第4話 王都グライダーを散策する

翌朝、カリンは一人で王都の中を調べるために大使館を後にした。

直前まで一緒に行くとごねていた娘を何とか言い含めてマリーに預け、身軽な格好で街の方へと歩いていった。

濃い濃紺のローブを羽織り、下は庶民的なブラウスとベスト。そして、踝近くまであるロングスカートだ。

ぱっと見は中流階級のお嬢さんといったところか。


グライダーは乾燥した草原地帯にある。今の季節は、4つに分けられた節気のうち、比較的気候の温暖な、水神フロローの季節だ。

何ならローブはいらないくらいだが、風避けも兼ねているので着用している。

この辺りは空気が乾燥しているため、時折、砂混じりの突風が吹くのを防ぐのが目的である。


街行く獣人は、種族によって様々な姿形を持っている。犬の種族ならば、犬耳に犬の尾を持ち、男性ならば顎の辺りから胸元にかけて、ふさふさとした毛を生やしている者もなかにはいるが、そうした特徴以外は人と外見上は大差ない。


もっとも、生まれたての赤子は見た目の違いが顕著で、犬の子のように柔らかな毛に全身が覆われており、成長するにつれて人のような肌となる、らしい。

らしいと不確定なのは、獣人の赤子をカリンはこれまで目にしたことがなかったせいだ。

カリンが見たのは、よくても幼児で、その頃になると肌を覆った毛はなくなっている。

だから、スリングに包まれた赤子を抱えた、猫型のお母さんとすれ違った時には、向こうが引くくらい、じっと見てしまった。

母親の胸元に抱かれ、安心しきったように丸くなって赤ん坊が眠っている。

検証した結果、獣人の赤ん坊は全身が毛で覆われていると言うのは間違いではなかった。


そのまま、いわゆる下町へと足を向けた。そこは大通りに面して露店が並ぶ、市場の様相であった。

いかにも農民といった格好をした者が農作物や加工した品物を売っている。

王都内に田や畑は見当たらないので、近隣からやって来ているのだろう。所狭しと品物を列べている。


カリンは旅人の顔で買い物ついでに街の噂を拾い集めて行った。やはり、露店を出しているのは近隣の農民のようで、さしたる情報は拾えなかった。

そこで店を構えている場所に入ってみることにした。昼時には少し早いが、小綺麗な食堂を選んで、いかにも王都は不案内な旅の者を装って、話をする。

「あたしら、庶民は滅多に王様に会うことはないんだよ」

やはり、店内の客はまばらだった。安くて味は二の次と言う雑多な感じではなく、清潔で店主のこだわりを感じさせる店だ。

仕込みを終えた、店のおかみさんがカウンターに腰掛けたカリンの相手をしてくれた。

カバの獣人に相応しい、たっぷりとした重量感の持ち主だ。旦那さんが料理人で、こちらもカバだ。

「まだ、お小さいうちにお父上を亡くされてねえ。他にご兄弟もいないし、即位されたんだけどね」

話題はもちろん、ビースター・テイルの王様についてだ。

「力がものを言う獣人の間じゃ、少年王の即位を望まない一派があってね。

