第254話◇約束




 アークトゥルスに力を与えてから、どれくらいの時が経っただろうか、とヴィヴィアンは考える。


 『力』を手に入れるのに必要なものは『代償』であると、古来から決まっている。


 単純に筋力を求める時でさえ、『鍛錬』に必要な時間・疲労・痛みなどを受け入れる必要がある。


 武器や兵器を使用した時、自分は代償を支払っていないと感じる者もいるだろう。

 それはある意味正しい。代償を支払うのは自分でなくともいいのだ。作るまでにかかった時間や人材や費用や苦労を代償として、それらの力が得られる。


 ただしそれを使用する時、やはり自分自身何かを背負わされるのだ。


 それは小さな反動であったり、他者を傷つけたことによる罪悪感であったり、または目に見えぬ形で天運に歪みが生じたりなど様々だ。

 力に手を伸ばし、力を振るう時、生き物は代償から逃れられない。


 これを利用したのが、異能と称されるあらゆる能力だ。


 たとえば呪いは、己さえも蝕む危険を背負うことで他者を不幸にすることが出来る。

 たとえば祈りは、想うのみであるが故に成就する確率が極端に低いが、数が集まることによって奇跡を起こすことがある。

 超能力と呼ばれる力さえも、意識的無意識的という違いはあれど、代償が定められているものだ。


 言い換えれば、『代償』の選択如何によって得られる力は増減するということ。

 魔法も同じだ。魔力やその操作に必要な精神力の摩耗を代償として、奇跡を起こしている。


 『加護』も、結局は同じだった。

 加護は、それを与える者に関して条件が厳しければ厳しい程、大きな恵みを施せる。

 ヴィヴィアンが加護を与える上で最も重要視していることは――天運の歪みが少ないことと。


 悪人は碌な死に方をしない、という言葉がある。

 これは正確ではないが、完全な誤りでもない。


 生きている内に、人は様々な選択をする。正しいと思うことだけを選び続けられる者は、きっと少ない。少なくともヴィヴィアンは見たことが無い。些細なことだと自分を誤魔化し、誤りであると知りながら無視する者は多い。


 そういった『過ちの自覚』は、己の運命を蝕んでいく。過ちの規模が大きければ大きい程に、運命は酷く歪んでいく。

 悪人と呼ばれる者達の内、善悪の感覚が備わっている者は不幸な末路を遂げる。

 善悪を単に知識程度に捉える者は歪みを免れ、善人であっても自罰的な者は自分で天運を歪めてしまう。


 天運が歪んでいない人間は、とても少ない。人間では赤子か、いかれた者くらいだろう。

 歪みが少ないとなると、子供か、心の強い者だろうか。


 簡単に『些細な過ち』を受け入れない。その方が楽でも、周りがそうしていても、自分の中の指針を頼りに生きられる者。

 アークトゥルスがヤクモ組とグラヴェル組を誘ったのは、彼らが心の強い者だったからだろう。


 黒点化する者はただそれだけで、心が強いと分かる。そうでなければ覚醒出来ないのだから。

 ラブラドライト組に声を掛けられ、そのまま誘ったのも彼の心にも強さを感じたからか。確かに《黎明騎士デイブレイカー》に勝負を挑むという非常識な行動は、軟弱な者にはとれない。


 ヴィヴィアンのあるじは時間が残っていないことを悟り、ヴィヴィアンに次の適格者を用意しようとしたのだ。


 あの日。

 初めて、逢った日。

 ヴィヴィアンは、前の適格者に裏切られて悲しみに暮れていた。

 天運の歪みが少ない者は、滅多にいない。だから、それを最低条件にすることで加護は強まった。


 だが、それだけでは弱い。強い制限ではあるが、子供など当て嵌まる人数自体は多いからだ。

 だからヴィヴィアンは、『約束』を交わすのだ。


 『自分に嘘を吐かないこと』『自分と共に生きること』『自分の加護で利益を得ないこと』『自分との契約内容を口外しないこと』『人としての天運を放棄すること』『獲得した能力は自衛と戦闘以外には利用しないこと』などなど、多くの縛りを加えることで、それを代償として加護を強める。


