第13話 捕らわれた暗殺者の末路

気付かれぬように窓から王城の庭に面したテラスへと出た二人は、馴れた身のこなしで二階から下へと降りた。

カリンは魔法で風を使って、フラウは文字通り飛び降りたのだが、一切、ダメージを感じていない様子だ。

元々、人の目に触れにくい居室を与えられていたため、二人の行動を咎める者は皆無だった。

「こっちよ」

カリンは自身が張り巡らせた魔力の糸を正確に感じ取って、目指す場所へと進む。

一階から王城内へと再び入り込み、人気のない廊下を歩く。

警備隊が二人一組となって王城の中を巡回しているのだが、すれ違う前に二人はさっと姿を隠し、彼らの監視の目から再三逃れた。

「余所事だけど、こんなにも監視の目が緩くて、よくやってられるわねえ」

イシュカであったなら、とうの昔に捕縛されていることだろう。

「全体的に警備がザルだな。暗殺なんて警戒する必要もないんだろう」

なにせ、立国の雄であるタイガの名声が国中に轟いているらしいからな、とフラウがそう嘯く。

「でも、今の陛下をこころよく思わない連中がいるらしいじゃないの。大丈夫なのかしら?」

「こんな時まで他人の心配をしてどうする?暗殺者の狙いは私達なんだぞ?」

「まあ、ね」

全くと、フラウが大袈裟なため息をついた。

そんなに心配する必要ないのにと、カリンは内心で一人ごちる。

獲物はもはや罠にかかり、身動き一つ取れない状態だ。魔法の網を張った本人だからこそ分かる。

それをわざわざ、説明する気はおきなかった。直に目にするのだから、説明など不要だろう。


二人が警備隊の目を掻い潜り、目的の場所へと辿り着いた。

そこは王城の隅にあって、下働きの女性達の控え室の一つらしかった。

彼女らのほとんど全員が、現在、大広間で催されている宴の裏方仕事に駆り出されている。

だから、誰もいないはずだった。

けれど、カリンは奇妙な胸騒ぎを覚え、目の前の扉を開けることを躊躇した。

「どうしたんだ?」

動きを止めたカリンに対し、訝しげにフラウが声を掛けた。

「ええ…。何だか嫌な予感がするのよ」

「ここまで来てか?この中に潜り込んだ奴がいるんだろう?」

「そのはずよ」

王城に張り巡らせた網にはある一定の規則性を持たせてある。

その中の一つに…。

「…血の臭いがする」

鼻をうごめかし、フラウがカリンの前へと割割って入った。

カリンには臭いは感じられなかった。わずかながらにも獣人の血を引くフラウだからこそだろう。


「開けるぞ」

そっと扉を開いた。

「っ!」

むせかえるような生臭い血の香りがむっと漂ってきた。

部屋に明かりはついていない。かすかに月明かりが窓から差し込むのみだ。そんな薄暗い闇の中に幾つもの人の体が横たわっていた。

複数人ではない。一人の人間の体が幾つもの塊へと切断され、放り出されていたのだ。

腕や脚、そして、胴体。そうした塊の中央に女性の頭部があった。

頭頂で一つに纏めてあった髪は所々ほどけて、床を這っている。

まだうら若い、その顔には苦痛と絶望、そして、未だに乾かぬ涙の跡があった。

「ぐぅっ」

フラウの口から、思わずだろう。くぐもった声が漏れる。


カリンは、目前のあまりの惨状を目の当たりにし、手の指先から冷えていくのを感じた。

それは名前も知らない女性を助けられなかったことへの自身への怒りであり、残酷な所業を行った者への怒りからくるものだった。


「よくも…、こんなむごい真似を!」

フラウが天井へと向かって叫んだ。

そこには天井以外、何もないはずだった。

しかし、今は違う。部屋の天井付近に、まるでクモの巣にかかったかのように宙吊りとなった男が一人いた。

男の体には魔法の網が幾重にも巻き付き、身動きが取れない状態だった。

