第6話 交渉の決裂
それから随分と時が経ったが、話し合いが難航しているのか、一向に呼びに来ない。
「もう、帰ってもいいか?」
はしたなくソファに寝そべっている娘が、飽きた様子で問うてきた。
城へと着てきたドレスは、とっくの昔に脱ぎ捨てている。もちろん、代わりに急遽、従者に取りに行かせた服を着ている。普段通りの男性ものだ。結い上げた髪を解いたとはいえ、化粧はそのままだし、男装した女性もしくは女装した男性にしか見えない。
後者の方が違和感がなさそうなのは、元々が男顔だからだろう。
「駄目に決まっているでしょう?ドレスを脱ぐのを許可されただけで有り難いと思いなさいな」
「待っていても埒があかん。こうなったら、乗り込むか…」
「お止しなさい」
娘は、常日頃、冗談など口にしない。思ったことをはっきりと言うし、実行する。止めないと恐ろしいことになりかねない。
他国の王のいる部屋に乱入するだなんて、それこそ前代未聞だ。悪くすれば国際問題になりかねない。
「ほら、このお菓子。美味しいわよ?食べてみたら?」
「いらん」
ちっ。餌付け工作は失敗か。他に娘の気を引きそうなことが何かあればいいのだが。
「良ければ、庭を散策させてもらったらどうかな?私も以前、拝見させてもらったのだが、我が国にはない花で溢れていたよ」
叔父様ったら、この娘に花を愛でる習慣があると本気で思ってらして?
カリンは見当違いな叔父の発言にげっそりする。
「んん?暇潰しがてら、行ってみようかな」
「え?あなた、花に興味なんてあったの?」
「失敬だな。私だって、花を見る機会はあるぞ。温室で見た、あれだ。何て言ったっけ?あれは割りと旨かったぞ?」
あー。観賞用ではなくて食用ですか。納得した。
部屋の外に付いている小姓に、その旨を伝えると「構いません」と、即答された。
「むろん、私がご案内差し上げますが」
他国の人間だけで行動するなと釘をさされる。
ブチ柄の犬の小姓に案内された先は、王城の中庭だった。
「ここには限られたお客様しか、お通しいたしません。この国にしかない貴重な花や植物もございますので」
彼の口振りから、自国を誇りに思っているのが分かる。
「ふうん」
気のない返事をする娘にかわり、カリンがにこやかに応対する。
「まあ!ここでしか見ることが出来ないなら、尚更貴重ですわね。こんな風に他国を訪れる機会なんて滅多にありませんもの」
従者の説明は専ら、カリンとスチュワートが聞き役に徹し、娘は好きなように庭をそぞろ歩いた。
しばらくすると、娘がわっと駆け出した。
「仔犬だ!」
そう言って、繁みの奥から小さな犬を引っ張り出してきた。
「おかしいな。こんな所にいるはずがないのに…」
それを見た、小姓が困惑したように呟く。
それもそのはず、ここは細部にまで念入りに手入れされた庭だ。ある程度、躾や訓練された成犬ならばともかく、仔犬を放し飼いにはしないだろう。
娘に前肢を挟み込むようにして持ち上げられた仔犬は、後ろ脚をぶらんとされるがままとなっている。
プルプルと小さく震えているのが、何とも可愛らしい。
「変わった毛並みね。虎猫みたい」
全体的に明るいオレンジにも似た茶色いの毛並である。特徴的なのが背中の、虎柄の縞模様だ。
「脚がでかいな!大きくなるぞ、こいつは」
そう言いながら、両腕を高く持ち上げ、ゆさゆさと仔犬の体を揺する。
「あら、本当ね」
娘に追いつき、傍らから覗き込むように仔犬を見れば、確かに体に比べて脚が太い。
カリンが興味深げに見ていると、プルプル震える仔犬が助けを求めるような視線を向けてきた。
きゅう、と小さく鳴いた。
「ちょっと!怖がってるじゃないの。降ろしてあげなさいよ」
「えー?そうか?」
イシュカの王宮には警護や軍事用に使用するために訓練された犬が多数いる。
娘は馬に乗るのも好きだが、それらの犬達ともよく戯れている。
本人は遊んであげているつもりらしいが、端から見ると、犬達の方が付き合ってやってる感が強い。
娘の無茶振りや乱暴な扱いに辟易している犬達の迷惑顔が面白かわいい。
仔犬も、そんな顔つきをしていた。
「しょうがないな」
人様の、しかも他国の王の庭で好き勝手している者の言葉とは思えない。
「きゅ、きゅう!」
地面に降ろされた仔犬がカリンの足に頭を擦り付ける。
まるでお礼を言っているみたいだ。
