言って小馬鹿にされるが、考える頭はあるのだ。
そう、カリンに任せておけば、物事は大抵うまくいく。そう、確信しているのだ。
「宰相閣下に外出許可を?」
ヴェドが怪訝そうに片眉をつり上げた。能面のように表情があまり変わらない彼には珍しく、表情が動いた。
「だって、城に閉じ込められてから結構経つでしょう?
暗殺者も捕らえたことだし、少しくらい自由にしてもよくないかしら?」
「確かに捕らえはしましたが、まだ、何一つ分かっていないのですよ?
誰から命じられたのか、誰が首謀者なのかも一切、分かっていないのです。少しばかり、時期尚早ではないでしょうか?」
「あら?では、私達は取り調べが終わるまでここに閉じ込められていなければならないのかしら?
相変わらず、陛下からは何の音沙汰もありませんし、それまで籠の鳥になっていろと?」
「…それは自分には分かりかねます」
カリン達が王城を訪れたのは、物見遊山のためではない。
一国の代表、使節として訪れているのだ。
「もはやお伝えすべきことはお伝えいたしました。
私達はビースター・テイル側からの回答を待つ間、国賓として遇して下さるとおっしゃるので、こうしてお待ちしているのですけれど、物事には限度というものがありますわ」
そうして片手を頬に当て、少しばかり首を傾ける。
「…ジグモンド様は何をしてらっしゃるのかしら?
頼りにしておりましたのに」
暗に頼りにならないと告げる。
ヴェドの頬が、はっきりと細かく震えた。敬愛する上司を悪く言われたのだ。気分を害したのだろう。
「許可されるかどうかは分かりませんが、一応、報告いたします」
「そうしてちょうだい。王城の生誕祭の宴にも出れなかったのだもの。
招かれざる客人は訪れることが出来たと言うのに、ね」
ヒクリと、ヴェドの頬がさらに震える。
「少しくらい、羽目をはずしてもいいわよね?」
カリンがソファから相手を見上げる。
「あなたもそう思うでしょう?」
カリンの問いには答えず、
「…失礼します」
そう言って、ヴェドは踵を返した。
「お前な、あまり苛めてやるなよ。叔父上が拐われたのは、ヴェドの責任じゃないだろう?」
「彼個人にはね。けど、責任のあるなしでは全くないとは言い切れないわ。
こと、ここに至ってなお、結論を先延ばしにしている陛下を御せないビースター・テイルの宰相閣下の小飼なのだから」
「あー。まあな」
フラウがガシガシと頭を指でかいた。
「それに王城のなかも安全ではないと分かったのだから、外に出たところで変わりはないでしょう」
逆に大物が釣れるかもしれなくてよ?と、人の悪い笑みを浮かべる。
「お前がエサの役割か」
「あなたでもよくってよ?」
「ふん。私には悠長に魚がかかるのを待つ趣味はない」
「完全に同意。私も待つのは得意じゃないの。獲物は自分から狩らなくては、狩とは言えないでしょう?」
魔法使いは、常に冷静沈着、座して待つとは誰が言ったのだろうか。
少なくとも、カリンはその手のタイプには当てはまらなかった。
「せっかくの生誕祭ですもの。派手に花火を打ち上げましょうよ」
生誕祭当日の夜。ビースター・テイルの王都グライダーでは、花火が打ち上げられる予定である。
昔は花火を打ち上げる風習はなかったそうだ。これはイシュカからの輸入品である。
花火の製作には繊細な技術を必要とされ、何事にも大雑把な獣人は花火作りには向かないらしい。
もちろん、獣人にも向き不向きがあり、繊細な彫刻や工芸品を作れる者もいる。
毛糸を使った毛織物や絨毯など、ビースター・テイル独特の伝統や文化には舌を巻くこともある。
ただ、イシュカにおいて、新年のパレードや国王の誕生日などの国をあげての祝祭には花火がよく打ち上げられる。
それを目撃したビースター・テイル側の商人が持ち帰り、タイガ国王に献上したのが、生誕祭における花火の始まりなのだそうだ。
「イシュカからビースター・テイルへの最も派手な贈り物にしましょうよ」
「ふふ。それはいいな。あのチビッ子もびっくりして飛び上がるくらいがいいな」
謁見の日から一度も会おうとはしない、現国王に渇を入れるにはちょうどいい頃合いだろう。
「楽しみだな」
二人してほくそ笑んだ。
自らの王城の中で自身を驚愕させる悪巧みが計画されていようとは露知らず、ビースター・テイルの少年王は王城の一室で宰相のジグモンドと対面していた。
「そろそろご決断を。すでに十日以上過ぎているのですぞ。
使者をこのまま、王城に閉じ込めておいていいはずがないでしょう?」
「あぁ、うむ」
歴戦の勇者ならぬ、海千山千の政治家に詰め寄られ、王とは言え、いまだに若輩者。
太刀打ち出来ないのを、援護するのは叔父であるゾリス卿である。
「あ、いや。お待ちを。ことはイシュカとの同盟だけに限りません。