「まさか、獲物の方からこちらにやって来るとはな」

そう言って、低く、笑った。

犬系の獣人の男で警備隊の服を着ている。男がそれをどうやって手にしたのかは想像に難くない。

「負け惜しみは大概にしろ!そんな有り様で、一体何が出来るって言うんだ!」

男は答えない。ただ、うっすらと唇で笑むのみだ。


「…どうして?どうして、この女の人を殺したの?殺す必要はなかったはずよ?」

カリンが問う。警備隊ならいざ知らず、下働きの女性に何が出来ると言うのだ。

殺す必要も、ましてや死体をこのように辱しめる必要などなかったはずだ。

「その女がお前達の部屋への案内を断ったからだ。たかだか下働きの身の上で愚かな忠誠心を発揮することもあるまいに」

カリンには彼女の顔に見覚えがあった。とは言っても、話をしたことなど一度もない。

与えられている居室を清めるために何人かでやって来る下働きの一人だ。

けれど、予め、ジグムンドによって優秀な人材が選別されていたのだろう。無駄話一つせず、黙々と真面目に自分の仕事をこなしていた。

カリンのような高貴な身の上であれば、身の回りの世話を直後手伝う侍女ならまだしも、下働きの女性の名前など知る由もなかった。


きっと自分達の世話をするために宴の手伝いに駆り出されることなく、自室に控えていたのだろう。

それが裏目に出た。

何故、案内しなかったのか。そうしたからと言って、咎めたりなどしなかったのに。

カリンは唇をきつく噛み締める。

物言わぬ姿となった女性は、白い耳と尾を持った猫の獣人だった。白い、ほわほわとした耳が自身の血で真っ赤に濡れていた。


カリンの体の中心で、魔力が渦を巻いた。それはまるで氷のように冷たく、研ぎ澄まされた魔力の奔流であった。


ジャッカルのスカル、それが宙吊りとなっている暗殺者の名前だ。

彼が隠密行動をとれるのには二つの訳がある。一つは自分で身につけた暗殺者としてのスキルである。

そしてもう一つは、潜在的にもって生まれた魔法の力ゆえだ。

ピキッと音を立てて、カリンの魔法の網が消失した。

床の血だまりの上に男が音もなく、降り立った。

「やれやれ。少々、手こずりましたよ」

「お前っ、魔法使いか!」

カリンが腰に提げた剣を抜き放つ。

「はぐれのね」

はぐれとは魔法使いの塔以外で魔法を学んだ者を総称してそう言う。

イシュカ王国においては魔法使いは半ば強制的に魔法の塔へと送られるが、他国にはそうした制約はない。魔力を持つ者自体が珍しいからだ。

それでも独学で魔法の力を磨く者はいる。

「俺の祖母がはぐれで、その血を引いていたのでね」

これまで感謝したことなどなかったが、感謝しないとな。まあ、随分と前に殺してしまったから、感謝するもないがと言って笑った。

「自分の祖母まで…」

男は殺人狂のようだ。でなければ、こんな酷い殺し方はするまい。

怒りで頬が赤く染まった。

そんなカリンを見て男が嬉しそうに笑った。

「ああ。話には聞いたいたけれど、君達は本当に美しいね。仕事はいつだって楽しいが、獲物が若くて美しい時は格別だ」

恍惚とした表情で語る。

「このゲス野郎が!」

フラウが男へと斬りかかろうと足を踏み出すのを、今度はカリンが割って入った。

「ごめんね。ここは私に譲ってちょうだい」

「はん?珍しいな。お前がそう言うなんて」

二人が血生臭い現場に遭遇したのは、これが初めてではない。それこそ、幼い時分から数え切れないくらいあった。

カリンは魔法使いでその上、王女であったから、政敵となる貴族から刺客が送られてきたし、フラウは侯爵令嬢であったが親元から引き離され、秘密を抱え込んでいたのでそれを知って利用しようとする輩から狙われた。