大きな声じゃ言えないが、色々と難癖つけるって話だよ。

本当に、おかわいそうに。まだ、成人前の子供とは言え、英雄王タイガ様の血を引くお方だ。文句を言う奴の気が知れないよ」

そう言って、憤慨する。

そんなおかみさんを、厨房の中から、

「おい。旅の人に余計なことを言うんじゃない」

と、旦那さんが諌めた。明らかに不審がっている目だ。

おっと、どうやら怪しまれているようね。

カリンは早々に話題を切り上げた。

「父の商売に付いて、この国に来たのは今回が初めてなの。色々とお話が聞けて良かったわ」

話を聞きながら、スプーンの手は止めず、ビースター・テイルの主食である米を使ったチーズリゾットをすっかりと平らげ、カリンは席を立った。

「いいんだよ。でも、あんたみたいな綺麗な女の子が一人でうろうろするのは色んな意味で危ないよ?」

王都には街を巡回する警備兵はいるが、これだけ大きい街だと目の届かない部分もある。

「大丈夫です。そろそろ、父が商談を済ませた頃合いだから、待ち合わせ場所にいるはずなので。ここからすぐだから、迷うこともないわ」

「そうかい。なら、よかった」

ほっとしたようにおかみさんが言ったのを皮切りに、昼食をとりにきたお客がどっと押し寄せてきた。

カリンは急に忙しそうに立ち回る、おかみさんに会釈してから食堂を後にした。

「ふうん?ただの食堂と行っても、あなどれないわね」

先程の食堂で、旦那さんは他国の人間に国の内情を喋るなと釘をさしてきた。

食堂や酒場では、噂話の類から本当のことまで情報が手に入りやすい。それをあえて遮ってきたのだ。

それだけビースター・テイルの内情が緊迫しているのだろう。

「あまりよくない兆候だわね」

改めて考えを巡らせた。同盟を結ぶ相手の立場が不安定ならば、交渉が決裂する可能性も考えられる。

少年王コウガ本人の情報は、たいして手に入らなかったが、それなりに考える要素は得られたのでよしとしよう。

カリンは最後に一通り街の中を見てから、イシュカ大使館に戻ることにした。



獣人の国に人の姿はちらほらと見られるが、それでも圧倒的に少数だ。

あまり目立たないほうがいい。そう思っていた矢先にトラブルの方からやって来た。

「おい、見ろよ。人の女の子だ。それもとびきりの美人だぜ!」

がらの悪そうな、ついでに頭も悪そうな、獣人の青年達に行く手を遮られたのだ。

「この辺じゃ、滅多に見ない上玉だ」

三人の青年達の種族は様々だ。寅、ヒヒ、蜥蜴と外見が見事に分かれている。

「グライダーは初めてなんだろ?俺達が案内してやるよ」

親切ごかしに近付いてくる。

こんな連中、どこにでもいるのね。ニヤニヤと笑いながら、やって来る連中を見ながら、カリンは内心そう思っていた。

こんなのはイシュカでもよく目にする光景だ。ただし、カリンの面はすっかり割れていて、今さら、塔の魔法使いで、しかも王女である彼女にちょっかいを出そうなんて命知らずはいない。

