第10話 迫り来る魔の手
訓練場でのびのびと?訓練し終わったフラウがカリン達のいるテラスへとやって来た。
「すまないが、冷たいお茶を頼む」
訓練後だと言うのに、たいして汗もかいておらず、涼しい顔をしている。
「は、はい」
侍女の一人が頬を染めながら、冷やしてあるポットから冷たいお茶を注いだ。
他国の王城の侍女までろう落するとは大した人気ぶりだこと、とカリンは半眼となって従姉妹を眺める。
「随分と余裕のある表情だけれど、彼は相手にならないのかしら?」
「いや?あいつはなかなか強いぞ?」
あいつとはヴェドのことだ。ここしばらく、フラウの剣の相手をしてくれている。
訓練、もとい模擬戦に近かったが、ヴェドはこれまで大きな怪我もなくフラウの相手をこなしているようだ。
「それで?手加減は覚えたの?」
「うーん。それはまだ駄目だな。相手の力量に合わせるというのは、なかなか難しいな」
彼女が格下の相手に合わせられないのは、フラウの指導役にその理由があった。
彼女の剣の師匠は、既に引退した王国騎士団の前将軍で、生前のカイウス陛下の右腕と称されたほどの剣士だった。
どれほど勇猛果敢な人物なのだろうかと想像され易いが、彼は将軍職という要職にありながら、生来、穏やかな人柄であった。
しかも、人並み以上の教養もあり、カイウスから全幅の信頼を受け、全てを承知の上でフラウの剣の師匠となった。
本来であれば、やんごとない身分の姫として、かしずかれるはずのフラウが周囲から隠され、家族からも引き離されたことを不憫に思い、ことさら親身に面倒をみていた。
フラウもまた、剣士としての才能に溢れていたため、彼から付きっきりで剣の手解きを受け、めきめきと上達を遂げた。
このようにして、最高の師を得て最高の環境のなかで、フラウはイシュカ最強の剣士として成長を遂げた。
超一流の手解きを受けたのは行幸であったが、いわゆる、普通の剣が振れないという弊害を引き起こした。
もう一つ、計算になかったのは、師匠である前将軍が無類のフェミニストで女性から圧倒的な支持を受けていた所まで、この弟子は引き継いでしまったことだ。
と、ここで侍女から冷たいお茶の入ったグラスを手渡される。
フラウがグラスを傾け、中身を飲み干した。
「ああ。ありがとう。美味だな」
そう言って、ニコリと極上の笑みを侍女へと投げ掛けた。
本人は全く、何ら思惑や計算など働かせていない。無意識である。
侍女がふうっとふらついた。
「おい。大丈夫か?」
「は、はい。ただの立ち眩みです。お見苦しい所をお見せいたしました」
すぐに姿勢を正し、謝罪する。流石に王城に勤める精鋭だけのことはある。
「あら、まあ。ここはいいから、奥に下がりなさいな」
リリカが侍女へと命じた。
「はい。申し訳ありません」
フラウの極上スマイルに殺られた?侍女が下がると代わりに別の侍女がやって来た。古参の侍女らしく、何事にも動じないであろう年齢だ。
まあ、若い娘には毒かも知れないわね。
カリンはそっと、年輩の侍女を寄越した侍女頭の采配に感謝する。
そうこうしているうちに、ヴェドがやって来た。訓練着から着替えて、さっぱりしてるのに全体的にヨレヨレだった。
「あ、隊長!」
ヴェドに気付いたティトが、声を掛ける。
「…ああ。交代するから、お前は詰所に戻っていいぞ」
「はい。では、皆さま方、失礼致します」
ティトが元気よく挨拶する。
「ああ。またな」
フラウが軽く頷いた。
次にヴェドを見てこう言った。
「おい、ヴェド。お前、ヨレヨレじゃないか。体力がないんじゃないか?」
「…鍛練を怠ってなどおりません」
あんたの体力が底なしなんだ!そう、顔に書いてある。
「ごめんなさいね。フラウが無茶をさせてしまっているようで」
「あ、いや。そんなことは…」
カリンがフラウの代わりに謝っておく。従姉妹の無茶に付き合わされる、哀れな犠牲者へのフォローは、昔からカリンの役割だ。
