第5話 少年王に謁見する
翌日は、雲一つない快晴だった。イシュカ大使館の大使宅では、大勢の使用人達が早朝から王城に向かい、国王と謁見する主人達の準備に追われていた。
まず、早めの朝食を済ませるとカリンと娘は、屋敷の使用人達によって風呂へと放り込まれ、念入りに磨き上げられた。
カリンは王女だから、そうした扱いにも慣れているが、娘は嫌がった。
彼女とて、決して身分が低い訳ではない。それどころか侯爵令嬢だが、カリン達が暮らす離宮を監督する大人達(侍女や家庭教師など)は自分達よりも低いため、本気で嫌がるものを無理強い出来なかった。
娘は必要最低限のことしか、侍女にさせなかった。娘の抱え持つ複雑な事情から、大人を信用しきれなかったせいだ。
これはもう、大人達が悪い。
それでも今日のように、ほぼ初対面の侍女相手に我が儘を言う訳にもいかないようで、されるがままとなっているのが可笑しいとカリンは小さくほくそ笑んだ。
風呂から出ると今度は髪の毛から爪の先まで全身を飾りたてられる。
肌がすべすべになると言うクリームを塗りたくられ、髪の毛は複雑に結い上げれ、念入りに化粧を施される。
普段は男性の格好を好んで身に付けている娘も、カリンと同じ様に完璧な貴族女性に仕立てられた。
娘の顔の特徴の一つである、意思の強さを現すかのような濃く太い眉はまばらに抜かれ、ほっそりと女性らしい眉へと作り変えられた。
「わざわざ抜く必要あるのか…?」
自身の眉を指で撫でながら、不満そうに顔をしかめる。
「嘆かない、嘆かない。よく、似合っているわよ?」
「ふん」
不満はあるが、仕方ないと諦めたようだ。
なんと言っても、娘は男女の差こそあれ、ビースター・テイルの先、先代の王、国民から英雄と呼ばれるタイガに面差しがよく似ていた。
マリーが、亡くなった大叔母のミュリエルに似てきたと言ったが、正直、どこが?と言いたい。
大叔母は誰もが認める佳人であるが、娘にはそんな要素は一つも当てはまらない。どこからどう見ても、武の人である。
念入りに化粧を施し、ドレスを着せたことでいつもの猛々しさが成りを潜め、別人に見せた。
「すごく綺麗だわよ」
「…嬉しくない」
せっかく褒めたのに、愛想のないこと。
カリンは、一緒に育った娘の女性らしさの欠如を嘆く。
かく言う、自分も一般的な宮廷貴族とは、かけ離れた思考をしていると自負している。魔法使いの塔で教育を施されたせいだろう。
しかし、娘は違う。王宮の中で育てられた。どうして、このような成長を遂げたのか疑問である。
「いけません!そのようにお髪をかき乱しては!ほどけてしまいます」
ガシガシと普段通り、髪をかく娘を侍女が慌てて止める。
「あー!でも、ベトベトしてて痒いんだ。それに変な匂いもするし」
「それはもう、高価な整髪料でございますよ?薔薇の良い香りではないですか」
「こんな甘ったるいのは嫌いだ」
「きゃあ!ドレスで足を組んではいけません!はしたないことですよ」
うーん。あれはもって生まれた性格だろう。カリンはそう結論づけ、考えるのを止めた。
昼食をごく簡単につまんでから、叔父と共にイシュカ大使館から馬車に乗って、王城へと向かう。
到着後、幾人もの案内役を経て、ようやく謁見の間近くの小部屋に通された。小部屋と言っても、王城の他の部屋と比べればであって、十分に広い。
イシュカのきらびやかで贅沢を凝らした王宮とは違い、質実剛健の暮らしを旨とする獣人の好みを影響してか、飾りはそれほど華美ではない。
「ふうん。私はこっちの方が好きだな」
樹齢を重ねた大木を切り出し、磨きをかけたソファの手置き部分を撫でるようにして娘が呟く。
「そうね。私も派手なのはあまり好きではないから、どちらかと言うとこちらの方が好みかしら」
カリンはシンプル、言い換えれば、身軽さを好んだ。魔法使いはそれこそ、装飾など一切ないローブ一つだ。魔力増幅のための玉を身に付けてはいるが、あれは実用品である。
「お前の好みはそうじゃないだろう?小さくて可愛いものだろう?
よちよち歩きの子供から、年端のいかない子供まで幅広いじゃないか」
「誤解を招くような物言いは止して下さらない?
私は、ただ単に子供好きと言うだけよ?」
にっこりと笑って釘を差す。ここには叔父と娘以外にも第三者が存在するのだ。
王城の小姓である少年が部屋の隅に控えている。垂れた白黒の犬耳がかわいらしい、犬の獣人である。ついでにしっぽもブチだ。
「そうか?しょっちゅう、街の子供達を片っ端から集めて餌付けしているじゃないか?
