第1話

閃光。濁流のように全身に流れ込んでくる「前の私」の記憶。熱湯を被らされたような衝撃が私を襲った。


これは、前世の記憶、というのだろうか。記憶と意識の波が混ざり合うなかで、私は全てを思い出す。


……主にこの世界が私が生前プレイした監獄系乙女ゲーム「ときめきプリズン 〜王国の犯罪者と禁断の恋〜」、略して「ときプリ」であるということを、全て。思い出したのだ。乙女ゲームもなかでも厄介な部類であることはタイトルで一目瞭然だろう。監獄に入れられたなら恋愛よりも贖罪をして欲しい。


簡単に言えば、高貴な身分の犯罪者たちの獄中恋愛がテーマの倫理観大崩壊の乙女ゲームである。おそらくこのゲームは国家や法律をナメている。



記憶にあるのは、仕事で忙しいなか怠惰にプレイしつつなんとかクリアして収めた友情エンド。友情エンドは全員で協力して災害の混乱に乗じて脱獄する終わり方だった。バッドエンドでしょこれ。


乙女ゲームに犯罪なんて物騒な刺激なんて必要ない。人が死ぬ必要なんてない。甘ったるいくらいの平和な世界が現代人の私には合っている。ゲームを起動したまま、自室のベッドの上でただ目を瞑った。ーーそして暗転。



前世の私はそのまま眠るように、眠らされるようにその日常に幕を閉じた。



混乱のまま頭を整理する。この世界が、私が記憶している通りの世界だとすると、大問題が数え切れないほどでてくるのだ。本当にわんさか出てくる。大問題を数える指が足りない。



「お嬢様…?何かありましたか?…入ってもよろしいですか?」



部屋の向こうから待機している従者のアランの怪訝そうな低い声が聞こえてハッとする。


今日はいつも通りの朝だった。私は礼拝堂に1人神の声に耳を傾けていた。本当にいつも通り、適度に力を抜いて形だけの祈りをしたはずなのに。今日は明確に結果がいつもとは違う。まさか前世を思い出すなんて。


こうした礼拝堂での祈りは、このウィズテリアという国に生まれた公爵令嬢に義務付けられた週に一度の習慣だ。この国では高貴な身分の女性は、一生に一度だけ神の声が聞こえるとされている。


……そう、ここはファンタジーな世界。日本とは違う。そのため、大抵の由緒正しき貴族の家には専用の礼拝堂が併設されている。


許可も出していないのに、不審に思ったのかアランがそうっと扉を開ける。従者が主人の許可無く部屋の扉を開けるとは何事か。今更特に気にしないけど。


…ステンドグラスから差し込んだ陽の光がそれぞれの色に光る。こんなに綺麗な景色を見せる世界が、監獄内での恋愛なんてもののために作られたかと思うと、虚無感のようなものが胸に溜まった。



「お嬢様?」



ゆっくりと振り返ると、アランの綺麗な銀色の長髪が太陽の光に反射して煌めいている。従者の癖して、私の子どもっぽい桃色の髪よりもよっぽど高貴な髪をしている。


……ただの従者にしては派手すぎる髪色、整った顔立ち、凛々しい瞳。それら全て、アランがゲームの「攻略対象」だからなのだろう。長年の疑問が解消されたような気がする。


私がいつものように無表情で突っ立ってるのを見て何事も無かったと判断したのか、綺麗な髪に似合わない力の抜けた笑みを彼はこちらに向けた。私を信頼し切った、幸せな日常に蕩けた平和な笑顔。その笑顔は崩したくないなあとどこかぼんやりと思った。



「…ねえアラン」

「どうかされました?そうそう、先程のお茶会でお嬢様が食べ損ねたと言っていたクッキーをお持ちしたんですが…」

「私、一年後に殺されるみたいよ」



え、というアランの声をかき消すように、大きな音を出して美味しそうなクッキーとともに皿が割れる。この優秀な従者が皿を割るだなんて珍しい。アランは、次第に何かを理解したかのように青ざめていく。


神の声を聞くためのこの場所で、先程の言葉が冗談でもなんでもないということを察したのだろう。普通は神の声が聞こえれば周囲にもわかるほどの光が溢れると聞いたのだが、彼の様子を見るにそういった分かりやすいことは起こらなかったらしい。