あのタイガ陛下の孫を自称する小娘の処遇をどのようにするのかが先決でしょう」
ちっとジグモンドが内心、舌打ちする。自身に対し、長机を挟んだ対面にゾリス卿が陣取っている。
その斜め向かい、長机の上座に陛下が座す。そして、さらに少し離れて侍従長が控えていた。
少年王はいまだに発展途上。良くも悪くも周りにいる者の助けがなくては国王の務めは果たせそうにない。
内政に関わることなら、ジグモンドに分がある。だが、国防に関することは外務大臣であるゾリス卿に配分があがる。
元々、血の繋がった叔父であるゾリスを頼りとする王だ。彼の進言がまず、通される。
しかし、今回に限ってはそれは断固阻止しなければならない。
悠長に構えていては国の存続も危ういのだ。それくらい魔人の襲来は怖れるべき事柄なのだ。
だが、それをこの二人は知ろうともしない。
二人とも魔人襲来から、大分、時が経ってから生まれた。
当時のことは聞き伝えられたのみで、歴史としては知っているが、それがどうした?と言う感覚なのだろう。あまり危機感がない。
恐怖や悲しみがずっと続いていくのも好ましくないが、魔人の襲来は災害に等しい。それもとびっきり大きな。
地震が起きれば、家屋が損害を受ける時もある。雨が降り続き、河川が氾濫すれば、家や畑が押し流される。
けれど、いずれ家は新しく建て替えられるし、畑の作物も再び芽吹くだろう。
しかし、魔人の襲来は人そのものに襲いかかってくる。
その姿を見た者は死ぬか、それとも連れさらわれるか、二つに一つ。
「魔人を侮ってはなりません。早急に同盟を結び、備えませんと、かのオシリスの二の舞となりますぞ」
かつて海辺にあった大国オシリス―、そこは魔人の襲来をいの一番に受けた国だ。それがたった一体の魔人によって、あっという間に滅ぼされたのだ。
「分かっておる。しかし、叔父上の言い分も無視できぬのだ。
…あれは本当にお祖父様の孫なのか?」
不安そうにこちらを見遣る。
「さて、真偽のほどは分かりかねますが、イシュカの国使として派遣されるくらいのお方が全くの嘘偽りを申すなどあり得ない話ですからな」
「そうか…。そうよな」
血筋から言ったら、二人とも直系のお血筋である。しかし、下級貴族の母親を持つ陛下とイシュカの姫君を祖母に持つフラウでは血統という点では天と地ほどの差があるのも、また事実である。
「真偽のほどは同盟を結んでから改めてイシュカ国王陛下にお伺いをたてればよろしいでしょう。
まずは同盟締結を急がれるべきです」
「そうは言うが、そも同盟を結んでどうすると言うのですか?
我が国で実際に被害を蒙った訳でもなし、いなくなったのは魔法使いばかり。
イシュカ側に損失があるのは明白だが、魔法使い自体、数える程しかいない我が国にこの先どんな損害があると言うのでしょう?」
また、これだ。こうなると堂々巡りである。実際の被害がないのに動けない。
同盟の利を述べよと、話は戻るのだ。そんな場合ではないと言うのに。
「我が国とイシュカは、長らく同盟を結んだ関係であります。その関係を今一度見直して、魔人の襲来に備えることは国の利にかなっているでしょう」
「だから、魔人の襲来など…」
ここでジグモンドが自身の前にある机に拳を叩きつけた。
「魔人が来るか来ないかを論議しているのではない!もしもの時に備えて何をすべきかを論じているのだ!」
ダンッと高い音が室内に響いた。
と、ノックもなしに部屋の外に控えていた近衛兵数名が剣のつかに手を添えて、入室してきた。
「何事ですか!大きな音が聞こえてきましたが?」
「何でもない。下がっておれ」
ジグモンドが告げると、近衛兵はチラと黙視でゾリス卿に確認する。近衛隊はゾリス卿の小飼がほとんどだ。
ゾリス卿が頷いた。
「では、何かあればお呼びください」
そうして、室内は元通り四人きりとなった。
「…宰相ともあろうお方が、いささか乱暴が過ぎるのではありませんか?」
ゾリス卿が嫌みったらしく言う。
「申し訳ありません。陛下」
ジグモンドは立って少年王に謝罪する。
「う、うむ。そちが激昂するなど初めてみたぞ。
…驚いた」
しかし、陛下への非礼は効を奏したようだ。
冷静沈着を絵にかいたような宰相が激昂する姿を見て、事の重大さに気付かされたようだ。
(この方は良くも悪くも素直すぎるのだ。幼さ故とは言え、まだ、見込みはある。周りがきちんと導いて差し上げれば…)
だが、それが一番難しいのだ。
ジグモンドは対面を見る。
そこには、怠惰な見かけとは裏腹に腹黒なゾリス卿がうっすらと微笑んでいた。
頭の痛い会談が終わり、王城内の自室に戻れば、さらに頭の痛い案件が控えていた。
「街に出たいだと?」
やっと一息つけるかと思えば、何なのだ一体!