「申し訳ありません!ドレスが汚れたら大変だ。すぐに連れていきますので」
小姓の青年が慌てたようにカリンから仔犬を離す。
「いいわよ。気にしなくて。こんなにかわいいのですもの」
仔犬が従者の手を嫌がって、きゅう、きゅうと鳴いている。
「そうだぞ。いい暇潰しになるから、このままにしておくといい」
「え…。ですが…」
仔犬の対応に困った様子である。そもそも、ここにいないはずのものだから、従者も何が正しいか判断しかねるのだろう。
「ところで、この子の、この模様はここでは珍しくないの?」
仔犬はカリンからすれば、珍しい縞柄をしている。そんなのは自国では猫か虎以外に見たことがなかった。
「いえ、私も初めて目にします。もしかしたら、王城の獣舎で飼育されているのかも知れませんね」
ビースター・テイルは獣人の国だからか、王城で様々な動物を保護、育成しているのだそうだ。
「絶滅危惧種や貴重な種が多く飼育されておりますよ」
「え!どこなんだ、それは!見てみたい」
「申し訳ありません。私の管轄ではありませんので、すぐにはお答え致しかねます」
娘の要求に対して困ったように言う。
「駄目に決まっているでしょ。こうして、お庭を見せていただくのとは訳が違うのよ。
私達は使者として、ここに来ているのだから、遊びに来ているのではないのよ?」
「暇なんだから仕方ないだろう?」
「あなたは堪え性ってものがないの?もう少し…」
「まあまあ、二人とも。ここをどこだと思っているのかな?」
またしても、叔父に止められた。
反省しなくては、とカリンが真摯に受け止めるのとは真逆に娘の暴走は止まらない。
「まあ、いい。でも、こいつは貰っていくぞ?」
「貰えるはずないでしょう!」
またしても、いさかいに発展しそうな二人に従者が妥協案を提示する。
「私がこの仔犬について問い合わせて参ります。それまではどうぞ、ご自由になさって下さい」
「そうか、分かった」
嬉々として仔犬を抱き上げる。
「ふきゅっ」
抱き締められた仔犬が、少し迷惑そうな表情なのは、多分、間違いではないだろう。
庭の散策を終え、元の部屋へと戻ってきた。先程の青年が、別の小姓に仔犬について問い合わせて来るよう指示を与えたようだ。
それまで仔犬は娘のオモチャ代わりにされた。
「はは。よく似合っているぞ」
自分の髪を結っていたリボンを仔犬の首に巻いて、ご満悦の様子だ。
「この子、男の子じゃない。リボンなんて付けて、かわいそうだわ」
「仔犬なんだから構わんだろう?」
自分が飾り立てられて辟易していたのも忘れ、勝手なものだ。
仔犬は諦めた様子でソファの上に鎮座している。
「ふすっ」
仔犬のくせに妙に達観しているのが気になる。
「まだ、小さいのに随分とお利口さんなのね」
カリンが仔犬の頭を撫でた。
「ん?そうか?まあ、粗相せんなら、それに越したことないだろう」
もの凄く高そうなソファに、おしっこなんて冗談ではない。
「あなたが連れてきたのだから、ちゃんと見てなさいよ」
「はいはい」
格好の暇潰しの相手を得て、さらに時間が過ぎる。そうこうするうちに遂に呼び出しがかかった。
先程の問い合わせに行った小姓はまだ戻らない。どうするかと話し合うと、娘が一緒に連れていくと言って譲らない。
「この子はあなたの飼い犬なんかじゃないのよ?我が儘を言わないで」
「こいつはまだ子供だ。拾った責任がある」
良いように言っているが、ただ単に遊び足りないだけだろう。
「謁見の間には連れていけませんが、途中までなら構いませんので…」
青年が自分が仲間に預けるからと請け負ってくれた。
「色々と面倒をかけてごめんなさい。私達の相手は疲れるでしょう?」
私達と言うより、娘の相手だが。
「いいえ。楽しゅうございますよ」
「今さらだけど、名前を教えてもらえる?」
青年は少し驚いたようだ。高貴な身分の人間が小姓や侍女に名前を聞くことはない。
彼らは物言う、便利な道具として扱われているからだ。同じ人間としてではない。
青年は輝くような笑顔となった。
「リオルと申します。王女殿下」
「そう。では、リオル。この仔犬のこと、お願いね」
「はい」
ブンブンとブチ柄の尾を振りながら、リオルが丁寧に頭を下げた。
やっぱり、獣人っていいわねえ。と、心のなかでカリンは思った。ついでに決して、変な嗜好などではないと自らを肯定するのを忘れない。