見た目、フラウには獣人らしさは一ミリもないのだが、獣人並み(しかも、大型獣人クラス)の体力で近衛騎士団の若者達が大勢餌食となっていた。
「何だよ。私が悪いのか?」
むっとして口を尖らせる。
「そうよ。反省なさい」
カリンが言うと、不貞腐れたように押し黙り、そっぽを向いた。
そんな従姉妹の様子に、全く、子供なのだからと、そっと嘆息した。
「そんなことより!カーリーナ様、生誕祭について、もうお聞き及びでしょうか?」
彼女は話題がコロコロ変わる。楽しい人なのだが、少し疲れる。
「はい?生誕祭、ですか?」
「ええ。近々、都で盛大な祝典が開かれる予定ですの」
「そう言えば…、聞いたことがあります」
そっと手を頬に添え、朧気な記憶を掘り起こしてみる。
確か、こんな言われだったような気がする。
かつて、獣人の人口が年々、減少する事態に陥った。疫病であるとか流行り病であるとか、そんな理由ではない。ただ単に出生率が低下していったのだ。
子供が生まれないことは、種族としての存亡の危機を意味する。
人口の減少を嘆いた人々は、その頃、絶大な力を持つと恐れられていた呪い師に原因を尋ねた。すると、こんな答えが返ってきた。
異種の間で婚姻を行えばいい。そうすれば、元気な子供を授かるだろう―、と。
当時は同種族間での婚姻が普通で異種族間での婚姻は珍しかった。
人々は半信半疑ながら、異種族間での婚姻を推奨したところ、子供の数が急激に増えた。
喜んだ人々は、呪い師を讃え、かの人の生まれた日を子供達のお祭りとして『生誕祭』と言って、盛大に祝うようになった。
「確か、そんな言い伝えのある、お祭りなのですよね?」
「ええ!その通りですわ!その日は王城を解放し、民とともにその年に生まれた子供達の健康と幸せを祝うのです」
「まあ…。王城を解放するのですか?」
「その日ばかりは身分など関係ありませんもの。一緒になって楽しむのですわ」
嬉しそうな笑顔を向けるリリカにカリンは作ったような微笑みを返す。
王城を解放するなんて、賊にどうぞご自由にお入り下さいと言っているようなものじゃない。
ジグモンドはどう、考えているのかしら?
カリンは、チラとヴェドを横目で盗み見る。
普段から鉄面皮のようなヴェドの横顔からは何の考えも読み取ることが出来ない。
考えなければならないことが更に山積みとなったと、カリンはまたしても、深いため息をつくのであった。
ビースター・テイルの王城とその周辺を取り巻くようにして王国の要職につく人々や貴族、そして、富豪達が建てた豪華な屋敷を素通りにし、続いて一般市民が大勢暮らす街並みも通り抜け、男は極力、人目に付かないように通りを歩いていた。
やがて、人通りは絶え、薄汚れた貧民街へと入った。
ここには昼夜が逆転したような生活をする人々や、その日暮らしの貧しい人々が住む集合住宅が建ち並んでいる。
同じような薄汚れた壁が延々と続く。そんな所を男は迷うことなく、歩いていく。
やがて、目的地に着いたのか、男は建物の角で立ち止まる。
すると、角の反対側、死角となっている場所に別の男が立った。
新たに現れた男は頭一つ、やって来た男よりも小柄だった。
男が言う。
「よお。お姫様の相手で大変らしいじゃねえか?」
揶揄するように唇の端を持ち上げる。
「余計な口を叩くな。要件だけを言え」
対する男は辛辣だ。
「ちっ。冗談の通じねえ野郎だ。はいはい。それじゃ、ちゃっちゃと済ませるぜ?」
軽口が成りを潜め、本来の姿へと戻る。
「予想以上にヤバそうな輩が大勢都に入って来ている。俺達も警戒に当たっているが、いかんせん、数が多すぎる」
元々、都の警備隊は年々、人数を減らされているからなと、愚痴る。
「中でもとびきりの大物が二人、都入りしている」
「誰だ?」
「ジャッカルのスカルとコングのタファだ」
「よりにもよって…!」
ジャッカルのスカルは単独で行動する、凄腕の暗殺者だが、タファは名うての裏世界のボスだ。構成員、数百人とも言われる組織を牛耳っている。