「はい。いつまで閉じ込めておく気なのかと、そうおっしゃっておられました」
「はあっ。襲撃を受けたばかりだと言うのに元気なことだ」
「実際にはあっさりと撃退しておられましたが」
「そのことだ。フラウ殿下といい、イシュカの姫と言うのは強者ばかりなのか」
伝説の聖女エイラをジグモンドは垣間見たに過ぎない。彼女もまた、女神のように神々しいまでに美しく、そして、強かった。
「その…。イシュカ大使夫人がご機嫌伺いに訪れていらした後に言い出されたことなので、もしや大使館で何事かあったのでは?」
「…そんな話は聞いておらんぞ?」
ジグモンドがソファから体を起こした。
大使館の周辺にもジグモンドは己の私兵を配置してあった。
「気になるな。すぐに確認させろ」
「はっ。それで姫君方のご要望に対して、どのようにお答えいたしましょう?」
「好きにさせるがいい。あれらに敵う者などそうおらんだろう」
そう言うと、ソファに深く倒れ込む。
「は?はあ…」
いつにない主の投げやりな態度と返答にヴェドが目を丸くする。
ジグモンドがさっと手を振って、退出を促した。
誰もいなくなった私室でジグモンドが一人ごちる。
「わしとて、もういい年なのだ。若い者が好き勝手すると言うなら、させるがいいさ。
…陛下にとっても、あれらは良い起爆剤になろうよ」
カリンとフラウの二人は街に出た。もちろん、護衛付きである。
「お姫さん方、あまり羽目をはずさないで下さいよ」
アクサがそう言うと、
「そうですよ!目立つのは禁物ですからね!」
ティトがそれに追随する。
ヴェドに命じられ、護衛として付いていくことになった二人は不平たらたらだ。
「うるさい奴らだ。嫌なら、付いてこなければいいだろうに」
「そう言う訳にはいきませんよ!ただでさえ、生誕祭で人出が多いのに。
土地勘もないお二人を野放しには出来ません!」
何やら、他国の姫に対して扱いがぞんざいなのは思い違いではないだろう。
二人とも一国の姫や大貴族のご令嬢にしては規格外なのであまり気にしていないが、他のご令嬢に同じ態度をとれば懲罰ものである。
「キュオン!」
そして、もう一人ならぬ、もう一匹。
王城の中庭で見つけた(捕獲された)仔犬オリオンである。略してオリーと呼ばれている。
結局、仔犬の持ち主は判明しなかった。どこかの貴族が連れてきたわけでも、軍用犬の仔でもない。
おおかた荷物にでも紛れて、どこからか入り込んできたのだろうと判断された。
「キュウ!キュオン!」
先行して、尻尾をブンブンと振っている。
「それで?どこに行きたいんですかい?見世物小屋にでも案内しますか?」
王都では広場にてサーカスばりの見世物が幾つか催されているらしい。
「私が行きたいのは…」
場所を告げると、アクサとティトが声を揃えて、絶叫した。
「「は?はああああああ!!」」
四人と一匹は無事に目的地に着いた。城からさほど遠くない場所である。
それから受付で一人の人物を呼び出してもらった。
受付にいた彼は、王城の警備隊と貴族のご令嬢という組み合わせに目を白黒させていた。
二組とも、こちらとは本来、縁も縁もないからだ。
「おい…。おい、おい、おい。これは一体全体、どういう訳だ?」
訪れたのは街の警備隊の詰所で、現れたのは一人の男。
黒い耳としっぽを持った犬系獣人の警備隊の一員で、小隊長のエンブレムを上着に縫い付けている。
顔見知りと言う訳でもない。たった一度だけ、カリンとフラウに会ったことがあるだけの縁しかない。
「ごきげんよう。街のなかのことは、その街のプロに聞くのが一番早いわ。
そこで、あなたにお願いしたいことがあるの。もちろん、聞いて下さるでしょう?」
引き受けることが前提のような、カリンの言い草に男が呆けたように、
「は?」
と、言って硬直する。
「キュオン!」
そんな男の足元で、オリーが嬉しそうにしっぽを振っていた。
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