第250話◇潜水




 ――もったいなかったな。


 アカツキは、一瞬前の自分の行動に、そんな感想を抱く。

 己の判断を疑いはしないが、それが本音だった。


 ヤクモの状態は何も彼固有のものではない。

 アカツキは俗に言う天才とそれ以外の違いをこう考える。


 再現性だ。


 天才を天才たらしめる何かは、当人以外に再現出来ない。到達出来ない。理解出来ない。

 その点、ヤクモも自分も天才でないのは明らかだ。


 肉体も、技も、状況判断も、『経験』によって獲得したものに過ぎない。

 先程までのヤクモの状態さえ、珍しくはあるが天禀てんぴんの類ではない。

 だからこそ、得難えがたい。


 アカツキが惜しんでいるのは、あれ、、が意識的に踏み込める領域ではないと知っているから。少なくとも、ほとんどの人間にとって。


 火事場の馬鹿力をたとえに出したが、元々長く続くような状態ではないのだ。火事場を過ぎれば、自分がしたことさえ信じられなくなるような、幻のような一瞬。本来はその程度のもの。


 ヤクモは極度の集中力でその瞬間を持続させたが、アカツキが戦闘を放棄したことでそれを途切れさせてしまった。

 彼が追いついてくる頃には、もうあの状態は望めまい。


 水底に向かって深く深く潜っていたところで、呼吸を思い出したように。浮上してしまっては、潜水中の感覚や景色は掴めない。再び潜ろうにも、もうそこに水はない。泡沫の如く消えるのみ。


『アカツキはヤマトに甘すぎ。どうして斬ってこなかったの』


 ヤクモ組を箱に閉じ込める前に、彼らを殺せたのではないかとミミは言っている。


「ヤクモはきっと反応したさ」


『でも殺せたでしょ』


 どうしても必要ならばしただろう。ヤクモ側も同じように手心を加えているなら別だが、あちらは本気。

 こちら側が殺意を覗かせたとて、彼は話が違うなどと言って恨みはしない。


「殺すまで、、が問題だ。きっと楽しくて、任務を忘れてしまう」


 パートナーの呆れる声が脳に染みる。


『……ありそう』


 斬り込むことは出来た。彼を殺す斬撃を放つことは可能だったのだ。

 だが、それで殺し切れる確信が持てなかった。アカツキにしては非常に珍しいことではあるのだが、仕方のないことでもある。あの状態のヤクモは、力量が絶えず変動していた。一瞬ごとに強さが更新されている、とでも言えばいいか。

 対処されるかはともかく、反応される可能性は大いにあった。


 そうなると、更にその次の一撃が必要になってしまう。

 それでは結局時間が掛かる。


 時間が無いから決断を下したのに、意味がない。

 アカツキ自身としてはあのままヤクモとの戦いを楽しみたかったが、それを許す状況ではない。

 ランタンは機械人形ゴーレムの起動に成功したようだし、地上は任せてもいいだろう。


 ヤクモの赫焉粒子は地上に留めてあったのだ。術者の許に戻るまでに多少の時間が掛かる。


 最優先はやはりアークトゥルス。

 そう判断しての離脱。


 剣の形状を元に戻す。

 魔力攻撃の雨を防いだ彼女は、その後も魔力を練っていた。


 当たり前のようにやっているが、魔力炉性能では表せない異常だ。

 魔力炉性能と言われる時、一般的には『生成力』『貯蔵量』『出力』などを併せたものを指す。

 陽光あるいや暗闇に晒されて活発化した魔力炉が、どれだけの魔力を『作り出せる』か、そしてそれをどれだけ『体内に留めておける』か、またどれだけ『一度に放出可能』か。

 『生成力』が高くとも『貯蔵量』が少なければ意味がなく、どれだけ魔力を作って溜められても『出力』が低ければ少量ずつしか魔力を外に出せない。


 アークトゥルスは全ての数値がずば抜けている。

 大量に作り、大量に留め、大量に放出出来る。

 ただし、人間レベルを越えていた。

 高位の魔人にも比肩しうる魔力炉は、彼女本来のものではないだろう。


「伝説の検証だ」


 アカツキは無防備にも見える前進でアークトゥルスに肉薄。

 彼女は魔力を使わず、剣を構える。


『ケーカイされてるし』


 あれだけ『吸収』を見せればそうもなる。


「その身体で剣術勝負は厳しいんじゃないか」


 反応は良いが、身体が童女では限界がある。

 接触の寸前で宙を蹴ったアカツキは彼女の頭上を通り過ぎるように移動、頭が地上に向いた体勢からアークトゥルスの背中を切り上げる。


「――……っ」


『うわ』


「……実際目の当たりにすると、妙な気分だな」


 その背中は確かに切り裂かれた。感触があり、衣服ごとその肉は裂けた。

 だが、彼女は怪我を負わなかった。


 裂かれた衣服はそのままに、肉体だけがまるで無かったことのように柔肌を晒している。

 剣についた血さえ、既に消えていた。


「傷を受けないって聞いていたけど、こうなるのか」


 斬った記憶も事実もあるのに、斬った結果は世界に残らない。


 何をしても、その身には『無傷』という結果が上書きされる。

 だから、傷を受けない。


 ――さて。


 これでは魔力炉に刃を突き刺してそこから魔力を『吸収』するという手は使えない。仮に成功しても、彼女を怪我させて手に入れた以上、一瞬後には魔力を吸収していないことになるだろう。

 地面に降りて魔石を拾うか。敵に利用された分を除いても、数にはまだ余裕がある。


 ――だめだな。


 こちらが降りる頃には、防壁分の魔力が溜まるだろう。

 下にある魔石をかき集めても、防壁破壊には届かない。


 今この瞬間彼女をなんとかするしかない。

 傷つけられない《騎士王》をどうする。


「……あぁ」


 思いつく。


 ――ヤクモの真似をしよう、、、、、、、、、、


 ヤクモが何度か見せた、刀であらゆるものを断つ術。

 理屈は分かる。

 この世に完全なる組み合わせは存在しない。故に万物は綻びと無縁ではいられない。糸が刃に触れれば断たれてしまうのと同じだ。

 どんなものにも弱い部分があり、弱い部分を抱えることからは逃れられない。


 ヤクモの目はそれを捉え、的確に突くことで崩壊させている。

 その技術は一朝一夕で身につくようなものではないが、アカツキとヤクモは戦闘スタイルがよく似ている。適性自体はある筈だ。


 だから後は、身につけるのに必要な経験を飛ばす、、、方法があればいい。

 完全に自分のものには出来なくとも、一瞬だけその境地に到れれば。


 その方法もまた、アークトゥルスに向かうまでヤクモが実践していた。


 眼の前のことに集中する。

 背中を斬られたアークトゥルスが、振り向きざまに剣閃を放っているところだった。


 敵は人類最強の《騎士王》。相手としては充分以上。


『アカツキ?』


 聖剣の綻びを視ようと試みる。

 傷を受けないのは、アークトゥルスのみの筈。

 二匹の蛇に貪られる黄金の果実が描かれた剣に、変化は無い。


 ――こうか。


 水に潜る、、、、


 ヤクモが戦いで強くなるように、アカツキもその瞬間、更なる高みへと至る。



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