第255話◇証明




 ただ、どんな『力』にも限界がある。

 人としての天運を放棄することで、成長は止まり常人よりも長くこの世に留まることが出来る。

 契約で、聖剣を発現させている間は傷を負わない。

 それでも不老不死とはいかない。

 理を騙すことは出来ても、壊すことは出来ない。


 更に、加護にも限度があった。

 考えれば当然だ。

 『代償』には種類がある。先払い、後払い、継続した支払い。


 身体を鍛えて筋力を得たり、魔力を消費して魔法を使うなどが先払い。

 行動の後に罪悪感・天運の歪みが生じるパターンが後払い。

 そして『約束』は最後者だ。継続することに意味がある類の『代償』。そうしたことには意味がある。加護を維持する為に、常に何かを強いる必要があった。


 だが、見落としがあった。

 代償が大きければ大きい程、得られる力は大きくなる。

 特定の言行を代償とする場合、達成難度が重要になる。

 簡単なことでは、大した代償にはならないということだ。


 ヴィヴィアンとの約束事は、人間という生き物にとってとても難しいこと。

 だが、アークトゥルスはそれを■百年もの間、守り続けてきた。

 どれだけ不信を買おうと、疑われようと、責められようと。


 彼女にとって、それはとうに『当たり前のこと』になってしまったのだ。


 どうやら、世界から見て、もうそれらは『代償』とは認められないようだった。

 いずれアークトゥルスの身は朽ち。

 枯れた湖と、《騎士王》を失った《アヴァロン》と、自分が残る。


「契約を放棄しろ、湖の乙女。《騎士王》はもう限界だろう」


 アカツキとか言ったか、侵入者がアークトゥルスに刃を向けながら降伏を迫る。

 ヴィヴィアンは這うようにしてあるじの許に近づく。


 あの時、魔力の解放でアークトゥルスの身体は消滅していてもおかしくなかった。アカツキに斬られた刃の残り半分、折れた聖剣がまだ手の内にあったから、死なずに済んだのだ。

 無傷の保証は薄れたが、それでも死の到達は防げた。

 ただ、今となってはこれも無限の力ではない。


「正直に言えば驚いたよ。加護は確実に弱まっている。全盛期の半分もないと聞いていたのに、それでもこれだけのことが出来るんだからな。この時代まで残っている精霊だけはある」


 馬鹿だな、とヴィヴィアンはアカツキを愚かしく思う。

 自分が凄いのではない。自分はただ、加護を与えるだけ。それで何を為すかは、契約者次第なのだ。

 他の誰を選んでも、今の《アヴァロン》は無い。

 過去、これだけ強い契約者はいなかった。


 彼女だから、■■■だから、アークトゥルスだから、ここまで。


「ア……、ク、……ル……、さま」


 倒れるその姿は、邂逅の時を思わせる。

 契約してからしばらくのことだ。■■■がヴィヴィアンに名前をつけてほしいと言い出した。


 彼女なりに父親の行動を理解し、意識的に過去と決別したかったのかもしれない。

 ヴィヴィアンはかつての夜空に輝いていた星の中で、一番好きだった星の名前を挙げた。

 その日から、童女はアークトゥルスとなったのだ。


「……いや、オレが間違っていたな。馬鹿なことを聞いた。出来るわけがないよな、長い時を共にした契約者を、自分の判断で死なせるなんて、出来るわけがなかった。悪かったよ」


 なんとかあるじの許まで這ってきたヴィヴィアンを見下ろして、アカツキは頭を揺すった。


 ヴィヴィアンが上手く動けないのは、アークトゥルスの魔力解放の影響を少なからず受けているから。

 放っておけば、また動けるようになるだろう。

 だが、アークトゥルスは違う。


「契約を破棄すれば、《騎士王》は本当に伝説と化してしまう。語り継がれるだけの存在に。最初から、オレが契約の履行が不可能な状態にするしかなかった」


 それはつまり、アークトゥルスを殺すということ。

 ヤクモ組も、グラヴェル組も、ラブラドライト組も、騎士達も助けようとしてくれている。

 だが、様子のおかしい者たちが増えていた。

 ヴィヴィアンの考えを見透かすように、アカツキが言う。


「これだけ空気中の魔力濃度が上がると、酸素の不足から呼吸が困難になる者もいるだろうな。魔力適性が並程度でも魔力火傷の症状は出る濃度だ。身体機能や体質は、努力ではどうしようもない」


