第7話 ここにいる意味
謁見の間に沈黙が落ちる。玉座の上で腰を抜かしたような少年王と驚愕の発言に一切の動きを止めたような家臣達。
その中にあって、ただ一人、宰相のジグモンドだけが涼しい顔をしていた。
「な、なななな、馬鹿なことを!お、お前がタイガ陛下の孫だと!」
娘を指差し、糾弾し始めたのはゾリス卿だ。太った体をプルプルと震わせ、青筋を立てている。
「世迷いごとにも程がある!それが真実だと言うのなら、舅と嫁が通じていたと言っているのと同じだぞ!」
「ああ。それが何か?」
「な!道理に反した行いだろうが!」
「貴族、いや王族の間でなら、よくあることだ。王家なんて血を残すことが第一で、近親相姦すら推奨するくらいだぞ?」
「な、なあっ!」
言葉が出てこないらしい。
カリンは端から眺めるに留めていたが、娘の言い分に同意する。
娘、いやフラウの言うことは事実である。長い歴史を誇る、イシュカ王家においては公然の秘密として、そうした行いがあったと歴史書に残されている。
まあ、本当に最後に残された非常手段としてだから、常に推奨している訳ではない。
ごく最近では、今から五代前の王の御代にそうしたことがあったと言う。
その時は病原菌によって国の大半が犯され、多くの死者を出した。イシュカ王家の歴史においても未曾有の大惨事として後世に伝えられている。
それにより、残された王族が兄である国王と異母の妹王女、二人きりとなってしまった。
とにかく、多くの王家の血を、それも直系の血を残さんと周囲が躍起となった結果、そうなったと記されている。
当事者の二人にはいい迷惑だったことだろう。国王は、流石に妹を王妃として迎えたりはしていない。
妹姫は子供を数人出産後、国王の最も信頼する腹心の部下へと降嫁した。
これがミュリエラ姫へと繋がる侯爵家の始まりである。
「け、汚らわしい!」
まるで初な小娘のようなセリフを吐いたゾリス卿をフラウは心底、馬鹿にした顔で見下ろす。
ゾリス卿は小男と言う訳ではないが、フラウより頭一つ分、背が低かった。
「はあ?何が汚らわしいだ。お前は馬鹿か」
「んなあっ!」
馬鹿かと面と向かって言われたことなどなかったのだろう。あわあわと泡をくった様子だ。
「…言葉が過ぎますよ」
流石に悪いと思い、カリンがそっと注意を促した。
「あぁ?」
「ここはイシュカではありません。そこの所を弁えなさい。ジークフラウ」
カリンが愛称であるフラウ呼びをしなかったことで、フラウも自分の行いがカリンを怒らせているのだと気付かされた。
「む。分かった」
すかさず、最初の定位置へと一歩下がった。
そこで、カリンがその場をおさめようと、こう提案した。
「コウガ陛下、並びに諸侯の方々に申し上げます。ここは一先ず解散して、改めて対話の場を設けられてはいかがでしょうか?」
「ふむ。それがよかろうな。いかがでしょう、陛下?」
一人、冷静なジグモンドがそう問い掛ける。
「あ、ああ。そうだな、そうしよう」
コウガはそう言って、自分の身長の倍以上はある玉座に脱力したように座り込んだ。
「では、こちらにどうぞ」
宰相、自ら案内をしてくれるようだ。微笑んで、イシュカの三人を促した。しかし、彼の目は決して笑ってなどいなかった。
むしろ、静かに怒っているようだ。
自分がわざわざ忠告してやったのに、敵対する当の本人にばらすとは何事か。
―そう言っていた。
カリンもまた、視線だけで答える。
―あら、私だって困っているのは一緒です、と。
ビースター・テイルの王城から今日はもう、帰れないかもしれないと、カリンは思いながら、ジグモンドの後に付いていった。
案内されたのは国王の私室に近い、ごく内密な話をするための部屋だった。
最初に付けられていた小姓は下げられ、いかにも有能そうな侍従によって、この場が仕切られる。
さっとお茶の支度がなされ、彼と数名の侍女達がこれまた、さっと引き上げていった。
残ったのはジグモンドとイシュカの三人だけだ。
ジグモンドは白磁のティーカップを持ち上げ、お茶を一口含んだ。ゆっくりと香りを楽しみながら、それを嚥下する。
彼なりの怒りの静めようなのかも知れない。
「馬鹿なことをしたものですな」
皮肉気にそう言った。
「…返す言葉もございません」
カリンが殊勝に返した。馬鹿なことをしたのは、いや、止められなかったのは他でもない自分だ。
「こうなってはあなた方、いえ、姫君方を大使館へとお返しする訳には参りません」
「そうでしょうな」
スチュワートが応じる。
まあ、そうでしょうね。カリンもまた、胸の内で同意した。
「え?どうしてだ?」
一人だけ、不思議そうにしているのは、そうせざるを得ない原因を作った張本人である。