自分の身を守るために、そして、唯一無二の絆を結んだ少女の身を守るために強くなる必要があった。

「私はね。懸命に生きている人を踏みにじる相手に容赦する気はこれっぽっちもないの」

カリンの身から膨大な魔力が放出された。

「なっ!」

男が思わず、後退った。

同じ魔法使いだからこそ、余計に感じとることが出来るのだろう。

男は自分との格の違いを見せつけられ、逃げる手段を探した。

「おっと。逃げるなよ?」

いつの間に移動したのか、スカルの背後にフラウが立っていた。

退路を絶たれたスカルはぎりっと歯ぎしりする。


「何事ですか!」

突然、扉が開かれ警備隊の連中が押し入って来た。

「うわっ!」

彼らもまた、部屋の中の惨状に驚く。

「血の臭いを嗅ぎとって来てみれば、こんな…」

獣人は普通の人間より、嗅覚が優れている。王城の端とは言え、これほどの血だまりだ。嗅ぎとった者がいたのだろう。

カリンは集中をと切らせることはなかったが、全くもって余計な乱入に多少の気を散らしてしまった。

狡猾なスカルはそれを見逃さなかった。彼は飛び込んで来た警備隊の一人に飛び付いた。

「ようし、動くなよ!こいつがどうなってもいいのか?」

「ひっ!」

まだ、若い兵士のようだ。部屋に入って来て、悲鳴を上げた男だ。

スカルは隠し持っていた短剣を男の首筋へと当てる。

「道を開けろ!聞こえないのか!」

「…聞こえているわよ?でも、それに従う義理はないわ」

「お、お嬢様?」

年嵩の警備隊員はカリンの素性を知らないようだ。宴に招かれた貴族の娘かなにかと思っているのだろう。

「無様に敵の手に落ちた兵士にかける温情などありません。好きにすればいい」

「あ、ああああ」

若い兵士がガクガクと膝から震え始める。

「俺が本気でないと思っているのか?」

スカルが短剣を強く押し当てる。首筋は細かい毛細血管が多数詰まっていて、ほんの少し切りつけただけで血が吹き出した。

「止せっ!」

年嵩の兵士がカリンの横に立ち、

「お嬢様、申し訳ありませんが、ここは我らがおさめます。どうぞ、従って下さい」

そう言って退出を促す。

「嫌よ」

カリンは人質となった兵士もろともに魔力を叩きつけた。

「があっ!」

スカルが血の塊を吐いた。言ってみれば、巨大な岩をスカルへと叩きつけたようなものだ。胸部のあばら骨が砕け、肺を刺したかしたのだろう。

若い兵士は白眼を向いて、床の上に気絶している。こちらへは多少の力加減をしてある。全くのゼロではないが。

「…まだよ」

カマイタチのような風の刃がスカルの全身を切り裂いていく。

「ぎ、ぎぃやああああ!」

「なっ、何がおこっているんだ!」

魔法使いそのものが珍しいビースター・テイルである。

カリンの魔法だと分からないようだ。

暫くしてから、カリンは魔法の攻撃を止めた。部屋の中には、鯰のように切られた男の体が横たわっていた。

むろん、殺してなどいない。貴重な生き証人である。殺す一歩手前だ。


そこへ、ドヤドヤとした靴音を響かせ、多数の警備隊が押し寄せてきた。さすがにこの騒ぎに大勢が気付いたようだ。

「カーリーナ様っ!」

必死の形相で駆けつけたのはヴェドだった。

「あら?遅かったわね。もう、終わったわよ」

「…!」

中の惨状に一瞬だけ動きを止める。

「ご無事で何よりです。が、勝手な行動は謹んで頂きたい!」

ジグムンドが推すだけのことはあると、カリンは妙に納得する。

「守ってもらうばかりなんて嫌なの。自分の敵は自分で排除いたします」

そう告げるとヴェドは心底嫌そうに、

「ならば、事前に私にお知らせ下さい。ご一緒いたします」

と、申し出た。

その申し出に対し、カリンが笑う。

その笑い声は心底楽しげな笑い声で、こんな時に!と、フラウ以外の警備隊員をぞっとさせたことを彼女ら二人はどちらも気づきもしなかった。










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