娘と違い、カリンは自分が至極まともな人間なのだと自負していた。
いかんせん、普通の貴族(王族)女性にしては、カリンもまた、破格なのだとすこぶる頭がいいのに気付いてはいなかった。
三人は再び、謁見の間へと通された。格好の変わった娘を、何故かゾリス公爵がガン見していた。
少年王もちょっとだけ驚いたように目を見張ったが、何も言わなかった。
「待たせてすまなかった。何分にも急な申し出であったからな」
まるでイシュカ王国側が悪いと言わんばかりだ。少々、頭にくる。
「こちらこそ、申し訳ありません。火急の用件でしたので、普段通り、悠長に行う訳にはいかなかったものですから」
カリンもまた、慇懃無礼に対応する。今回は全くのイレギュラーだ。事前に約束を取りつけた正式な訪問ではない。
それでも事態は急を要していたから、こうして王女である自分が使者に立ったのだ。それが分からないはずもないだろうに。
コホンと王が咳払いを一つしてから、
「結論から言おう。此度の、貴国からの魔神調査協力の要請は辞退させてもらう」
と、思いもよらない回答を寄越した。
カリンは愕然とする。
まさか、この国がここまで腐っていようとは思わなかったからだ。
魔神到来と言う、この大陸の死活問題をビースター・テイルは関わりたくないと言ったのだ。
「…理由をお聞かせ願えますか?」
押し殺した怒りとともに尋ねた。
「魔神が暗躍しているなどと、その方らの国の勘違いではないか?魔法使いの需要は高い。我が国でも貴重な人材として、早々に確保するのに必死だ。
才能ある者がいなくなったからと言って、すぐに魔神が関係していると考えるのは浅慮であろう」
浅慮?浅慮ですって?カリンの中でフツフツと煮えたぎる怒りのバロメータが頂点まで高まりつつあった。
魔神の恐ろしさ、惨さをこの国の人間は忘れてしまったと言うのか?
「ふざけるなっ!」
謁見の間に怒号が響き渡る。
「かつてイシュカとともに魔神と戦った、ビースター・テイルの王が何を腑抜けたことを言っている!
魔法の才能がある者が何人も消えたことは、それはそれとして問題だが。
私達が対処すべきは、再び、魔神がこの地を訪れるかも知れないってことだ!
それをただの勘違いで済ませようって言うのか!」
「なっ!何なんだ、お前は!国王に向かって無礼であろう!
少年王が玉座から立ち上がる。
「国王だって?笑わせる。一国の王を名乗るのならば、それなりに頭がなければ務まらないだろう?」
「な、何だと!余を馬鹿にしているのか!」
「馬鹿になど、していない。馬鹿だと思っている」
「な、な、な、な!」
少年王が絶句する。
それはそうだろうな、とカリンは自身の怒りを忘れ、少年に同情するとともに頭痛がしてきた
やはり、こうなったか。この娘を伴って来たのだ。騒ぎを起こさない訳がない。
「名を、名を名乗れ!王女の護衛だろうから、その方も貴族であろう!」
「はあ?知りたいなら、名乗ってやるが、後悔するなよ?」
後悔しますよ、絶対。娘の横でカリンは遠い目をする。
「私の名前は、シークフラウ。
シークフラウ・オルガ=デラ=イシュカ。
イシュカ国王の姪にして、先々代のビースター・テイル国王タイガの直系の孫だ!」
そう堂々と言ってのけた。
「は?はあああああ?」
少年王コウガが絶叫する。
タイガ国王の孫だなんて、それこそ後継者争いの真っ只中に自ら飛び込んでいった娘に、カリンはもはや思考を放棄する。
魔神問題も難航している、ここにきて、新たな火種を落とした娘は、何故か自信満々な様子であった。
お父様、これがお望みだったのですわよね?タイガ国王の孫だと公表させ、この国に火種を落とすことで、弛みきったビースター・テイルの刷新を図ること。
それが今回の目的。本来、消えた人間の探索なんて、私達、魔法使いの塔のメンバーで事足りるもの。
もちろん、ビースター・テイルと協力し、今後の魔神対策に乗り出すために同盟を強化するのも本当のことだけど。
ビースター・テイルの王城で、この日、魔神到来以来の驚愕事実をぶちまけた、当の本人はイシュカ国王の本心など露知らず、少年王と対峙していた。
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