なので、こう言うのは久しぶりだった。

三人の男達に囲まれて震える、か弱い少女として周囲からは見られていたが、当の本人は全くそんな風には思っていなかった。むしろ、面白がってさえいた。


獣人にもランクがある。蜥蜴やヒヒはともかく、寅に立ち向かうには勇気がいる。

善良な市民達が遠巻きに眉をひそめる中、三人はカリンとの距離をぐいぐい詰めていく。

「この先に洒落た軽食屋があるんだ。女は甘いものが好きだろ?奢ってやるから一緒に行こうぜ」

寅の獣人がカリンの腕に手を伸ばした。

さて、どうしようか。魔法使いだとばれるのは、少々まずいし。

手が触れる、まさにその瞬間、男の手が払いのけられた。

「な、なんだ!てめえは!」

カリンと獣人達の間に一人の男が立ち塞がる。いや、男ではない。

カリンには見当がついていた。大使館に残してきたはずの娘だ。

真っ黒いマントのフードを頭からすっぽりと被っていて、一般女性よりも背の高い長身の姿から男性にしか見えない。片手に鞘がついたままの剣を握っているから尚更だ。


「その女は俺達が先に目をつけたんだぞ!後から割りこむんじゃねえ!」

手を払いのけられた寅の獣人が吠える。

そうだ、そうだと仲間達が同調した。

「…これはお前らのような下賤のものが軽々しく触れてよい相手ではない」

女性にしては低めの声がさらにくぐもって聞こえた。

娘の背後に庇われるようにして立つカリンからは見えないが、顔を隠すために布かなにかを巻いているのだろう。

これ、呼ばわりはいただけないが、自分の立場を理解しているようなので安堵した。

「げ、下賤って何だ?」

男達が顔を寄せ合う。

「さあ?」

「知らねえ」

どうやら、頭が悪そうだと断じたのは間違いではなかったようだ。

「…馬鹿なのか?」

「な、なんだとっ!」

さすがに馬鹿と言う、単語は理解出来たようた。

先程まで詰めよっていた対象を、今度は黒づくめの相手へと固定する。

むろん、意味合いは大きく異なるが。

寅とヒヒは己の腕力で勝負するようだが、蜥蜴の獣人はナイフを構えた。

「あんた、その子の知り合いみたいだが、別にとって食おうって訳じゃねえ。

ちょっと、おしゃべりしたら帰してやるよ」

寅獣人の言葉に「嘘だ」と、周囲から声が聞こえた。

どうやら、こいつらは度々騒ぎを起こしているらしい。自分のように連れていかれた女の子がどうなったかなんて、知りたくもないが。

娘にも聞こえたようだ。彼女は女性をことの他、大事にする。

離れて暮らす母親がか弱い、守って欲しいタイプなので、変な正義感が育っているようなのだ。

マントに覆われた、細い体が数倍大きく膨らんだように見えた。もちろん、実際に大きくなった訳ではない。

纏う怒気が膨れ上がって、そんな風に見えるだけだと言ったら、分かりやすいだろうか。

「おい!聞いてんのか!」

寅の獣人が拳を繰り出した。それを娘は難なく交わし、手にした鞘に入ったままの剣を男の腕に上下に振り下ろした。

「ぎぃ、やああああああ!」

男の腕が奇妙にねじ曲がっている。どうやら、腕がへし折られたようだ。

それを見た仲間の男達が、目に見えて動揺する。

「なっ、なにしやがった!」

動きが速すぎて見えなかったのだろう。

踞る仲間の様子から腕が折られたことは理解出来たようだが、どうしてそうなったのかが理解出来ない様子だ。

対する黒づくめの男(本当は娘だが)は、終始無言のままだ。

それでも、発する怒気は些かも衰えない。

蜥蜴の獣人が自棄になったようにナイフで切りつけてきた。

「わああああっ!」

呆気なく避けられ、ついでに足をひっかけられて無様に地面に倒れる。

取り巻く人々の間から失笑がもれた。

嘲笑に晒されたヒヒの獣人は、戦う以前に戦意喪失したようだ。

腕を折られて呻く仲間に肩を貸し、逃げの一手に出た。仲間を見捨てないだけ、まだましだ。蜥蜴の男も慌てて追いかける。


男達が立ち去ると、群衆の間からパチパチと拍手がわき起こる。

「いやあ!見事なもんだ」

「あいつら、腕力にものを言わせて、この辺りで悪さばかりして困ってたんだ。

いや、ありがとう」

そんなつもりはなかったのだが、悪人退治に一役買ったようだ。

「ちょっと!警備隊の連中が来たよ!面倒ごとに巻き込まれたくないなら、行った、行った!」

目を向けた先に、人混みで思うように前に進めない警備隊の姿が遠くに見えた。

もちろん、お忍びで出歩いている二人は遠慮なく、その場から立ち去った。


