第7話

身支度を終え、部屋から一歩出ると静寂が広がっていた。ここはエルンドラード家の本館ではなく別館。来客が来ないとメイドすらいない。……思い返せば昨日イーサンはメイドを通すことなくこちらの部屋に直接やって来たため、ろくに出迎えもなかったのだろう。今更申し訳ない気持ちになる。


「……いい朝ねえ」


廊下に光を送る窓ガラスに曇りはない。


私に専属メイドがいない、というのは少し語弊がある。この別館に、使用人がアランしかいないのだ。言い方を変えれば、私は使用人のいない小さく豪華な別館に、もう10年ほど隔離されている。



「……さて、お母様とお父様とお話してきましょうか」

「ご無理はなさらず」

「何を言うの。2人ともお優しい方よ」



私と親は決して不仲ではないが仲がいいわけでもなかった。私の発した言葉にそれ以上何も言わないアランはよくできた従者だ。


薔薇の庭園の上にかけられた渡り廊下を進み本館へと近付くと、次第に使用人の声や物音が増えていく。すれ違う使用人は、私へと笑みを向けて「おはようございますお嬢様」と挨拶をした。本館に行くことは頻繁にあるし、別に厄介者扱いされている訳では無いので私のことを疎む使用人はいない。


ただ、たまに「可哀想なお嬢様」という目では見られるが。




本館の廊下の突き当たり。アランが大きな扉を開けると、その一室には既に席についているお母様とお父様がいた。机の中心には色鮮やかな花が活けられる花瓶が置かれている。


「あぁ、ようやくきたか。おはよう、シュガー」

「おはよう、ふふ、髪型可愛くしてもらったのね。少し地味だけど素敵だわ」

「……遅れて申し訳ございませんお母様、お父様。おはようございます」


にこりと私が微笑むと両親も顔を明るくさせる。表情筋の都合で無表情が通常運転なため微笑みは直ぐに消えるが、そんなことは気にせず2人とも上機嫌に「はやく席に座りなさい」と私に告げた。アランはドア付近でただの使用人として待機している。



両親の目の前の席。私の席には朝食がなかった。



「まさかお前が神の声を聞くとはな!しかもこんなに大きな…本当に誇らしい。お前は家の自慢だ」

「もうすぐ学校が始まるけれど、無理をしてはダメよ。あなたの綺麗な肌に傷がつくといけないもの」



私を心の底から賞賛している両親に相槌を打ち、たまに微笑む作業を続ける。いくらお父様の口に肉やパンが運び込まれ、お母様の口にスープが運び込まれても、2人が私だけ何も食べていないことに疑問を持つことは無かった。



「こんな大きな予言をしたんだ、それで十分さ。お前は家の役に立っているよ。学園に通い続けたいのなら構わないが…お前は勉強も結婚もしなくていいんだからな。ただ今まで通り可愛く着飾っていればいい」

「そうよ、シュガー。貴方はただ可愛くあればそれでいいのよ」


「私たちの可愛いお人形さん」



家族仲が悪いわけじゃない。使用人と仲が悪い訳でもない。むしろ溺愛されているのだ。ドレスや化粧品はなんだって買い与えられるし、別館から1番綺麗に見える薔薇の庭園は私のためのものだということを知っている。



ただ、お母様とお父様は少し…狂ってしまっていた。

実の娘を、食事も睡眠も不要で病気にもならないお人形だと本気で思っているほどに。



私を人形扱いする両親にとってアランは人形のメンテナンス係だし、アラン1人でギリギリ管理できる大きさの別館はドールハウスのようなものだ。

何がきっかけで両親の気が狂ったのかは未だに知らないが、幼い頃からそうだった。幼い頃は、私は人形ではなく人間なんだと主張もしたが、本当に気が狂っている人間は想像以上に話が通じない。それを理解してからは両親との対話はやめた。


ころころと話題が変わり楽しげな両親。娘を人形だと思い込む以外はまともで優しい人なのに。

特に話すことも無いため聞き役に徹していたが、実はこうして家族が揃う機会は珍しい。上機嫌な2人が揃う今、色々とチャンスだった。



「……ところでお母様、お父様。」

「どうしたの?」

「私、欲しいものがあるの」


「リゼがほしい」



少し、賭けだった。前に一度だけ別館の新しい使用人をねだったことはあった。でもそのときはお母様にアランをとられそうになってしまい、うやむやになったのだ。紅茶をいれるのが得意なアランがお人形の世話係だと、もったいないという理由で。

そのときはアランが必死に抗議して何とか現状維持に収まったが、アランから「俺は1人でも平気ですから、なるべく旦那様や奥様を刺激しない方向性で……」と釘を刺されたのだ。


アランやアランの父は、フロライトの姓をもつエルンドラード家にとって特別な従者だ。両親が簡単には解雇できない2人だけが、この館で私の味方なのだ。



「……どうして?シュガーも知っているでしょう。この家には使用人が足りないのよ」



エルンドラード家の使用人は減り続けている。お父様やお母様に病院をすすめたり私を人間だと主張した使用人たちは、ほぼ全員解雇されてしまった。

両親からすれば、気の狂ってしまった使用人に暇を出している感覚なのだろう。正直、私が生まれてから常にこの家には使用人が足りていないのだ。



「えっと…、リゼがいると髪型のパターンが増えるわ」



「使用人」ではなく名指しで、両親にとって都合のいい理由で私は彼女を欲しがった。内心ドキドキしていると、お母様がにこりと微笑む。私を甘やかすときの笑顔だった。



「……そうね。ずっとあの従者が貴方の世話をしているものね。確かにそろそろ貴方の世話係を変えてもいい頃ね」


冷や汗が出る。善意の微笑みが恐ろしい。リゼもとい新しい使用人が欲しいのは事実だが、アランがいなくなるのはまずい。ちらりとアランの方を見ると、こちらも冷や汗をかいていた。相変わらず私より動揺している。



「あ、アランもリゼもほしいの…だめかしら。」



結局両親にとって都合のいい理由が思いつかなくて、幼い子が親におもちゃを強請るように素直にわがままを言った。

こどもらしい自分の容姿はコンプレックスだが、それを利用すると強いということも知っている。父と母は、そんな私を見て微笑ましげに笑った。



「あら、そうなの……?…ふふ、好きにしていいわよ。あなたにも少しはご褒美をあげないとね」


「本当にいいの…?嬉しい……ありがとうお母様」



タイミングが良かったのだろう、長年の夢は驚くほどすんなりと叶えられた。じゃあ1人とは言わずもっとくれよと思いながらも、単純に嬉しくて珍しく少し浮かれた声がでてしまう。勝手に話を進めてしまってリゼには悪いが、これでやっとアランの負担が減る。



「でも数人にしておきなさいね。貴方は世界一賢くて可愛いお人形なのよ。使用人に盗まれでもしたら大変だわ…」



そう言ったお母様は本気で私を心配している様子だった。ご心配ありがとうございますと礼を言いながら、私はいつアランの焼きたてのパンが食べれるんだろうかとまた聞き役に徹した。新しい使用人をねだるのは突発的な賭けだったが思ったよりうまくいってよかった。

あぁ、早く別館に戻りたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る