第187話◇解放



 

 カエシウスの体が落ちる。


 赫焉粒子を足場とし、階段を下るように地面へと戻るヤクモ。

 受け止める者もおらず、地面に激突した特級魔人の死体。


 セレナはそれに、汚物でも見るような視線を向けていた。


「さすがのカエシウスも、セレナのヤクモくんには勝てなかったかぁ」


 しかしそんな感情は、ヤクモを見る頃には跡形もなく消えていて。

 ローブ姿のセレナはヤクモにニコッと微笑みかけた。


『いやあなたの兄さんではないのですが? わたしのなんですが?』


 戦闘が終わるやいなや平常運転に戻る妹。


「最後の、助かったよ」


 彼女が咄嗟に『両断』を使ってくれたおかげで、カエシウスに刃が届いた。

 だがヤクモの感謝を、セレナは素直に受け取らない。


「ほんとかなぁ? セレナなんかあてにしてなかったでしょ。ヤクモくんの動きには迷いが無かった。どうしよっかなって思ったけど、手ぇ出して邪魔じゃなかった?」


「そんなことはないよ」


『……鋭いですね。カエシウスの方は気付いてなかったようですが』


 最初にカエシウスの影の鎧を破壊した分の粒子は、位置的に彼の展開した影の壁に阻まれることもなかった。


 ではそれをどうしたか。彼の首が飛んですぐ、後を追わせた。  

 そして再生した彼の肉体に付着させていたのだ。


 グラヴェル組の到着は確信していたが、セレナはむしろ予想外。彼女なしでも切り抜ける術くらいは用意していた。


 とはいえ助かったのは本当だ。

 あの状況下でカエシウスは一度目と違う位置に綻びを用意したのだ。


 正面から敵に接近しながら赫焉粒子を手探りで操り綻びを見つけ出すというのは、不可能とは言わないまでも困難だった。


「つぅかだな、ヤクモ。お前って奴はつくづくあたしの常識を越えてきやがるな。特級魔人引き連れて都市に侵入とは恐れ入ったよ」


 ミヤビは愉快げだった。


「常識外れの師と並び戦おうって言うんです、越えるくらいはしないと届かないというものでしょう」


「追い越されねぇよう、こっちも気ィ引き締めねぇとなぁ」


 今回の件は人類からすれば異例の作戦だった。

 セレナの協力がなければ、結果は大きく変わったかもしれない。


 なによりも効果の大きかった模擬太陽稼働を実現してくれたのは、セレナだ。

 彼女の持つ地理情報と『空間移動』にどれだけ助けられたことか。


 都市内に魔人の反応はなし。


 《エリュシオン》の奪還は此処に成ったのだ。


「ねぇきみさ、ツキヒとヴェルの魔法をパクらないでくれないかな?」


 グラヴェル組が側まで来ていた。


 《導燈者イグナイター》の体を操る《偽紅鏡グリマー》が、普段無表情な相棒の顔で魔人を睨みつけている。


 セレナは他者の魔法を見ることで己もそれを扱えるようになるという、破格の魔法を持っている。


 《黒点群》の魔法も例外ではない。それどころか赫焉粒子まで模倣出来る。かつての戦いで模倣されたのを思い出し、確かにあまり気分のいいものではないなとヤクモも思った。


「この世に完全なオリジナルなんてないと思うんだけどなぁ」


 セレナがとぼけるように顎先に指を這わせ、首を傾げる。


「きみのそれは丸パクリだろ!」


「魔人に人間の倫理観を説かれても、効かないよ」


『兄さん、その魔人を斬ってください。妹が虐められています、助けないと』


 ――過激だなぁ。


 ツキヒからすれば、『両断』はグラヴェルとの絆の証明のようなものなのかもしれない。いや、黒点化というのは、実際絆の証明だ。


 とはいえ、セレナにそれを理解させようとしても上手くはいかないだろう。

 埋まらない溝というものはある。


「ツキヒ、こうは考えられないかな。きみとグラヴェルの魔法が、アサヒを救った。一度じゃなく、連続して二度だ。一度は魔力防壁をきみ達が、二度目は敵の鎧をセレナが」


「……それはそれとしてむかつくって話なんだけど?」


 さすがはツキヒ。簡単に納得してくれない。


「セレナも、僕らは同じ《隊》の仲間なのだから、相手の譲れないものくらいは尊重してもらえると助かるよ。きみがきみであることを僕が否定しなかったように、さ。もちろんさっきのはとても助かったけれど」