下町は整然と整理された王城付近と違い、くねくねと入り組んでいた。

二人は地理にさほど詳しくなどなかったが、姿を隠せればそれで良かった。

もしも、悪路に迷い混んでチンピラどころか、極悪人と行きあったとしても切り抜けられる自信もあった。

人殺しや人買いなんかの極悪人ならば、それこそ遠慮はいらない。

腕を折るなんて言う、まだるっこしい真似をせずに済むと言うものだ。


残念ながら?そうした人種と出会うことなく、下町の居住区らしき場所に出た。その日暮らしの低階層の住民が暮らす場所だ。

三階建てから五階建てといった建物はどれも古めかしいが、頑丈そうに見える。所々、変な風に建て増したような跡が残っている。

「どうやら巻いたみたいね?」

カリンが連れの娘を見上げた。

「いや…、まだだ」

そう言って、ある一点を凝視する。

「そこに隠れているヤツ、いるのは分かっているぞ。出てこい!」

娘が低く恫喝すると、死角となっている建物の影から一人の男が現れた。

「うまく隠れているつもりだったんたがな」

がしがしと頭をかく、男の黒髪の間からピンと立った犬耳が見えた。ついでに、黒いしっぽを持った犬の獣人である。

男は焦げ茶色の上着にぴったりとした黒いパンツとブーツを履いており、全体的に細身だが、服の下は相当に鍛えられていると察せられた。

先程のチンピラとは明らかに違う雰囲気を纏った男に、娘は警戒するように剣の柄に手をかける。

「おいおい、俺は敵じゃないぜ」

おどけた様子で両手を上げ、アピールする。

「俺は警備隊だ」

そう言って、左腕の腕章をかざして見せた。

ビースター・テイルを現す紋章の下に星形が縫い取られている。星の色と数が階級の高さを現す。

警備隊は赤で最高が五つ星だ。男の星は一つ。平隊員に星はないので決して高くはないが、さりとて低くもない。小隊の隊長と言うところか。

カリンの記憶にあるものと同じだ。男の言は、どうやら本当のことらしい。

「大丈夫。本物よ」

カリンの囁きに、娘は柄から手を離した。

「何の用だ。さっきの男達のことなら、正当防衛だぞ?」

治安を守る警備隊と事を構える気はないが、さりとて拘束されたくもない。

「分かってるって。あいつらのことは、こちらの落ち度だ。すまなかった」

男が頭を下げた。

「恥を晒すようだが、あいつらの親が警備隊の上司でな。俺達も手を焼いていたんだ」

平民はどんなに出世しても星三つが限界。それ以上は王族や貴族などの中央の者に限られる。腕っぷしにものを言わせる獣人であっても、縦社会を壊すのは容易なことではない。

「ふん。無様なことだ」

「ちょっと、よしなさいよ」

マントを引っ張る。

「言われっぱなしって言うのは癪だが、本当のことだしな」

ほら見ろじゃないでしょうに、カリンは額を押さえる。

「けど、おたくらも派手な真似は慎んだ方がいいぜ?」

「どういう意味かしら?」

「言葉通りさ。この街じゃ、王を中心にゾリス公爵派とジグモンド宰相派の大きく二つに分かれている。正道が通るのは宰相派だけだ。

公爵の派閥じゃ、こうはいかない。さっきの寅野郎の父親は公爵派だ。

この先、道を歩くのは気を付けることだ」

「あなたは…」

カリンは言葉を切った。

「宰相派、そうなんでしょう?」

「ご明察、と言いたいところだが、俺は末端もいいところだ。直属の部隊長が宰相閣下の小飼なのさ」

「…ふうん。そう」

難しい話になると、娘は考えることを放棄する癖がある。難しい事柄はお任せ、と思っているに違いない。

「忠告はしたぜ?」

「ありがとう。肝に命じるわ」

どうだかな、と捨て台詞を残して、男はその場から立ち去った。

「結構な収穫だったわね」

国を二分する、二つの勢力の存在だ。国王はもちろん、叔父である公爵側だろう。

それだけではない。少年王に反発する勢力も存在する。


いよいよ、明日が楽しみだ。カリンは密かにほくそ笑んだ。

「…お前、嫌な顔をしているぞ」

姉妹に近しい娘の指摘に、

「あら!策略を巡らす者の顔と言ってよ」

と、笑って返した。

立ち塞がる困難は困難として嫌なものだが、それを成し遂げた時の達成感は好ましいと思う。難しければ難しい程、心地良さは倍増する。

探求する者、追及する者の性なのだろうか。

魔法使いが嫌われるのはこんな性分だからなのかも知れないと、少しだけ反省した。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る