ひー様、ひー様って呼ばせてさ」
「人聞きの悪い。私は…」
「こらこら。無駄話は止めなさい。ここは他国の王城の一室なんだよ?」
そうだった。改めて、二人は借りてきたネコよろしく、しとやかなご令嬢を演じる。
だが、時既に遅すぎた。一連のやり取りを目撃していた小姓によって、後日、イシュカ王女の幼児趣味やら、連れの娘の女装の男説やらがまことしやかに囁かれた。
部屋に通されてから、小一時間ほど時間が経過した。
あともう少しで娘が退屈過ぎて寝てしまうかと知れないと危惧した矢先に、遂に呼び出しがかかる。
約束の時間より遅れたのは、何らかの手違いがあったためだろうか。
突然の謁見依頼ゆえに、不平を言うつもりはないが、自国を侮られたような気がして、カリンは多少なりと不満を覚えた。
三人は小姓を先頭に、成人男性の身長の倍以上はある大きな扉の奥の前に立った。
「この先に国王陛下がいらっしゃいます。くれぐれもお振るまいにはお気をつけ下さいますよう」
一時間もの間、あれこれを目撃してきた小姓の言葉には重みが感じられた。
扉を開く小姓によって両扉が開かれ、その真正面、最奥の数段高い位置に玉座があった。
扉から玉座までは重厚な絨毯が敷かれ、叔父を先頭に三人はしずしずと歩いた。
玉座の手前で制止し、頭を下げる。
「イシュカ大使館の大使、シュザーク伯爵にございます」
玉座の数歩離れた位置から、侍従が高らかに告げると、
「うむ」
幾分、幼さの残る少年の声が応えた。
「面をあげよ」
三人は頭を上げた。
叔父の後ろ側、右手に控えたカリンは、ビースター・テイルの少年王を失礼にならない程度に真正面から見上げた。
くっきりとした大きな瞳は濃い碧色をしていた。髪の毛は漆黒で、わずかにウエーブがかかる。くせ毛なのだろう。
濃い褐色系の肌色が多い獣人の中で、ごくごく薄いクリーム色である。
イシュカの民の大半は白色人種で占められており、それに近い色だ。
手足は…、細い。か細いと言ってもいいくらいだ。身長も高くない。成長途上の子供だ。
これでは他の獣人から、王として危ぶまれても仕方ないだろう。
「本日はお忙しいなか、お目通りを頂き、誠に感謝いたします」
叔父が代表して、お礼を述べる。
「構わぬ」
少年らしからぬ、慇懃さだ。国王だからと言われれば、そうかも知れないが。
少なくとも、私のお父様はこんな風に偉ぶったりはしない。カリンは内心、そう思った。
「して、急ぎの用件とは何だ?」
「はい。我が君主イシュカ国王よりの書状をお持ちいたしました。
書状を携えましたのは、国王の第三王女カーリーン姫様にございます」
カリンはすっと辞儀を正した。
「ほう。第三王女とは言え、王の娘がわざわざ使者を務めたのか」
「陛下、こちらにおわしますカーリーン王女殿下は、かの有名な魔法の塔に属される魔法使いであらせられます。
ただの使者ではございますまい」
玉座の下、絨毯を挟んで左右に国王の側近が居並ぶ。その内の一人、既に見知った相手であるジグモンド宰相がカリンの身の上を告げた。
「そうか、そちが!」
少年王は俄に興味を持ったように前のめりとなった。それを諌めるように、肩を侍従長がそっと推した。
はっと我に返った少年王は再び、玉座に深く腰を下ろした。
「遠路はるばる、大儀であった」
そうして、王としての自分の役割を果たす。
「…はい」
「書状をこれに」
侍従長が壁際に控える、別の侍従に命じた。
カリンが書状を手渡すと、彼は恭しい手つきで両手に捧げ持ち、侍従長へと手渡す。
「陛下」
「うむ」
まだるっこしい一連のやり取りを終え、ようやく書状が王の目に入る。
「なっ!これは…!」
ガタンと玉座が大きな音を立てた。
「陛下?いかがいたしました?」
心配そうに声を掛けたのは、外務大臣の要職を預かるゾリス卿だ。
「あ、ああ。叔父…、いや。ゾリス卿、それに皆も早急に協議にかけねばならぬ、案件が生じたようだ」
書状を持つ、王の手が小さく震えている。
ざわざわと居並ぶ側近達の間でざわめきが起きた。
しれっとしているのは、ジグモンドただ一人だけだ。
「では、イシュカからの客人は王城の一角にてもてなすことにし、我々は協議の場を設けてはいかがでしょう?」
ジグモンドがそう提案する。
「それは…」
それを聞いたゾリス卿が言い澱んだ。彼は外務大臣として、他国の使節への礼に欠けるのでは?と主張する。
本来であれば、謁見後、改めて国王とともにイシュカ側をもてなすのが本来の形だろう。
このように中断されるに近いやり方は礼儀に反する。
他にも、イシュカの使節一行を放っておくのはどうかと声が上がるのを、
「シュザーク伯爵、よろしいかな?」
そう言って、ジグモンドがカリンらに有無を言わさず、下がるようにと告げた。
随分と一方的な物言いである。けれど、それが彼なりのポーズであると理解していたので受け入れることとした。
前日、ジグモンドがイシュカ大使館を訪れたことは秘密裏に行われたことだが、隠し通せることではない。
親密な関係であると疑われないよう、あえて、距離をおいて見せるような発言をしたのだろう。
実際、ジグモンドと親密な関係などない。あくまで、保険として呼んだに過ぎないのだから。
「仰せに従いましょう」
通されたのは最初に待たされた部屋とは別のもっと広い部屋だ。
内密に話をしたいので、三人を案内して来た侍従には部屋から出てもらった。
「何だ、この対応は!事は急を要すると言うのに呑気に協議するだと?」
「少しは落ち着いたらどう?」
激昂する娘にカリンは嘆息する。
謁見の間でも、暴れだしそうな娘のドレスの裾を見えないように足で押さえつけ、動きを封じていたことに誰も気付いていまい。
「カリン!お前もお前だ!お前はイシュカ国王の名代なのだぞ!もっと強く出て、然るべきだったろう」
なまじドレス姿な分、思うように暴れられないストレスからイライラ度が増しているようだ。
「仕方ないじゃないの。国王陛下は、今日、初めて事実を知った様子だったじゃない?