「ヤクモくん、子供に言い聞かすみたいに言わなくても分かるよ? 単純な『両断』を進化させて使えってことだよね? セレナりょーかいでーす」


 彼女は手でひさしでも作るような敬礼をしながら、ヘラヘラ笑う。


「……余計なものが入る余地がないだけなんだけど? シンプル・イズ・ベストって知らないわけ?」


「複雑なことが苦手な子の言い訳だよね?」


「ふっ」


 グラヴェルの額に青筋が立つ。ツキヒの怒りは爆発寸前だ。


 ヤクモはアサヒの武器化を解除し、ツキヒを宥めてもらう。


 ヤクモはヤクモでセレナを諭そうとした。


「セリッ!」


 ミヤビ組も武器化を解除しており、チヨと赤髪一本角の童女が人間状態に戻っていた。


 もしやとは思っていたが、単なる《偽紅鏡グリマー》ではなかったようだ。

 そして、見覚えのある少年が童女に駆け寄る。


「レヴィっ!」


 二人は抱き締め合い、顔を見合わせた後、同時に赤面して離れた。

 初々しい。


 この童女はヤクモが戦った一本角の《偽紅鏡グリマー》と異なり、五感が機能しているようだ。


 ちなみにローブ姿の戦力に関しては無力化・保護が完了している。


 ヤクモ組やグラヴェル組が倒した者達に関しても、じきにコスモクロアやユレーアイトが連れてくる筈だ。

 アルマースから報告が入っていた。


 彼らの処遇がどうなるか、ヤクモには分からない。

 だが抱き合う人間の少年と混血の童女を見ていると、違わないのだと思う。


 魔人の血が半分入っていても、当人が人間であることを望むのであれば、そう扱うべきだ。


「ミヤビ、ありがとう! ブシってすごいんだな!」


「まぁな。すげぇのはあたしだけじゃあねぇけどよ」


 肩を竦めるミヤビ。

 少年はヤクモ達を見回し、目を輝かせた。


 だがそれがセレナに止まると、僅かに恐れが奔る。


「その……ローブの人」


 セレナはかつてこの都市の支配者だった。とはいえ少年が直接セレナの顔を知っているかどうかまでは分からない。都市は広い。


 どうやら気付いていないようだ。戸惑いがまさっているように見受けられる。


「あぁ、仲間だよ。今回、この都市の奪還に力を貸してくれた」


 セレナは何も言わなかった。


「そう、なんだ。ありがとう」


 少年のとびっきりの笑顔。


「…………」


 ヤクモとミヤビが武装解除していることを含め、セレナは釈然としないのだろう。

 自分が再び支配者の座に戻ろうと牙を向くとは思わないのか、と。


 セレナにその気があるなら、とうに出来た筈。

 するつもりがないのだ。


「こっからがまた面倒だな」


 ミヤビが疲れ切った声を出す。

 支配者として君臨していた者を排除しただけ。


 復興に関しては問題が山積み。

 他の魔人が攻めてこないように守護しつつ、《カナン》から人員を呼び寄せる必要がある。


「その前に姉さん、わたしを見捨てた件について何か言うことはないのですか?」


「すまんかったと思ってる」


 軽い。

 拝むようにパンッと手を合わせての謝罪。


「なるほど」


 チヨの表情が冷え切る。


「あのなぁ、あたしだって置いていきたくなんかなかったつの。じゃあなんだ、一緒に死んでやればよかったのか?」


「いいえ、姉さんは正しい判断をしました」


 返す言葉には、棘がある。

 するとこれまで普段の調子だったミヤビが、真剣な声を出した。


「違うね。あたしは間違った判断を下した。間違いで、だが必要な判断を」


 妹を見捨ててでも、生き残ることを優先した。

 やがて夜を明かす為に、死ぬわけにはいかないと。


「……えぇ、ですからわたしはそれを拗ねてみたのです」


 チヨも姉の意志は理解していた。

 理解と納得は別というだけ。


 ミヤビが乱暴にチヨの頭を撫で回す。チヨは逆らわない。


「だな。本当に生きててよかったぜ。おチヨがいねぇと、あたしはただ絶世の美人で腕っぷしが立って高身長高収入かつ隠密行動もこなせるだけの天才でしかねぇからな」


「隙が無いではないですか……怒りますよ?」


 この姉妹は本当に仲がいい。

 表面上はギスギスした会話を挟んでいるが、チヨには恨みが無く、ミヤビもそれを理解しているようだった。


 そもそもチヨは起きてすぐにミヤビの救出に向かおうとしたのだ。

 二人の関係は、今回の件くらいでヒビが入るほど脆くないということだろう。


 ヤクモ達に逢うより前にあった多くの出来事で、その絆を形成したのだろう。


 ともあれ、《エリュシオン》奪還作戦は――成功した。

  


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