「よく検問を抜けられたな」
「裏から手を回した奴がいるからさ」
背の高い男のこめかみがピクリと震えた。
「誰だ?」
「ピトンの野郎だ」
王城の近衛隊隊長である。
「そうか…」
背の高い男、ヴェドはやりきれない思いを抱いた。
近衛隊は何も王その人を守ることだけが仕事ではない。国を導く王を守ることで、ひいては民の安寧を守るのが役目だからだ。
「ヤツら、やるつもりだぜ?」
決行すると言う意味のやるか、それとも、殺しを行うと言う意味の殺る、か。
どちらにしても、騒ぎを起こす気なのは確かだ。
「…生誕祭、だろうな」
「間違いない。当日は王城が民衆に解放される。そこが狙いどころだろう。閣下は何と?」
「中止には出来ないと」
「ま、そうだろうな。年に一度の民衆の楽しみを取り上げちゃ、別の騒動が起こりそうだ」
生誕祭は国民のお祭りだ。国王の、いや、宰相の一存で中止になど出来るはずもない。
「閣下の周辺は大丈夫だろうな?」
「ヤミ達もいるし、俺らの巡回も日に何度となく行っているから大丈夫だ」
「そうか…、そうだな」
様々な理由で孤児となった自分達を拾い上げ、育ててくれたジグモンドとその奥方は、ヴェド達にとって親以上に大切な存在だった。
一人立ち出来るまでに成長した者達は、恩人であるジグモンドに何らかの形でそれぞれが恩返しをしていた。
ある者は町の飲食店を営み、町の情報を仕入れたり、ある者はジグモンドの屋敷の護衛として彼らを外敵から守ったり、そして、自分のように王城の警備隊に所属することでジグモンドの役に立つよう励んだり。
「タイガ陛下がいなくなっただけでこれか…」
「おい!外でする話じゃないだろう」
男がヴェドを諌める。
ヴェドの胸のうちに昔年のタイガ陛下の面影が飛来した。彼のいなくなったビースター・テイルの荒れようとともに。
先々代の国王であったタイガが行方不明となったことを知るものは少ない。
国民には流行り病で亡くなったと告げてある。それだけ、タイガの突然の失踪は謎に包まれていた。
跡を継いだレナン陛下は父親とは似ても似つかない、線の細い争い事を好まぬ人物であった。
しかも数十年も前になるが、イシュカよりカイウス王の姫君を正妻として娶りながら、乳姉弟で側室であったナリヤ妃のみを溺愛したために、正妻であった姫君は自国へと戻った。
それによって、強固であったイシュカとの結び付きが弱まった。
さらに父親の失踪を契機に、先王は妻の叔父であるゾリス卿を重用し、今の腐敗政治の温床を作った。
彼は国王として何かを成し遂げる間もなく、程なく病没してしまう。
先年、王太子であった長男と最愛の妻を病で失っており、まるで後を追うかのような死であった。残された家臣の多くは、身勝手な生きざまに嘆く気も起きなかった。
そして現在、タイガ陛下のひ孫に当たるコウガの御代となった。
大叔父であるゾリス卿の言いなりの、気弱で決断力にかけた、ワガママし放題の少年王の誕生である。
そのコウガは、今まさに大きな決断を迫られていた。イシュカよりもたらされた魔人の再来に対して、かの国との共闘を目的とした同盟の締結である。
そして、その使者として立ったイシュカ国王の第三王女カーリーンとタイガ陛下の血を引くと宣言するジークフラウ姫。
彼女らを亡き者とするため、暗躍する輩がいる。そんなことになったら、魔人によって滅ぶどころか、イシュカ王国と全面戦争だ。
なのにそれが分からぬ輩の多さときたら!
「…俺は俺の職務を貫くまでだ。お前もそうしろ」
ヴェドが言うと、影に隠れた男は、
「言われるまでもない」
そう嘯いた。
次の瞬間、男の気配は消えていた
「相変わらず、神出鬼没なヤツだ」
一人残されたヴェドの呟きを聞くものは誰もいない。
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