第3話 山羊ならぬ狼か

イシュカ大使が招いたのは、ビースター・テイルの宰相ジグモンドである。

「コウガ陛下におかれましては、多忙につき、私のようなものが先にお目にかかる栄誉を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます」

山羊の獣人である彼には小さな山羊耳の上に尖った角が二本あった。

焦げ茶色の髪には随分と白いものが混じっている。

イシュカでは基本的に、改まった場所では女性はドレス、男性は襟の高い上着にピッタリとしたパンツスタイルなのだけれど、ビースター・テイルにおいて、これといった決まりはない。

だがあえて、ジグモンドはイシュカ側に合わせた装いで現れた。年齢を感じさせない、真っ直ぐな姿勢の彼にはよく似合っている。

「こちらこそ。急な訪問でお騒がせしてしまい、申し訳なく思っています」

今夜の晩餐はあくまで非公式である。事前に段取りを行っておきたいと言うビースター・テイル側の要望に、晩餐にご招待すると言う形で答えた。

実際は、こちらから宰相へとコンタクトをとったのだ。

同席者はカリンと大使夫妻、そして、ジグモンドのみである。

食事の席ではお互いの国について、当たり障りのない話題に留めた。

食後、もう少しこじんまりとした部屋へと移動した。侍女が運んできた紅茶を配り終えると、マリーも辞職と一緒に退席した。

「それでは、私は失礼させていただきます。宰相閣下におかれましては、ごゆっくりとおくつろぎ下さいませ」

「ああ。ありがとう」

クッションのきいたソファに腰掛けたジグモンドの真正面にカリンが座り、大使である叔父は二人の中央、やや離れた位置にある椅子に腰掛けていた。

「では、今回、訪問された目的をお伺いいたしましょうか」

先程までの和やかな仮面が剥がれ落ちた。一国の宰相の顔だ。

鋭利な視線がカリンの身に突きささる。

カリンもまた、気を引き締めた。


「国王陛下より賜った書状は陛下に直接お渡しいたしますが、情報の共有のために事前にお話しさせていただきます」

海側の公国レリントンにおいて、魔人によるものと思われる、魔力を持った人間が密かに拐われていると事実を。


「なんと…、それは真実なのですか?」

ジクモンドがテーブルに乗せた拳をきつく握る。

「証拠を示せと言われれば、残念ながらございません。

けれども、私達が知る限りにおいて、既に十名近い魔力保持者が行方不明となっています。

これはあくまで、こちらで確認出来ている範囲内における人数であって、もっと多いかと思われます」

都心部からとおく離れた農村までは情報が入りにくい。

レリントン公国にある魔法の塔の分室は、公都に一つだけだ。

人数も限られているため、人を使って、さらなる情報を集めている最中なのだ。

「それが事実であれば、とんでもないことだ。ようやく先の戦役の傷跡も癒され、復興を遂げたと言うのに」

トルーガ戦役のあった付近一帯はビースター・テイルの領地内である。

強大な破壊力を有した魔神との戦いで地形が変わっただけでなく、女の魔神によって行使された魔法によって、草原に生い茂る花や草が枯れ果て、荒れ野へと変わったそうだ。

カリンも叔父も話に聞くだけで、実際はどうだったのかなんて知るよしもない。

ジグモンドも戦役に参加する年齢ではなかっただろうが、戦いに身を投じた親世代を身近に見たであろう。


「失礼ですが、ジグモンド様のご家族でトルーガ戦役に参加された方は?」

「父親や兄達、そして、叔父や従兄弟で戦える年齢ならば、皆、参加しました。

人の間では、草食系だから弱いと勘違いされるようだが、ただ単に争い事が嫌いなだけで戦うことは出来ますから」

そうして大勢出兵していったが、戻ってきたのは数える程だったと、小さく言った。

「かつて魔人が大陸を訪れたのは魔力を持つ人間を狩るためであったと聞いています。

その他大勢を殺戮して回ったのは、ただ単に邪魔だったからでしょう」

「ええ。私もそう聞いています」

「しかしながら、今回は少々腑に落ちない点があります」

「と、言うと?」

「魔力を持つ人間が必要なら、何故、塔の人間を拐っていかないのか?

