第6話

目を開けるとそこは見慣れた天井だ。まだ少し身体が重いため、二度寝を決行するためにもう一度目を閉じる。


昨夜は大変だった、主に手首が。次々と届く手紙に次々とお返事を書くのが本当に公爵令嬢の務めなのだろうか。お返事係を雇いたいくらいに、この世界はやたらと情報伝達の速度が早い。この国で魔法が1番上手なのは聖職者だが、2番目はおそらく配達業者だろう。いつまでも魔法になんか頼っているからインターネットのひとつも発明できないのだ。



「ああ、今日は二度寝の日なんですね」



うだうだしていると、扉を開ける音とアランの声が聞こえだ。そうだ、今日は二度寝の日だ。だからそのまま帰ってくれ。そう思いながら心地の良い布団を被り直す。


「…………、せっかく朝早くに起きてパンを焼いたのに……」

「……ああもう!起きるわよ!起きたらいいんでしょう!」

「お嬢様、おはようございます」


しょんぼりとした声につられて勢いに任せて起き上がる。私は本当に、本当にこの従者に弱い。甘やかしすぎなんだろうか。


ぱっと顔を明るくさせて朝の挨拶をするアランと、その一歩後ろで微笑ましい目でこちらを見ているメイドのリゼに挨拶を返した。もしや悲しげな声を出したのはわざとなのか?じとりとアランを睨むとリゼがこほんと咳払いをしてにこりと微笑んだ。ギリギリまで寝ていたためか、朝食まであまり時間に余裕が無いらしい。



「お嬢様、おはようございます。旦那様と奥様が本日は是非一緒に朝食をとりたいとのことですので、こちらにお着替えください。」


なるほどそれは遅れるわけにはいかない、と思いつつもあくびをする。よく眠れなかった訳では無いが、どうしても疲れは残っていた。


そんな私を気にすることなく微笑みを絶やさない目の前の女性は、まだこの屋敷に来たばかりだ。栗色の髪を三つ編みにまとめて、緑の瞳がメガネの奥で輝く秋のような少女。なぜだかこの子を見ていると素焼きかぼちゃの種を食べたくなってくる。


そんなリゼがクローゼットから取り出したのは可愛らしいピンクのドレスだ。それを見た私は、思わず眉をひそめてしまう。明るいピンクの布地に映える大きな白のリボンや、袖と裾のフリルなどがとても目立っている。もし私が10歳にも満たない少女だったなら、喜んで着たであろうドレスだ。そう、ドレスは悪くない。悪いのは……成人を目前にして、こういうドレスを人から勧められるほど似合ってしまう私の外見だ。

昨日私の元に大量に届いていた生菓子の贈り物も、周りから勧められるお人形のような幼く派手な服も、私はあまり好きではなかった。



「……あー…、リゼ。それじゃなくて…そこの深緑のドレスにしてくれませんか」


私がため息をつく前に、少し慌ててアランがそう言った。困ったようにアランが笑うと、リゼは戸惑うようにアランと私の顔を交互に見る。この子に悪気はないんだろう。リゼに代わって、アランが指し示したのは落ち着いた深緑の生地に植物を模した刺繍が上品に光る素敵なドレスだった。1歩間違えれば芋っぽく見えてしまうような色合いの布地を最大限に活かし、洗練され尽くしたデザインは私が好む系統だ。



「お嬢様は暗い色の方が良く似合うから」

「……、かしこまりました。配慮がたらず申し訳ございません……」

「いいのよ、私のわがままだもの」



こんな髪色をした童顔の私が、大人っぽいドレスなんて似合うわけないのに。そんなこと、自分が一番わかっている。アランも大概私に甘い。渋々と言ったように桃色のドレスをクローゼットに収めるリゼを横目に、私はようやくベッドから下りた。深緑すら似合わないこの幼い容姿が私はコンプレックスで、アランはそのコンプレックスの大事な理解者だ。

