第249話◇滅私




 体調や気分の変化によって、身体が重く感じることや反対に軽く感じることがある。

 実際に体重が変化しているわけではない。ただそう感じるというだけ。


 それだけのことが、運動能力パフォーマンスに影響を与える。


 だとすれば、極度に高まった集中力によって思考が鮮明クリアになり、身体が羽のように軽くなることもあるのか。


 ヤクモはこの感覚を知っていた。

 最も新しい記憶は、クリード戦。

 あの時は父の死が引き金となった。


 身を挺し、命を賭けてヤクモの為に時を稼ぎ、そうして散った父の姿が。

 ヤクモを極限の集中へと導いた。


 今回は前回のような深く大きな怒りがあったわけではない。

 あれ以降、望んでこの状態に移行出来たことはなかった。


 自在に到れる境地ではないのだろう。


 そんなものを武器の一つに数えるわけにはいかない。妹の魂を魔力炉に接続するのと同じくらい、それは論外だった。

 だが今、踏み込んだその領域に対して戸惑うことはしない。


 はなから頼ることは出来ない力だが、使えるというのならば使うまで。

 

 ヤクモが投擲とうてきした棒手裏剣は九本。

 『両断』付きが一本、非実在化が三本、それ以外が五本。


 『両断』は棒手裏剣を用意している過程で遠距離からツキヒ達が纏わせてくれたものだ。

 事前の打ち合わせなどしていなかったが、最高の瞬間タイミングを狙った補助。

 幸運というべきか、アカツキが剣で弾いた一本が、赫焉粒子によって寸前まで『両断』を隠匿していたものだった。


 剣身を覆っていた魔力の膜が一枚、割れて散る。


 一瞬、アカツキの瞳が揺らぐ。

 驚きからではない。逡巡か。

 次の瞬間には、剣の柄から剣が生える、、、、、


 柄の長さが倍になり、両端に刃が延びる特殊な形状。

 アカツキはそれをまわす。まるで円を描くように。

 それによって実体を持つ五本の棒手裏剣が弾かれた。


 非実在化を施した三本は通過したが、アカツキは読んでいたのか機敏に回避行動をとる。

 それでも一本は左腕を掠めた。

 彼の身体に接触したその瞬間に実在化を果たすことで、不可触の武器は実体を得る。


「幾つも怪我をこさえてしまった。これじゃあ格好がつかないな」


 頬、右脇腹、左腕。いずれも致命傷には程遠いが、出血している。

 彼にとってはその程度の負傷も稀なのだろう。


 ヤクモの動きが変わった、だけではない。

 ヤクモ組とアカツキ組の差を埋めているのは、アカツキ側に募る負担も大きい。

 アークトゥルスへの対処、ランタンの救援、赫焉粒子の固定、魔力の消費。


 先程アークトゥルスの魔力を使い切った彼は、自前の魔力でヤクモと戦っている。

 空中戦闘では移動一つとっても、魔力による足場が必須。


 操れる赫焉粒子の総量が減ったという点を除けば、ヤクモはただ目の前の戦闘に集中するだけでいい。

 それに対しアカツキは思考が圧迫される要素が重なっている。

 そんな状態でもなお、ヤクモの攻撃に対応しているのだ。


「今のお前と空中戦を続けるのは、得策じゃないかもしれないな」


 言われて思い返してみると、戦いの舞台が空になってからの方が優位に立てている。

 なるほど確かに、地上と空中では戦いの自由度が桁違い。


 見て、考えて、対応する能力の極めて高いアカツキからすれば、自由度の高さは想定される展開の増加を招く。


 それが、ほんの僅かではあるが彼の反応に遅れを生じさせているのかもしれない。

 そして、そうだとしても彼は地上に降りないだろう。


 止めなければならないアークトゥルスが空にいるのだから。

 であれば、これは好機だ。


 これが試合であれば相手の全力にこちらも応じるのが望ましいが、これは戦い。

 相手が全力を発揮出来ない状況を攻めるのは正しい。


 だが――。


 アカツキが喋っている間にもヤクモは距離を詰め、追撃を仕掛けていた。


「……欲を出すのはやめるか」


 一瞬の出来事だった。

 彼の意識が変わるのが、ヤクモには分かった。


 アカツキはランタンを気にかけるのをやめ、赫焉粒子固定の為に維持していた魔力を解き、ヤクモの相手を放棄した。


 代わりに何重もの箱型魔力防壁にヤクモを閉じ込め、アークトゥルスに向かって駆ける。


 彼は欲と言ったが、自分の中にある執着やプライドを捨てるのは容易くなかった筈だ。実際、これまではそれこそが彼を衝き動かしていたように見えた。


 集団としての目的か、あるいは『彼女』と呼ぶ者への忠義の方が、自己に勝るということか。


『なっ――逃げた?』


 アサヒの戸惑いの声。

 魔力攻撃で兄妹とグラヴェル組を吹き飛ばした時とは違う。


 排除してから別の敵に向かうのではなく、相手すべきではないと判断して方針を転換した。

 それまで余裕を持った態度でこちらをいなしていたアカツキを思えば、その判断は予想外ともいえる。


 ヤクモはアサヒほど驚きはしなかったものの、代わりに悔しさを感じていた。

 相手が全力を発揮出来ない状況を攻めるのは正しい。


 だが、そんなことは相手も承知の上。

 自分が全力を発揮出来ない状態ならば、一時離脱も選択肢に入るだろう。


 そして空中戦に移行してから彼が多用するようになった『回避』による移動は、アークトゥルスとの距離を徐々に縮めるものでもあったのだ――と遅れて気づく。


 ――深く入り、、過ぎていた。


 集中力が高まる反面、視野は狭くなる。クリード戦の時などは、目の前の勝利の為に妹や自分の身体に掛ける負担を考慮しなかったくらいだ。


『五重です。内側と外側から対処を』


 妹の声。ヤクモの相棒は既にに冷静さを取り戻している。

 そうだ。一刻も早く箱から脱し、戦線に復帰しなければ。


「あぁ、そうだね」


 解放された赫焉粒子の回収し、綻びを見て、防壁突破にあたる。


 ヤクモが防壁に集中している間にも、アカツキとアークトゥルスの距離が急速に縮まっていく。



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