魔法の塔には優れた魔法使い、即ち、魔力の高い人間が集められているのでしょう?

塔の人間ではなく、それ以外の人間を捜して拐ってまわるのは手間がかかるでしょうに」

それはもちろん考えた。何故、塔の人間を拐っていかないのかと。

「そのことに関しては、私どもも把握出来ていません。おそらく、先のように大袈裟に活動するのではなく、慎重になったのではないかと推測されます」


トルーガ戦役において多数の犠牲を出したとは言え、魔人を蹴散らすことが出来たのだ。

人の勝利と言えよう。

その際、女の魔神を取り逃がしたのだが、生き残った彼女から話を聞いた、あちら側(仮に魔人の国としよう)が慎重論をとったのかも知れない。

「塔の人間ではないとは言え、予備軍とされる優秀な人材です。

魔力も相当あった者達ですから、全く被害を受けていない訳ではありません」

優秀な魔法使いの卵を失ったのだ。この先、もしも、魔人の襲来があるとすれば、貴重な戦力を失ったとも言える。

「獣人に魔法使いの才がある者はごく僅ですから、こちらにはそれほど影響がないとは思いますが、調べる必要はありますな」

人と比べると少ないと言うだけで、獣人の魔法使いは塔の中にもいる。

「賢明なご判断です」

「これは至急に考えなければならない案件です。陛下のお耳に入れる前に、私の方で様々な調整をしなければならないようだ」

宰相は国の政治の中枢にいる人物で、成人に達していない少年王に代わって、実際にこの国を動かしていると言って過言ではない。

だからこそ、こうして屋敷に招いたのだ。


「申し訳ないが、今日は、この辺でお暇させていただきましょう。

正式な謁見の日にまた、詳細なお話をさせていただくことになりますが、構いませんか?」

「もちろん、構いませんわ」

カリンはにっこりと笑って、ジグモンドの申し出を受ける。


イシュカ大使館から王城はそれほど離れていない。ジクモンドは護衛を二人ばかり連れ、徒歩で来ていた。

こうした所はイシュカとは大きく異なる。何事にも伝統や格式を重んじる、あの国では貴族が徒歩で街中を歩いたりはしない。


まあ、どこにでも例外はあるが。魔法使いのカリンや部屋に籠って出てこないでいる娘は互いに街の中を自由にそぞろ歩いている。

一人で歩いても差し支えない、それだけの技量を持っている故だが。


玄関先で見送るカリンに、ふと思い付いた体でジグモンドはこう言った。

「ああ、そうそう。一つ言い忘れておりました」

あくまで、さり気無く。

「あなたが大切に隠し持っていらっしゃる宝は、おいそれと表に出さぬ方がよろしいかと思います。

私は、言わば中立の立場ですが、この国には過激な思想の持ち主も多い。

特に陛下の叔父にあたるゾリス卿にはお気を付けなさい」

「っ!」

それでは私はこれでと、そう言いおいて、ジグモンドは護衛とともに闇夜に消えていく。


「まいったわね。もう、あの子が来たことが漏れているなんてね」

「人の口に戸は立てられないものだよ」

「…そうね」


イシュカの王城のなか、そのさらに深奥とされる後宮でビースター・テイルの王の子として生まれた赤子がいた。

赤子は長じてイシュカの侯爵となったが、あくまで身分はイシュカの一貴族である。

国王に忠誠を誓った彼が、この国に赴くことは決してないだろう。

それに対して、その娘が現在ここに滞在している。血筋が明らかになれば、混乱が生じるのは目に見えている。

けれど、あの子はイシュカ国王に命じられたとしても、自らが望んでここに来た。


「全くもう。この国の諜報能力を甘く見ていたわ」

隠密に動ける魔法の塔の魔法使いを諜報員として有するイシュカとは違って、ビースター・テイルの諜報機関はさほど機能していないものと思われていた。

だが、ジグモンドは到着して間もない私達の事情を正確に把握しているようだ。

おそらく、晩餐に応じたのも確認のためだろう。

「山羊の皮を被った狼、ね。言い得て妙だわ」

宰相ジグモンドを現す表現の一つだ。実際に会ってみて、その言葉が真実だと思い知らされる。

