生活保護・キッズ1
うちの市では、全市を35地区に分割し、1地区にひとりのケースワーカーを張り付けている。
私の所属する生活保護課には6つの係が存在し、庶務と給付をつかさどる給付係と、6人から7人のケースワーカーで構成された5つの係で構成されている。
ちなみに1地区あたり90世帯から100世帯になるように調整されている。
つまり一人のケースワーカーが100世帯くらいのお世話をしているということだ。
ケースワーカーとして配属される期間はおよそ5年から8年。
2年から3年ごとに地区替えが行われるのが通例。
例年3月末の人事異動が行われ、各係長が仁義なき戦いを繰り広げる。
特に今年は、女性が配属されるということで、なかなか難航したらしい。
その中で私が配属されたのは、西部班。市役所の西側という何とも大雑把なネーミング。
その中で担当地区は11地区。
その11地区に存在するケースの8割が駅の南に建つ改良住宅、別名「九龍城」に住んでいる。
「九龍城」に生活する生活保護者の数が際立って多いため、数調整に、数人しか生活保護者がいない地区を、飛び地的にいくつか担当することになる。
通常、公営住宅関係(公営住宅には市営も県営もある)を担当すると、母子ケースを担当することが多くなり、収入の計算が大変になるらしいが、公営住宅の中でも改良住宅は、高齢者が多く、母子ケースが少ない。
逆に、公営住宅に住んでいない母子ケースと言うのはわずかだ。
母子が生活保護を受給するには、家族で生活するには部屋数が必要なため、よっぽど古い民間のアパートに住むか、もしくは昔ながらの長屋ちっくな安価な部屋を借りなければならない。
これは、生活保護の制度の問題がある。
生活保護の基準で、家賃の上限が決まっているのだ。
うちのクラスの市だと上限4万円。
それ以上は、生活保護者の手出しとなる。
それ以上の家賃を払っている保護者には転居指導を行う。
転居指導とは、要するに、金を出してやるから引っ越せということ。
地方都市とはいえ、上限4万円の家賃で、部屋数があってとなると、やはり公営住宅となる。
そして帰結として、生活保護を受給する母子が公営住宅に集まっていくという構図となる。
だから、公営住宅には母子が多い。
演繹的に、必然的に私の地区には母子ケースが少ない。
今日は、その少ない母子の生活保護者への訪問。
引継ぎ訪問の日だ。
「え!? この間をのぼっていくんですか?」
「ぐふ、・・・そうだよ」
相変わらず高い声で答えるオーク。
高い声には慣れてきたが、その汗はなんだ。
脂肪の替わりに氷かなにかをシャツの下に仕込んであって、それが溶け出したといわんばかりの汗。
涼しいからと言って、午前中に動いたのに、この有り様。
盛夏のみぎりは、どうなってしまうのだろう。
しかし、私の関心事は、むしろ、あの汗をかいた人間と、狭い軽自動車に乗って、一緒に市役所まで帰るということだ。
今から考えても鳥肌が立つ。
「ぐふっ、ぐふっ、ぷしゅう」
歩きながら、変な呼吸が聞える。
大丈夫なのか?
死ぬんじゃないのか?
そう思いながら、絶対に車が入らない坂道を登る。
道も細い。
もちろん、舗装されていない。
でも、家はたくさん建っている。
遠くから見ると、おそらく岩にくっついている藤壺のように見えるに違いない。
斜めの土地にへばりつくように建っている。
建物も古い木造ばかり。
そこから類推するに、車が通るようなことを考える前に作られた住宅。
おそらく戦中とか戦後すぐとかに建てられた家々。
中には明らかに人が住んでいない家も散見される。
いや「散見」ではないな。
人が住んでいない家のほうが多そうだ。
すりガラスの玄関のスライド扉の向こうに、緑色の植物が繁茂している家も多い。
駅から徒歩10分で、この有態。
ドーナツ化現象とは、恐ろしいものだ。
「ぐふ・・・確か・・・ここ・・・着いた」
オークが息を切らせながら、何とか人語をしゃべる。
君は、近接戦闘は無理なタイプだね。
絶対に剣とか振り回せないよね?
かと言って、魔法使いタイプにも見えんが。
話が逸れた。
こんなに汗をかいて大丈夫なのか。
ん? 今、「確か」っていわなかったか?
生活保護のケースワーカーは、定期的に生活保護受給者の家を訪問しなければならない。
「確か」ってなんだよ?
定期的に訪問してるはずだろ?
ケースの家を把握してない・・・はず、ないよね?
不安が募る。
「ぐふ・・・えっと・・・」
オークが書類を出して、名簿と表札を見比べる。
名簿を持ち歩くなんざ、名簿をなくした時の対応を考えると、とんでもないことだと思うが、今回は役に立ったようだ。
ん? でも、何で確認する必要がある?
疑問を投げかける前に、オークはチャイムを鳴らす。
「ぐふっ・・・ごめんくださーい・・・いないのー?」
なぜかやや強気の発言。
オークのメンタル構造は理解しがたい。
カチャリ
ドアが少し開く。
こわごわと顔をのぞかせるのは、1人の少女。
「ぐふ・・・お母さんいる? 市役所のオークだけど」
「・・・お母さん・・・寝てる・・・」
女の子が答えると、女の子が除く隙間の下から、男の子が顔をのぞかせる。
「お、お母さん、寝てます」
オークは、顎で私に合図する。
おめぇに指図される筋合いはねぇとは思いつつ、今後の職場環境を鑑み、ぐっと我慢すると、子供たちに紙片を差し出す。
「あのね、担当者が変わるの。お母さんにこの紙、渡してくれる?」
私は、担当者の変更の連絡が書かれた紙を、子供たちに差し出す。
「・・・はい」
紙を受け取ると、明らかに子供たちの目が「もう、行っていい?」と言っている。
私は素早くポケットをあさる。
自分の子供の餌付け用に持ち歩いてるキャンディを子供たちに差し出す。
「はい、あげる。1個づつね」
「え・・・」
女の子は戸惑う。
「ありがとう!」
しかし男の子は目を輝かせて、私の手からキャンディを奪い取ると、素早く剥いて、口の中にほおりこんだ。
それを見た、女の子も、私の手からキャンディをとる。
「ありがとう・・・お姉さん」
素晴らしい、この子はよく理解している。
私は、久しぶりに心から感動した。
「もう1つづつあげよう」
心からの笑顔付きだ。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
下の子は聡い。
2個目をゲットしたことで、私を味方と認識したようだ。
私も、君たちのことを味方認定しよう。
しかし、私は、この時、とても重要な事を見落としていた。
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