第2話 ビースター・テイルに到着する
ガタゴトと馬車に揺られ、一行は獣人の国ビースター・テイルへと到着した。イシュカとは違って、人々の暮らしはのんびりとしていて緑豊かだ。草食系の獣人が主に農業に携わっており、米や麦を栽培している。
イシュカはパンが主食だが、こちらでは米が主食のようだ。ただし、肉食系の獣人は米よりも肉を好む。
養鶏、養豚、そして、牛などの畜産も盛んで農業大国と言っていいだろう。
そして、のどかな田園風景を抜けると王都ラムスがその姿を現す。
周囲を高い城壁にぐるりと囲まれた王都の中に大きな湖があって、その奥に国王の居城があった。芸術の粋を極めたイシュカの王城とは全く趣の異なる質実剛健な城だ。
ビースター・テイルで産出される、焼き上げると強度を増す赤銅色の煉瓦を積がみ上げられた城は堅固な城塞であった。
「それでは確認させていただきます」
王女に随行する騎士から差し出されたイシュカ王家の証を受け取った城門の衛兵がこわごわと確認を行う。
最初は下っぱの衛兵が対応していた。けれど、一行がイシュカ王家の使節団だと知れると即座に一番偉い隊長が応対を代わる。
間違いなく本物だと確認され、門は開かれた。この先、城門の中が王都である。
そもそも、今回のイシュカ王女の訪問は、予め訪問の約束など行っていない。言わば、ぶっつけだ。一国の王女が他国の国王に謁見しようと言うのに、杜撰なことである。
城壁の南北にある城門の一つ、南の城門から
入る。
まあ、イシュカ王家の紋章を見せれば、一発で入場が許可された。
一般の民衆は長い行列を作り、城門での確認を行う順番を今か今かと待っている。
本物だと知った部隊長は飛び上がらんばかりで部下を数名、引率の護衛につけてくれた。
そこからはスムーズに王女一行は進むことが出来た。衛兵の先導で王都内を進んで行く。
「先ずは大使館で旅の汚れを落としましょう」
カリンの言葉に黒髪の娘は不満げに鼻を鳴らした。
「何だ。城まで直行するのではないのか?」
「当たり前じゃないの。一国の王に会うのに段取りもなく、会えるはずないでしょう?
私だって、お父様にお会いするためには予約が必要なのよ?」
「はっ。ビースター・テイルに貴族らしい貴族の習慣があるとは思えんな」
「もう。ここはイシュカではないのよ?口のきき方には気を付けてちょうだい」
カリンが嗜めると娘はそっぽを向いた。
娘の言い分にも一理ある。数百年もの歴史を誇るイシュカとは違って、ビースター・テイルは新興の国だ。
かつて様々な種類の獣人達はそれぞれの地でそれぞれの生活を送っていたが、肉食系の獣人による他の獣人への侵略が後を絶たず、混乱の時代が長く続いていた。
そんな獣人達を纏め上げたのがビースター・テイルの初代国王だ。
彼は様々な獣人から頼られる、獣人による混成部隊を率いていた傭兵団の団長だった。
獰猛な肉食系獣人達を駆逐し、混乱の時代を平定した。別に国王になる気などなかったのだが、大くの民の賛同を得て、初代国王となった。
現王は初代から数えて、七代目である。
「きちんと国交を結んでいるのだから、それなりの対応が必要なの」
娘は異を唱えはしなかったが、不満そうであった。
「全く、もう」
田舎の道とは違い、きちんと舗装された道をガラガラと音をたてて進む。
王城を中心に右側に地位のある直属の家臣などの住む屋敷が連なり、左側はそれより格下の家臣や金持ちの商人達などが暮らしていた。平民よりも権力や財力がある者達だ。
そして、ビースター・テイルの住人以外にも他国の大使館などが軒を連ねていた。
イシュカ王国大使館はその一つである。
「叔父様、お久しぶりです」
カリンを出迎えたのは父親の大勢いる弟の一人であるシュザーク伯爵スチュワートだ。
「あのおちびさんが、なんともはや美人になったものだ!」
先の戦役の英雄と讃えられる国王の、長男である父親とは二十歳近く年の離れた叔父で
まだ三十代前半である。
若々しい叔父に丁寧に再会の挨拶を行った。
「そんな風に堅苦しい挨拶はいらないよ。さあ、入った入った」
カリンは気さくな、この叔父が大好きだ。
幼い頃から魔法の才能が顕著であったため、魔法使いの塔で養育されたカリンは、実は大勢いる親族とはあまり親しくない。
もちろん正妃の娘であるから、誰もが大切にしてくれる。だが、それは薄皮に包まれたような他人行儀なものだった。
血の繋がった家族なのは間違いないのだが、カリンにとって家族と言える存在は限られた者しかいない。叔父はそんな一人だ。
「まさか兄上が君を寄越すとはな」
眩しそうに目を細めた視線の先に黒髪の娘がいる。
「お久しぶりです。お世話になります」
若干ぶっきらぼうではあるが、きちんとした挨拶を交わす。
「やあ、君からそんな風に言われると何だか面映ゆいな」
ここがビースター・テイルだから尚更だ。叔父の言葉の意味を真実、はっきりと聞き取ったのはカリン以外にいないだろう。
娘の出自はそれほどタブーだったからだ。
「ささ、君もどうぞこちらに。妻が中で待っているからね」