「ゾリス卿か…。叔父様の方でも探ってみて下さる?」

「もう、やっているよ」

「あら!随分と手回しが早くていらっしゃること」

「あの子をこの国に招くんだ。兄上も、心配なさっているんだ」

「お父様がねえ。私の時と同じ様に、いい厄介払いとが出来たと思ってらっしゃると思ってましたわ」

「カリン…」

困ったように眉を下げる叔父にカリンは朗らかに返した。

「そんな顔、なさらないで。私は幸せよ。魔法使いにならなければ、到底、経験出来ない暮らしをすることが出来るのだから」

第三王女として、王族の女性として相応しい教養を身に付け、いずれ親の決めた相手に嫁ぐ。

そんな、ありきたりの王女としての人生よりも、もっと実り豊かだ。

「謁見の日まであと一日。我々も出来るだけのことをしましょう」


もはや、後戻りなど出来ない。ならば、先に進むしかない。

カリンは国を出る前に誓った思いを、もう一度、胸のなかで念じてみせた。

(この世界でたった二人きりになろうとも、私はあなたとともに戦う)


綺麗な月の晩だった。カリンは、夜空を見上げた。

きっと屋敷の一角に与えられた部屋のなかで、ともに戦おうと誓った娘もすることがなくて、同じ様に窓際で夜空を見上げていることだろう。

保護者である大人達のいない、子供達だけの離宮で、二人はよく寝転んで夜空を見上げていた。

どんなことがあっても、二人一緒なら寂しくないねと頬を寄せ合い、語り合った。


異能の血を引く娘を疎んじた国王と、その血筋を隠すために親元から引き離された娘。

二人は大勢の召し使いや教育係に囲まれてはいたが、孤独であった。

広い世界で、たった二人きり。

寂しいという気持ちは、とうに忘れた。


交渉事があれば、まず相手を知ること。

いかに多くの情報を得ているかで、結果が左右されるものだ。

イシュカとビースター・テイルは、かつて共に戦った友好国である。だが、その関係は大きく歪んで様変わりしていた。

うわべだけの友好なんて、何の役にも立たない。

まずはその歪みを正す必要があった。


ビースター・テイルの現国王についての情報はあまりない。

まず、未成年であったため、政治にそれほど関わっていないせいで、人となりが見えてこないのだ。

それと知り得る限り、本人の希望なのかそれとも周りのせいなのか、国内においても、あまり表舞台には出て来ない。

英雄タイガの孫にあたる父親は病死であるが、一部で毒殺を疑われており、唯一の直系である国王を守ろうと過剰な警備が敷かれているからだ。


ビースター・テイル第七代国王 コウガ


この国で最初に攻略しなければならない相手だ。

「…私の腕の見せ所かしら?」

密やかに、うふふと笑う。

独り言のつもりだったのに、叔父に聞かれていたようだ。

「頼むから、お手柔らかにね」

懇願するかのように手を合わせる叔父に、

「それは相手の出方しだいですわ」

と、朗らかに返した。

挑戦的ともとれる物言いである。

「全く、似なくてもいいところが変に義姉上に似てしまったな」

超多忙な現国王の正妃、カリンの母親だ。最初の正妃を亡くした王が娶った二番目の正妃である。

彼女は、後宮並びに王城の女性の地位向上のため、様々な活動を行っている。

嫁ぐ前は父親に、嫁いでからは夫の前に出ることなく、陰から支えるべしと言う貴族女性の在り方を根本から覆すような行動は、挑戦的と捉えられている。

時には夫である国王と対立することさえ辞さない。

「お母様に似ているだなんて、嬉しいこと」

「いや、褒めてないからね?」

夫と姪がなかなか屋敷の中に戻ってこないのを案じたマリーが、玄関先を覗いてみると、楽しげに(主に姪が)語らう二人の姿を目撃する。


二人の少女がビースター・テイルの地を訪れた最初の晩は、これから先のことを思い頭を抱える叔父を間違った方向で慰める姪とのやり取りが遅くまで繰り広げられた。

ある意味、平和であった。















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