 ヤクモはなんとか地上に降りたものの、膝をついてしまう。

 それでも彼は、こちらに向かっていた。


「《騎士王》も酷なことをする。純血のヤマトにあんな魔力を浴びせればどうなるかくらい、分かっていただろうに。……そうと知って応えるヤクモは、どうしても惜しいな」


 そんな彼に、近づいてきたランタンは肩を竦めた。


「まだ懲りないのかアカツキ。理解出来んな。この程度で使えなくなる人間が、何故惜しい」


「太陽の光だけで目が灼ける魔人が、それを言うのか」


「……人間の精神は暗闇に長く置かれるといかれるらしい。帰還したら貴様で試していいか?」


 動ける者達がこちらに来れないのは、ランタンの操るゴーレムに阻まれているからだ。


「談笑は後にしよう。腕の心配も、後でしてくれ」


「あぁ、さっさと済ませろ。いかに幼く見えようと、最早人間とは呼べぬ存在だ。躊躇う必要はない」


 ヴィヴィアンは彼女を庇うように、覆いかぶさる。

 小さくて、温かい身体。アークトゥルスはまだ、生きているのだ。


退くんだ」


「退きません」


「何度も何度も契約者を変えてきたんだろう。新しいあるじを探す時が来たと考えればいい」


 その通りだ。だが、彼女は、彼女だけは他の者達とは違った。


「退きません」


「可能なら、《騎士王》の身が自然に朽ちるまで待ってやりたいが、そうもいかない事情がある。それ以外で譲歩出来る部分は、もう充分しただろう」


「退かないと、そう言っているでしょう……!」


 あの童女の終わりが、こんなものであっていいわけがない。誰よりも自分に誠実であったあるじの結末が、襲撃者に殺される? そんなの許されない。


「なぁ、ランタン。精霊は剣で貫いたくらいで死なないよな」


「あぁ。存在強度が人間の比ではないからな。あの魔力解放に晒されてその程度で済んでいるところを見れば分かるだろう」


「なら、庇うだけ無駄……と言っても、聞いてはくれないんだろうな」


 アカツキの声には、憐れむような色があった。


 ぴくり、と。

 自分の下で、アークトゥルスの身体が動く。


 小さな手が、弱々しく、それでもきゅっと、自分の手を、握った。

 力無げに開かれる瞼、揺れながら上がる口角。

 掠れた声で、紡がれた言葉は。


「証明、できたか……?」


「ぁ」


 ――『自分の所為だろうか。自分が与えた特別が、人間を歪めてしまうのだろうか』。


 ヴィヴィアンは、その考えをアークトゥルスにも吐露したことがある。

 まだ、人々の上に立つ《騎士王》となる前。

 彼女の喋り方が、まだ童女のそれだった時。


『じゃあ、■■、じゃなかった、アークトゥルスが、しょーめーしてあげるね』


『証明、ですか?』


『うん。約束まもるよ。そしたら、悪いのはヴィーじゃないって、わかるよね』


 自分が特別を与えても、歪まない人間がいるなら。

 それは、ヴィヴィアンが悪いのではなく、歪んだ人間の側の問題ということになる?

 少なくとも、アークトゥルスはそう考えてくれたようだった。


『……ありがとうございます』


 童女のことは好きだった。健気で、一生懸命で、心優しい。愛おしい存在だ。

 だが、最初はみんなそうだった。

 だから、正直期待することが恐ろしかったのだ。期待、しないようにしていた。


『ぜったい、しょーめーするから! やくそくは、まもるもん!』


 気持ちが表情に出ていたのか、信じてもらえないと感じたらしいアークトゥルスは頬を膨らませた。


「ヴィーに救われた、アークトゥルスは、ちゃんと、約束を守っただろ?」


「――――っ」


 ずっと、覚えていたのか。

 じゃあ、今日までの彼女の頑張りは。


「ほら、ヴィーは悪くないんだよ」


 にっこりと笑って。

 アークトゥルスは、眠るように目を閉じた。

 自分の指を握る手から、力が抜ける。


「だ、だめです……!!」


 ヴィヴィアンは慌てて手を握る。彼女から温もりが急速に消えていくような感覚に襲われる。

 まだ死んでいない。死んでいないが、このままでは。


「お別れは済んだか?」


 上から殺意が降ってくる。

 ヴィヴィアンはぎゅっとあるじを抱きしめた。それしか出来なかった。


 ――。

 ――――。


 とうにこの身を貫いてもいいだろうに、刃はいまだ届かない

 アカツキから、乾いた声が出る。


「その執念はどこから湧いてくるんだ――ヤクモ」


 これまでのわざとらしい感動の色が無い代わりに、その声は震えているように聞こえた。

 顔を上げると、全身を赫焉で固めたヤクモが、雪色夜切で彼の突きおろしを弾いていた。


「これ以上、何も奪わせない」


 絞り出すような、それでいて力強いヤクモの言葉に。

 アカツキは、出来の悪い笑みを浮かべた。


「悪いが、無理にでも奪うさ」



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