彼は私の数倍動揺しているようだった。

視線をうろうろと迷わせ、私と目が合うと泣きそうな顔をしてまた下へと目線を逸らしてしまう。なぜあなたがそんな悲しそうな顔をしているの。まだ私は死んでいないのに。


彼の方へと歩みを進めて距離を縮め、震えるアランの手を両手で包み込む。私より背の高い彼がまるで小動物のような瞳をしているのがなんだかおかしかった。




「……お嬢様…」

「なあに」


手を握られて少し落ち着いたのか、覇気のない声で彼は私を呼んだ。ぎゅ、と眉間に皺がより今にも泣きそうな顔で彼は私を見ている。


「…殺される、って……。神の声を聞かれたのですか?ただ死ぬのではなく……、そんな……貴方のようなお方がどうして」

「スパンと剣で首を切られるのよ」

「死因を聞いたんじゃありません!」



キレ気味のツッコミを入れられた。従者は拍子抜けしたのか少し落ち着いたのか、ため息をついて頭を抱える。首…首が…と何やらブツブツ呟いているが。

私がなぜ殺されるのかは私だって知らない。



ーー前述した監獄系乙女ゲームには、グロスター公爵家の末弟であるイーサンという攻略キャラクターが登場する。説明文で、真面目で素直と称される無愛想気味のキャラクター。


私の幼馴染だ。


この世界で、貴族が監獄に入れられてしまうのは大抵の場合は隠蔽のしようがない「殺人罪」だ。

こんな世界観のゲームで死刑制度がないのはさすが日本製のゲームといったところか。塔のような寂しい北の地の監獄で一生を過ごすのは、貴族にとっては十分な罰なんだろうけど。



……イーサンは近い将来、シュガー・エルンドラード公爵令嬢を殺した罪で監獄に入ることになる。



スチルも立ち絵もセリフもない、ただ「シュガー」という印象的な名前のみが出てくるキャラクターが私なのだ。イーサンのルートに入らずとも見ることができる、序盤の回想シーンに死体の影だけが登場するただの被害者だ。



「…一年後に首を切られて死ぬ、というのがお嬢様が聞いた神の声なんですか」

「それはほんの一部よ。他にもいっぱい流れてきたわよ、驚いたわ。頭が茹で上がるかとおもったわ」

「予言で前もって知れたことを神に感謝すべきなのか、何だか軽いお嬢様を叱るべきなのか……」



アランは半泣きで呆れ気味に、とりあえず割れた皿を回収している。自分より取り乱してる人がいれば案外冷静になれるものだし、自分より軽い人がいれば案外冷静になれるものである。


この先程から感情豊かに私と対話しているアランも「ときプリ」のキャラクターの1人で、ゲーム中では立派な犯罪者だ。彼も、今から一年後には大罪を犯して監獄に入れられてしまうのだ。



……でもこの事実を今すぐ言いふらすわけにはいかない。イーサンと違って、身分がそこまで高くないアランは罪を犯す前に監獄に入れられてしまうかもしれない。アランだけに伝えるとしても、私を信じきっているアランが自ら腹を切る可能性だってある。



「ねえアラン。……今は私は貴方に何も言えないわ。それでも貴方の協力がきっと必要になる…。私にはあなたしかいないもの。……協力、してくれるかしら」



この子になら全て話してもいいと思うほどの信頼はあるが、あまり重荷を背負わせるのも可哀想だ。


でもだからといって、一年後に死ぬ運命を易々と受け入れる訳にはいかない。私は友人に殺されるつもりも、目の前の優しい男を犯罪者にするつもりだってさらさらない。


親の協力はきっと得られない。だから私には頼れる身内はアランしかいない。一人で出来ることには限界がある上に些か寂しい。無責任な私の言葉にアランは少し安心したように笑った。



「勿論。…なんでもいたしますよ、俺のお嬢様」



震えを抑えて膝をつき、アランは私を安心させるように笑う。そして、誠実に、切実な瞳で私の手をとり口付けた。銀髪が揺れる。視界の端で、私のふざけた桃色の髪も揺れた。


改めて忠誠を誓う従者に主人は満足げに微笑む。

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