ピクリと娘の眉が上がった。それはごく小さな反応だったから、叔父は気付かなかったようだ。
追従の者達は叔父の配下の者達が対応にあたってくれているようだ。側仕えも一旦はこちらの側仕えの指導を仰ぐため、側から離れて行った。
ここはイシュカ大使館。ビースター・テイル内であるが、治外法権の場所である。護衛など必要もない。
カリンらは伯爵に連れられ、大使館の居住区へと足を踏み入れた。
「ようこそ、長旅お疲れ様でございました」
叔父の妻であるマリーが笑顔で出迎えてくれた。
「ありがとう。お世話になります」
カリンは王女なので彼女よりも格上の存在である。それだけでなく、彼女は王族と婚姻するには程遠い下級貴族の、しかも妾腹の娘であった。
王族である叔父が遥か遠い、異国の地の駐在大使などやっているのは彼女を妻に迎えたからだ。
「姫様もおかわりなく」
マリーが姫様と呼んだのはカリンではない。隣に立つ娘だ。
「私は姫などではない」
マリーは困ったように夫を見上げた。
「ほらほら、二人とも。部屋に案内させるから、夕食まで休むといいよ。先に旅の汚れを落としたいなら、湯殿も用意してあるからね」
そう言って妻の肘を軽く叩いた。
「そうですわね。すぐに、案内いたしますわ」
二人が案内されたのは隣り合った部屋だ。
「御一緒がよろしければ、支度いたしますが?」
「もう子供じゃないんだ。一緒に寝たりしない」
複雑な家系に生まれた娘は、カリンとともに育てられた。実父と実母はともにいたが、大人達の都合でそうされた。理由はちゃんとある。彼女の血筋故だ。
実の両親は週に一度、彼女に会いにきた。愛している、大切だと言われても決して家に連れて帰ってはくれなかった。
カリンもまた、魔法使いの塔で養育されているとは言え、寝食は王城内にある離宮でとっていた。正妃である母親も、国王である父親も二人にかまけてなどいられない多忙な日々を送っていた。
異能を持つ王女と隠された血筋を引く娘は、それぞれの理由からお互いに孤独であった。幼い頃は二人で同じベッドに眠った。マリーはそこで侍女として仕えていたのだ。
「申し訳ございません」
素直に謝った。
「幸せ、なのか?」
娘が問う。
「はい!もちろんでございます」
マリーが輝くばかりの笑顔でその問いに答えた。
「ならいい」
娘は自分に割り当てられた部屋へと姿を消した。残ったカリンとマリーはともに顔を見合わせた。
「随分と大人になったでしょう?」
「ええ。本当に」
マリーの目尻にうっすらと涙が滲む。二人の暮らす離宮でマリーは、娘の側で侍女として仕えていた。カリンよりもずっと親密だったのだ。
叔父が彼女を見初め、妻にと望んだ時、随分と荒れた。
自分じゃない、別の者を選ぶのかと、ひどく責められた。それでもマリーは己を心から望んでくれる人へと嫁ぐことを決意した。
「ミュリエル様に面差しがよく似てこられましたこと…」
「ええ。そうね」
ミュリエル、イシュカの薔薇と称せられた麗しの佳人。随分と前に亡くなった姫君だ。
彼女の縁を偲ぶのは、王城に飾られた等身大の肖像画以外にない。
先代国王の愛娘にして、ビースター・テイルの王太子に嫁ぐものの破局し、祖国へと舞い戻ってきた。
彼女が産み落としたのは男子。ビースター・テイルの当時の国王タイガの実子だ。
いわゆる不義の子である。娘はその血を引いていた。
ここは文字通り、娘の故郷であり因縁の地である。
「あの…、カリン様。私達、こちらで様々な情報を入手し、伝も人脈もございます。姫様を必ずお守りいたしますから」
十年間、彼らはこの地にあった。それは身分違いの婚姻が原因であったが、それ以上にマリーほど娘のことを思う臣下がいなかったからに相違ない。
彼女は、王家の者以外で秘密を知る唯一の人間であり、頼もしい協力者でもあった。
「ええ。頼りにしているわ」
翌日、カリン達は旅の疲れを落とし、すっきりとした体調で目覚めた。
朝食の席で叔父が、
「国王陛下との謁見の日取りが決まったよ」
と、告げた。
「それはいつですか?」
「明後日の午後から時間を割いていただけるから、正午にはあちらへと伺った方が良いだろう」
「そうですね」
「前哨戦ではないが、宰相殿を今夜晩餐にご招待してある。同席するかい?」
「もちろんですわ」
カリンが答える。
「君はどうする?」
「私は政治向きのことに興味はない。そっちでやってくれ」
娘の言うとおりだ。もし、彼女が同席したとしたら、余計な先入観を与えてしまうかも知れない。
彼女は両親とはあまり似ていない。亡くなった祖父がよくこう言っていた。
「タイガに瓜二つだ」と。
ビースター・テイルの英雄にそっくりな娘の存在を公にするにはまだ早い。
「今夜が楽しみですわ」
魔法使いは魔法の使い手のみならず、権謀術数を得意とする。各地に散らばる仲間達は優れた諜報部員なのである。
その腕前を披露する機会を与えられ、カリンは逸る気持ちを押さえつけるのであった。
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