第268話◇銘々(3)

 



 夜、ヤクモは寝苦しさに目が覚めた。


 寮室のソファーの上。

 身体が重く、上手く動かない。


 金縛り? と一瞬思うもののすぐに否定。

 温かく、柔らかく、呼吸を感じるそれには覚えがあった。


「……ラピス?」


「さすがはヤクモね。目を開けるまでもなくわたしだと言い当てるだなんてさすがとしか言いようがないわ。参考までに聞かせてほしいのだけど何を理由にわたしだと気づいたのかしら? 押し当てられる胸の感触? それとも匂い? それともわたしであってほしいという願望を口にしただけ? わたしとしては最後のものがオススメなのだけれど」


 やはり彼女だ。


 目を開く。ヤクモの頬を、彼女の髪が撫でた。


「どうかな……なんとなくだよ」


 そもそも選択肢が妹かラピスくらいしかない。

 内心の動揺を抑え、やんわりと彼女を退かそうとする。


「んっ」


 ふよんっ、と柔らかい感触。

 何かを堪えるような、ラピスの甘い声。

 明かりの落ちた室内は真っ暗だ。

 腹部に手を伸ばした筈だが、誤ったかもしれない。


「ご、ごめん」


「いやらしい手つきね」


「そんなつもりは……」


「撫で回すようにお腹を触るなんて」


「やっぱりお腹なんじゃないか……」


「あら、腹部なら撫で回してもいいと?」


「きみが布団に忍び込んできていなければ、そんなことしないよ」


「してもいいのよ、あなたなら」


 耳元で蠱惑的に囁く声。

 彼女はヤクモに覆い被さっていたが、ソファーに腰掛けるように体勢を変える。


「《アヴァロン》はどうだった?」


「綺麗なところだったよ。けどその話はしたよね」


 就寝前、風紀委の《班》で壁外の警戒にあたっていた。

 その時に一通り話していたのだ。


「そうね。けれどほら、普通の人は本題に入る前に世間話で時間を無駄にするものなんでしょう?」


「どうだろう」


「わたしとしては、あなたとならもっと無駄を楽しみたいところだけれど」


「アサヒが起きてくるよ」


「本題に入りましょう」


 聞かれたくないらしい。


「本戦の組み合わせは見たでしょう?」


「ぼくらとラピス達があたるとしたら、決勝だね」


「そのことで話にきたの」


「……あぁ、うん」


 嫌な予感がする。


「『光』の一位と賭けをしているそうね」


「してないけど、そういう話は出ているね」


「わたしが優勝したら、結婚しましょう」


 また突飛な話だ。

 いや、以前から婚約者を自称しているあたり、そうとも言えないのか。


「僕らは負けないよ」


「なら、負けた時の条件に何を乗せても問題ないでしょう」


「僕らが勝ったら?」


「結婚してあげる」


「それって、何が違うの?」


「冗談よ」


 どこからどこまでが、だろう。


「あなたたちが勝った時の条件は、そちらで決めて貰って構わないわ」


 賭け自体は決行するつもりらしい。


「うぅん」


「負けないのでしょう?」


「そういう問題かなぁ」


「形から入るのもありだと、わたしは思うわ。結婚から芽生える愛もあるかもしれないでしょう」


「順序が逆なような……」



「話は聞かせてもらいました!」



 部屋の明かりがつく。

 急に明るくなり、一瞬視界が白くなる。


「あらアサヒ、盗み聞きとはいただけないわね」


「不法侵入者が人の罪を咎めますか」


「痛いところを突かれたわ」


「兄さんに触れた罪と合わせると死刑が妥当なところを生かしておいてやるというのです」


「聞かせて頂戴」


「わたし達が勝ったら、今後兄さんに身体的接触をしないように」


「……いいわ。ただ一つだけ」


「なんですか」


「わたしの方から、身体的接触はしないようにするわ。それでいい?」


「兄さんの方からラピスさんに触ることがあるとでも?」


 はんっ、とアサヒは馬鹿にするように笑う。


「問題ないでしょう?」


「えぇ、そんなこと有り得ませんから!」


 にやり、とラピスが笑った。


「な、なんですかその顔は」


「なんでもないわ」


 ――最初から、アサヒにも聞かせるつもりだったんだな。


 ヤクモだけでは交渉に乗ってこない。

 だがラピスのアプローチをお疎ましく思うアサヒからすれば、それを無くせるいい機会。


「言っておきますが、前回と同じ結果になりますよ」


「あなた達は強いわ。けれど、同じ結果にはならない」


 魔力的才能で圧倒的に劣るヤクモ達が勝利を収めるには、技術で相手の裏を掻く必要がある。

 敵の虚を突くことが重要なのだ。


 大会を通してヤクモ達は強敵と戦う度に手の内を晒し続けている。

 余程上手くやらねば、一度使った手は通じないだろう。


「その前に、ツキヒとグラヴェルさんに負けるでしょうね!」


「妹贔屓なのね」


「もう帰ってください」


「そうするわ」


 立ち上がる寸前、ヤクモの太腿を撫でるラピス。

 アサヒの表情が険しくなる。


 薄笑みを湛えたまま、ラピスは窓の外に消えた。


「……侵入経路を潰さねば」


 使命感に燃えるアサヒ。


 そういえば、と思い出す。彼女の相手は確か――。


 一回戦。


 《皓き牙》学内ランク九位《氷獄》ラピスラズリ=アウェイン

 対

 《蒼の翼》学内ランク十七位《蒼炎》シベラ=インディゴライト


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