「今夜にでも、イシュカ大使館が原因不明の出火で全焼したなんてことにならないためよ」
「または何者かに食事に毒をもられて、大使夫妻と逗留中の使節一行が全員死亡と言う、両国家間の開戦原因を作らせないためですな」
「は?どうして、そんな話になるんだ」
心底、分かっていないらしい娘にカリンは丁寧に噛み砕いて説明するしかない。
「あなたがこの国の王位継承権を持つと、この国の中枢にいる人達に宣言したからじゃないの」
「事実だろう?」
「ええ、まあね」
私は、それが真実だと知っている。
「でも、話すにしろ、あの場ですることではなかったわね」
「うむ」
「そうだね」
フラウを除いた全員がそれに賛同する。
「私がこの国の派遣されたのは、このためだろうに。
叔父上…、陛下もそう仰っていたぞ?」
「いざと言う時の切り札として、ね。何も謁見した当日に大勢のいる場所で話すようなことではないわ」
しかも、最大の敵方であるゾリス卿のいる、目の前で。
「あなたの軽率な振る舞いで、私達だけでなく、叔父様や叔母様、大使館の皆が危険に晒されるかも知れないのよ?それは理解しているの?」
「狙われるとしたら、私一人だろう?何故、お前や叔父上達が巻き込まれる必要がある?」
「それが権力争いと言うものよ。たった一人を死なせるために大勢を巻き込んでも平気なの。自分の利益を守るためならば」
「だったら、戦えばいい」
「ええ。あなた一人だったら、そうでしょうね。でも、巻き添えを食う人が出たら?
あなたに全ては守れないでしょう?
それとも、それくらいなら、王位継承権を捨てて出奔してみる?」
「構わんが」
むしろ、自由に生きれていいくらいだ。そんな考えがありありだ。
「あなたは権力になど執着していない。むしろ、堅苦しい貴族などではなく、市井の民となって生きたい。
昔から、そうだったわね」
「ああ」
そこは否定して欲しかったのだか…。いや、何も言うまい。
「けどね。こうして、王位継承権を持っていると主張したからには、あなたにも相応の責任が発生し、それに絡んだ利害関係にも巻き込まれることになるの」
「そう言うことなら、仕方ないな」
あくまで他人事だ。
流石にカリンも頭に来た。
「もう!少しは真剣に考えなさいな。ビースター・テイルの王になりたいの?」
「そんなものに興味はない」
「そうでしょうとも。けどね、全員が全員、あなたが王位に興味がないと思ってくれる訳じゃないの。むしろ、逆よ」
「私はイシュカの貴族だぞ?ビースター・テイルの民ではない。
むろん、同じタイガ陛下に連なる者として、ここに来ているがな」
「…お父様はあなたが両国の架け橋となることを望まれたのよ。王位継承争いを起こすためじゃない」
「うむ。そうだな」
「あなたのやっていることは、まさにそれなの。この国に無用な争いを持ち込んだのよ」
「そうなのか?」
もう!やっぱり、理解してなかったじゃないの。フラウは自分に興味のないことにいっかな興味を示さないし、考えない。
私は、そう申し上げましたわよね?お父様の馬鹿っ!
「コホン」
わざとらしい咳払いをして、ジグモンドが皆の注意を引いた。
「終わったことをどうこう言うつもりはありませんが、肝心の証拠はおありなのですかな?」
「証拠?」
コテンとフラウが首を傾ける。
「あなたがタイガ陛下の血をひく証です。例えば、陛下直筆の信書をお持ちであるとか」
「ないな」
「では、陛下から何がしか下賜されたものをお持ちでは?」
フラウが、ぶんぶんと頭を振った。
「…何もお持ちでは無いのですね」
「うむ」
何故、それほど偉そうなのか。
ジグモンドは、はあとため息をついた。
「あなたも御存知ではない?」
視線をカリンへと向けた。
「ええ。私も聞いたことはございません」
「そうなると、困ったことになりますな」
「そうでしょうね」
カリンが同意する。
「想定の範囲内と言うことですか?」
ジグモンドの問い掛けにカリンは笑顔で答える。
「我が国の中枢を引っ掻き回して、貴国にどんな得があると言うのですかな?」
「分かりませんわ。でも、停滞し、濁った水を流して、澄んだ流れに戻す役目を背負って来ていると自負しております」
「…濁ってるように見えますか?」
「あなたにはどう見えますか?」
問いに問いで返す。
ジグモンドは再び、大きなため息をついた。
「…私も流れを変えたいと思っている一人であると覚えておいて下さい」
「承知いたしました」
カリンは、ここにいる意味を感じた。まだまだ、先の見えない流れに身を任せている感は拭えなかったが、でも、確かにそう感じたのだ。
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