 前の適格者は、心優しい青年だった。

 人を信じ、裏切られるのは初めてはなかったが、その度に傷つき、だがヴィヴィアンはまた人を信じた。そうしなければ、人ならざる者であるヴィヴィアンは、孤独の中を漂うだけの存在になるから。

 彼の家にあった枯れ井戸を、ヴィヴィアンは潤した。どれだけ汲んでも無くならない、いつでも清潔な水を提供した。

 最初はよかった。喜んでくれたし、周囲の者にも井戸の利用を認める優しい人間だった。


 しかし、結局他の人間と同じだった。同じになってしまった、というべきか。


 もし、力を手に入れたことによる『代償』がもう一つあるとすれば、ヴィヴィアンはそれが『欲』であると考える。大きな力があるのだから自分は凄い。目に見える形で他者との違いがあるべきだ。

 もっと報われるべきだ。尊敬や金があってもいい筈だ。


 そういう、欲が心の内に生まれてしまうこと。


 それらを抑制する為にも、ヴィヴィアンは最初に『約束』してもらったのに。

 自分で立てた誓いを、肥大した欲求は無視出来てしまう。

 青年はヴィヴィアンの力で金稼ぎを目論んだ。反発する者は捻じ伏せた。そして、ヴィヴィアンに嘘を吐いた。

 魔人の脅威が大きくなり、遠くより夜が迫っていたことで、尽きない水源の価値はこれまで以上に高まっていた。青年は城塞都市にヴィヴィアンの水を売り込もうとしていた。


 だが、それはやってはいけないことなのだ。


 暴君にする為に、恵みを与えたわけではない。

 青年からは加護が消えた。


 約束を破る者を、愛おしむことは出来ない。


 その『後』が、ヴィヴィアンはいつもとても苦しかった。


 最初、縋るような声で謝罪するのだ。次に、逆上する。最後はこちらを呪うような言葉を吐き散らす。

 最初はあれだけ美しかった魂は、離れる頃には黒く穢れてしまっている。


 自分の所為だろうか。自分が与えた特別が、人間を歪めてしまうのだろうか。

 だとすれば、自分は永遠に孤独なまま彷徨すべきなのだろうか。


 そう考えると、悲しくて。

 夜に閉ざされた世界で当てもなく歩き続けていた。

 水の精であるヴィヴィアンの涙は、枯れることが無い。


 その童女を見つけた頃には、自分の全身は濡れていた。

 父親を健気に待つ、死にかけの童女。

 だがヴィヴィアンには分かった。この童女の父親は、事情はどうあれ迎えには来ないだろう。

 棄てられたのだ、この子は。愛する父に、闇に置いていかれた。


「あなたも独りなのですね」


 このままでは、童女は死んでしまう。

 無垢な魂が闇に溶けて消えてしまうのは、傷心のヴィヴィアンにとっても辛いことだった。

 だが、無条件に救うことは出来ない。

 ヴィヴィアンはそういう存在ではない。


「まだ、生きていたいですか?」


 応えは、声ではなかった。

 屈み込んだ自分の、彼女の側に置いていた手の、指の一本を。

 小さな手が、弱々しく、それでもきゅっと、握った。


 消え行く寸前ではあるものの、その命はとても、温かくて。


「……そう、ですよね」


 この童女もいつか、自分を裏切るのだろうか。

 そんな思考がよぎったことを、ヴィヴィアンは今でもよく悔いる。


 その後、■百年もの間、童女はヴィヴィアンとの約束を守り通してくれた。

 最愛の父に約束を破られた悲しみを知っているからこそ、童女は人との約束を破らない。

 闇に置いていかれる恐怖を知っているからこそ、彼女は誰も闇の外に捨てようとはしない。

 限界を越えた喉の渇きを知っているから、彼女は人々に水を開放した。


 都市を築き、人々を導き守り、何者も見捨てることなく、この世界で誰もが知る人類最強の騎士として名を轟かせた。



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