取り乱さないだけ、立派だったわよ」
どうやらジグモンドは事前に告げなかったようだ。それが何のためかは分からない。
ビースター・テイルの内情は不確かなのだ。
「あんなガキに王が務まるものか!」
「ガキって、あなた…。国王陛下でしょうに」
いくら人払いしているとは言え、口のきき方には注意が必要だ。
「それにしても、ジグモンドの奴め。わざわざ、先に教えてやったものを何の対策も講じていないではないか!」
「それは…、私も気にはなったわ」
「おそらく、水面下では動いてらっしゃると思うよ?ただ、閣下を中心として目立った動きがとれないのではないかな?」
スチュワートが考えるように言った。
「まあ…、ね。そんな風には見えたけれど」
おそらく、国王を中心なして左側が宰相のジグモンドを中心とする先代からの忠臣で、右側が王の親族であるゾリス卿を中心とする新興の家臣ではないかと推測された。
左が優秀な生え抜きで構成されているが、左は言わずもがなだ。見るからにおべんちゃらやら、自身の栄逹やらを目論む連中に見えた。
どちらかと言うと、経験のない少年王はゾリス卿を頼みにしているように見えた。
まあ、十代も前半で国王の位についたのだ。心細かろう。自然と親族に頼ってしまう心情も分からないでもない。
「それにゾリス卿とか言う奴、何だあれは?キラキラと飾り立てて、あれでも男か?」
カリンも完全な同意である。長毛の白猫をイメージして欲しい。それも、甘やかされてでっぷりと太った。
あれを人に置き換えたような感じだ。犬と猫の獣人は、このビースター・テイルで最も比率が高い種だ。動物の世界においても、犬猫は多いので獣人でもそれが適用されているのかも知れない。
「おっさんが飾り立てても不気味なだけだ。誰も何も言わないのか?
イシュカだったら、悪趣味の極みだぞ?」
金の刺繍に金のボタン。たっぷりのレース。極めつけは両手の指にごてごてと嵌められた指輪の数の多さだ。
「成金貴族が飼っているブタ猫そのままではないか!」
「仕方ないわよ。成り上がりには違いないのだから」
ミュリエル大叔母に見向きもせず、ただひたすらに愛された下級貴族出身の乳母の娘、その後、王妃となった女性の甥だと言う。
「まあ、焦らずに結論が出るのを待ちましょうよ」
カリンがゆったりと告げると、
「いや、待てん!待てんぞ!」
娘が宣言する。
「は?どうするつもり?」
「こうするのだ!」
そう言って、美しく結い上げられた髪の毛を無造作に引っ張る。
整髪料で纏めた髪が無惨に解け、髪の毛に差した飾りがバラバラと床の上に落ちる。
ついでにドレスも剥ぎ取ろうとするのを慌てて止めた。
「ちょっ、止しなさい!ここには叔父様だって、いらっしゃるのよ!」
「うん?構わんが?叔父上には裸を見られたこともあるしな」
スチュワートが大慌てで訂正する。
「それは子供の頃の話だろう!夏の日に暑いからと、着ている服を脱いで肌着となって池の中に飛び込んだのは君だ!」
「見たのは本当だろう?」
おかしなことを言う、みたいな顔で首を傾げる。
とにかく、ドレスを脱ぐのは止めなさいと止める叔父と、絶対に嫌だと突っぱねる娘の攻防をカリンは、よそながら眺めた。
ああ、頭痛がしてきそう。はあ、とカリンは大きなため息とともに頭を押さえる。
やっぱり…。やっぱり、お父様。お怨みいたします。私に、この子の操縦なんて無理です!絶対に暴走するに決まっています!
考えるだけで頭が痛いと、カリンは国元にいる父親へ、もう何度目になるか分からない怨み言を心のなかでぶつけるのであった。
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