当然、いつか私のコンプレックスの理解者が増えてくれたらいいなと思うこともある。しかし残念なことに、理解者の前に私の周りにはそもそも人自体があまりいない。それがまず第1かつ最大の問題ではある。


そして、何食わぬ顔でいつものように私からパジャマを脱がせようとするアランに今度こそリゼがたいそう不満そうな悲鳴をあげた。



「アラン様、一体何を……!」

「ああ、いいのよ。アランは目を瞑ってるから見えていないわ」

「そういう問題ではなく!」

「俺もできる限りお肌に触れないよう頑張ってますので……」

「そういう問題でもなく!!」



一体お嬢様のメイドは何をしてらっしゃるのと大層困惑した様子でリゼが言う。異性の使用人が着替えを手伝うこと自体はそれほど珍しいことではないが、年頃の年齢だとさすがに少し気になるんだろうか。小さい頃からこれなので、今更意識はしない。

……それにリゼはこの家について、まだほとんど何も知らない。



「俺は性別とか関係なく、本来お嬢様のそばにいたはずの者すべての代わりになれたらと思っているんです」



おそらくはリゼに向けた言葉なのだろう。私は何も言わなかった。

この間にも、アランができる限り目を伏せながら慣れた手つきで私の身支度を済ませていく。それに気付き、慌ててリゼも私の身支度に参加した。ドレスの裾が上品に広がる。



「私に専属のメイドはいないのよ、リゼ。普段は部屋の模様替えのときくらいしかメイドと会わないから、今日は貴方がいて驚いたくらいだわ」

「えと、わ、私は…奥様にお嬢様の支度を手伝えとご命令されて…」

「へえ。お母様はよっぽど今日の朝食に気合を入れているのね」


「お母様が私に専属メイドをくださらないからって、人に身支度されることに不慣れなままだと公爵令嬢として恥をかいてしまうでしょう」



そう言うと、リゼは顔を俯かせて小声で謝罪をする。そんなに気にしなくてもいいのに。


社交界では、見知らぬ使用人に身支度を手伝われるシチュエーションが稀に訪れる。そんなとき麗しのシュガー・エルンドラード公爵令嬢様が、メイドに身支度を手伝われ慣れていない様を晒すわけにはいかない。1人でも着れるような、装飾の少ない身軽なドレスで食事ができる身分では無いのだ。



「……寝不足になるほどおひとりで手紙の返事を書く公爵令嬢は恥じゃないんですかね」



嫌味を言うアランの声とともに私の着替えが終わる。リゼの協力もあって完璧だ。きらりと、繊細な刺繍が朝の光に反射した。


確かにお返事係を雇いたいとは願ったが、手紙の返事を書くくらいは全部自分で行ってもべつに恥ではないだろう。

それとも親に甘やかされまくってるご令嬢は、本当にお返事係を雇って手紙の返事の書き方すら知らなかったりするのだろうか。



「髪はリゼにやってもらおうかしら」

「!はい、光栄です………えと、何かご希望の髪型などはございますか?」

「今日は特に出かける予定もないし緩めでいいわよ」



ドレッサーの前に座り、鏡越しに微笑んだ私を見て顔を明るくしたリゼがすごい速さで準備をしせっせと髪を梳かし始める。アランがシーツを変えベッドメイキングを始めたのが鏡越しに見えた。



「別にね……お母様や館の使用人と仲が悪いわけじゃないのよ、本当に」



先程の俯いてしまったリゼに弁解するように、鏡に向かってそう呟いた。


もし1人でなんでも出来る様を他者に見られて、やはりエルンドラード家の家族仲は悪いらしいと噂されてしまえば終わりだ。一人娘に専属メイドの1人すらつけていないということがバレてしまえば、社交界では一気に私への同情が囁かれるだろう。私はそれをなにより恐れている。


アランに毎朝身支度を手伝ってもらうのもぜんぶ、私は世話をされ慣れているんだと見栄を張りたいだけで。つまらない貴族の意地だった。

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