第267話◇銘々(2)

 



 昼下がり。


 ドルバイト家の庭園は、幼い頃から二人のお気に入りの場所だった。


「うーん、この子まだ咲かないね」


 悩ましげな表情で、マイカが蕾に顔を近づけている。

 淡い黄色を帯びた灰色の毛髪と瞳。大人しそうな顔をしているが、彼女が無邪気に笑うことをトルマリンは知っている。


「そうだね」


 トルマリンの気のない返事を変に思ったのか、マイカがこちらを向く。


「どうしたの?」


「いや……」


「ヤクモもアサヒも、元気そうで安心したね」


 彼らは帰還したその日に、夜の任務に参加した。

 久々の《班》行動で分かったのは、彼らの動きが更に洗練されていたこと。


「そのことではないよ」


「そ? じゃあ……ぼくのことで当主サマに怒られた、とか?」


 途端にマイカの表情が曇る。

 ドルバイト家に限ったことではないが、《偽紅鏡グリマー》を道具として見ている者達は彼ら彼女らを家に入れない者も多い。


 そんな中、長兄であるトルマリンはマイカを対等なパートナーとして扱っている。今もこうして敷地内に招いて花など見ているのだ。


 魔法を持たない彼女を相棒とすることを、父は認めてくれた。


 だからといってそれは、快く思っているわけではない。

 度々注意を受けることはあった。


「まさか」


「ほんと? じゃあ、なんでそんな顔してるのさ」


 すすす、と近づいてきたマイカは、ぐいぐいと指でこちらの頬を押してくる。

 その手を優しく掴んで離す。


「本戦が始まるだろう? 少し、悔しくて」


 トルマリン組は去年、本戦に出場した。

 だが今年は予選の一回戦で敗退。


 ヤクモ組に負けたことは認めているが、それと悔しさは別。


「おぉー……」


 意外そうな顔をするマイカ。


「変なことを言ったかい」


「いやぁ、トルも男の子っぽいところがあるんだねぇ」


 今度はなんだか嬉しそう。

 トルマリンに掴まれていた手をもぞもぞ動かし、いつの間にか手を繋いでいるような状態に。


「大丈夫、トルが強いって、ちゃんとみんな分かってるよ」


「わたしとマイカが、強いんだ」


「そう? でもそっか、ぼくといたいが為にあれだけ魔力操作を頑張ったってことは、今のトルの強さはぼくのおかげとも言えるわけで。うん、そうだね。もっと感謝すれば?」


 悪戯っぽく笑う彼女は、トルマリンをからかっているつもりらしい。

 そのままでもよかったが、たまには仕返しをしてもいいだろうと思いつく。


「その通りだね、ありがとう」


 彼女を正面から見つめて、微笑む。


「うっ……!? ちょ、っとやめてよトル、冗談だって」


 彼女の白い肌がみるみる内に赤くなっている。


「わたしは本心を言っただけだよ」


 照れが限界まできているのか、彼女は空いている方の手で顔を隠してしまう。


「わ、わかったから……」


 どんな顔をしているのだろうと、その手を退けようと腕を伸ばしたところで。


「トルマリン様! 愛しのシベラが参りましたわ!」


 叫びながら庭園に入ってくる者を確認して、二人は咄嗟に離れた。


 マイカが一瞬不満げな顔をしたが、相手が相手だ。


 ツインテールに結われた髪の色は赤紫。同色の瞳は吊り目がち。


 『青』の十七位シベラ=インディゴライト。

 トルマリンの婚約者である。


 彼女は二人を見て、視線を鋭くする。


「……相変わらずお優しいのですね。このような所にまで《偽紅鏡グリマー》を連れ歩くだなんて」


 そう言う彼女は《偽紅鏡グリマー》を連れていない。


「今日はどうかしたのかな、シベラ」


「あら、用件がなければ婚約者に逢いに来てはならないと?」


 どことなく拗ねたような声を出すシベラ。


「そうは言っていないよ」


「一応、ご報告をと足を運んだのです。トルマリン様は風紀委の連中と懇意にしているとのことですから」


「あぁ、確か一回戦で」


「えぇ。心配するほどのことではないかもしれませんが、トルマリン様の友人と戦うわけですから……その」


 彼女の心配を理解する。


「どうか安心してほしい。真剣勝負だと理解しているよ。その勝敗できみや彼女への態度を変えることはない」 


 パァッとシベラの表情が明るくなる。


「さすがトルマリン様、シベラは信じておりました!」


「あ、ありがとう」


「ちなみにトルマリン様は、どちらの応援をなさるおつもりで?」


 婚約者と仲間。


「どちらも、というわけにはいかないのかな」


「……トルマリン様らしいですわ」


 シベラの浮かべた笑みは、無機質だった。


「では、今日のところはこれで失礼いたします」


 普段であればあれこれ理由をつけて長居するシベラが、その日は素直に帰ってしまう。


「あーあ、怒らせちゃったね」


 マイカが言う。


「嘘を吐きたくはない」


「乙女心を傷つけて、罪な男だねトル」


「きみを応援していると、そう言えばよかったのかい?」


「そしたら、ぼくの機嫌が悪くなってたよ」


 正解など無かったということ。


「トルはさ……いや、いいや」


 マイカが言いかけた言葉が何か、トルマリンには想像がつく。


 ヤクモのように、人間と《偽紅鏡グリマー》など関係なく相手を愛おしんでいるのだと、周囲に言えればいいのだが。


 トルマリンはそれが出来ずにいる。


「いつになったら咲くのかな」


 再び花に視線を戻したマイカが、ぽつりと漏らした。



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