第266話◇銘々(1)

 



 ラブラドライトが寮室に帰ると、扉を空けてすぐのところに一枚の紙が落ちているのが目に入った。


 不在中に、扉の下から入れられたものだろう。

 拾い上げて、中身を確認する。


「ラブ?」


 妹のアイリが、ひょいと顔を覗かせて紙を見た。


 それは本戦の組み合わせ表だった。


「……ありがたい」


 勝ち進めば、ヤクモ組とは準決勝、グラヴェル組とは決勝であたる。

 それだけではない。


 ラブラドライトが才無き者の可能性を示す為には、象徴的な存在である五色大家縁の敵を倒すことが望ましい。


 一回戦。


 《燈の燿》学内ランク四十位《月暈ヘイロー》ラブラドライト=スワロウテイル

 対

 《紅の瞳》学内ランク三位《人形師》コース=オブシディアン


 そして二回戦では、クリストバルとあたる可能性があるときている。


 全てが上手くゆけば、コース、クリストバル、アサヒ、ツキヒとオブシディアン家の血を引く者全てを打倒出来るのだ。


「五色大家の筆頭……申し分ない」


 ラブラドライトの浮かべる笑みは、《アヴァロン》での出来事を通じてヤクモ達に向けるようになったものとは別種の、冷たく暗いもの。


「ラブ」


 気遣わしげにこちらの腕に触れる妹にも気づかず、ラブラドライトはしばらく紙を見つめていた。


 ◇


 オブシディアン家、書斎。


 コースとクリストバル兄妹は揃って父に呼び出されていた。


「ご安心下さいお父様。わたしが必ずやクリス兄様の恥辱を晴らしてみせます」 


 緊張した様子のコースが、それでも自信を漲らせて父にアピールする。


 大会予選、クリストバルは決勝にてラブラドライト組に破れた。

 兄を恥を掻かせた相手を自分こそが潰して見せると、コースは言っている。


「そうか」


 だが、父はまるで興味を示さない。


 クリストバルもコースも、他のきょうだいも知っている。


 父は早い段階で、子供達への評価を済ませていた。

 彼が最も優秀だと考えたのは、ルナ。

 既にその名と家名を捨てツキヒ=イシガミを名乗っている、《偽紅鏡グリマー》だ。


 父の視界に映る為には、優秀なだけではだめなのだ。天才なだけではだめなのだ。

 天才の群れの中でも、一際強い輝きを放つことが出来なければ、一瞥さえも望めない。


 他の弟妹はそのことに傷つき、今も苦しみながら努力を続けている。

 だがクリストバルはとうに諦めていた。


 認められることを、ではない。

 父そのものを、だ。


 正しく子供達を見ることさえも出来ない人間に、認められたいなどと思わない。

 父が黒く美しい幻影に囚われていることは、見る者にとっては明らか。


 マヒル=カミナギ。

 アサヒとツキヒの母。父が為に折れた刀。身を挺して主を守った武器。

 だが、父にとってはそれ以上であるようだ。


 ――下らん。


「我らが証明いたしましょう。オブシディアン家こそが、五色大家の頂点であると」


 クリストバルのその言葉にも、やはり父は無感情に応えるだけだった。


 一回戦。


 《蒼の翼》学内ランク六位《無傷むしょう》アンバー=アンブロイド

 対

 《燈の燿》学内ランク二位《銀雪》クリストバル=オブシディアン


 ◇


「ちょっと、きみ今なんて言った?」


 ツキヒの言葉に、相も変わらずボサボサの髪をした飴色の少女・アンバーが震える。


「え、えぇとぉ……オブシディアンの方に勝てるとは思えないので……き、棄権しました」


 震えた振動で大きめのメガネがずれる。

 それをとろい動きで直そうとする彼女は、とても本戦に駒を進めた実力者には見えない。


 ツキヒはアンバーを喫茶店カフェに呼び出していた。

 別件で用があったのだが、本題に入る前の会話で棄権したと聞いたのだ。


 アンバーといえば、ツキヒも認める『治癒』魔法の遣い手だ。

 その能力を己に向けた時、彼女は登録名通り無傷がまま戦いを続けることが出来る。

 だけに留まらず、彼女の『治癒』は攻撃に転用出来るレベルまで高められていた。


 確かに初戦でクリストバルとあたるのは災難だが、戦う前から投げ出すとは。


 ――いや、こいつの場合……。


「打算込みなんでしょ」


「うっ!?」


 カップに触れていた手が震え、半ば浮いていたカップの底がソーサラーの落ちる。 

 キン、という音が思いの外響き、周囲の客の視線を一瞬集めた。


「きみ、壁外活動させらない程度の実績があればいいんだもんね。本戦進出なら充分だし、クリストバル相手に棄権ならきみの能力もあって賢明な判断と思われる。とか、そんなあたり?」


 アンバーは目を泳がせたが、すぐに誤魔化すのを諦めて頷いた。 


「そ、そうです」


「腰抜け」


「うぅっ、ひどい……」


「予選できみに負けた奴らが可哀想になってきたよ」


「わたしをいじめる為に呼び出したんですか?」


「だったら文句ある?」


「え、えぇ……」


 アンバーが涙目になる。


「冗談だよ」


 本気で安堵したように、胸を撫で下ろす飴色の少女。


「きみをツキヒの《班》に入れてあげようと思って」


「――え?」


「少し前から考えてたんだよね。ツキヒとヴェルは最強だけど、それで全部片付くほど簡単な戦いばかりじゃない。頭の悪い魔獣くらいなら問題じゃないけど、そうじゃない戦いもあるから」


 特殊な任務時に編成されるその場限りの《隊》とは違う。通常の任務を共に全うする《班》。


 姉とヤクモは『白』の風紀委で固まっている。そこに入ることも出来るだろうが、あの《班》は今でも充分過ぎる戦力が集まっている。


 一つの《班》を強化するというよりは、姉と共に戦える《班》を用意しようとツキヒは考えた。


「あのぉ、その、すみません、突然のことで頭がまとまらなくて……」


「壁の上に突っ立っててもさ、死ぬ時は死ぬよ。セレナとかいう魔人の件は覚えてるでしょ」


 アンバーが顔を真っ青にした。少女が最も安全かつ安定した職業だと考えている『青』だが、つい最近壁の縁に立っていた職員がセレナに皆殺しにされたばかりなのだ。


「どっちが安全? 実戦経験に乏しい同僚と見張りをするのと、ツキヒの隣にいるの」


 アンバーは臆病だが馬鹿じゃない。

 それに、何かと怯えてばかりだが能力は確かだ。

 なによりも、戦場での動きは見事の一言。

 心の内にどれだけの恐怖を抱えていても、彼女の仕事は常に一流のそれだった。


「…………考えさせてください」


 即答しろと言いたいところだが、考える時間が欲しいというのであれば仕方ない。


「いいよ、待ったげる」



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