第184話◇八格
ヤクモに触発されてか、ミヤビは堂々と啖呵を切る。
『……元気そうで何よりです』
呆れた口調で言うアサヒだったが、その声には安堵が滲んでいた。
ヤクモも気持ちは同じ。
それだけではない。
ミヤビが生き延び、こちらの都市侵入に合わせてカエシウスを中心部に引きつけてくれたことが、どれだけこちらの扶けになったことか。
彼の能力を思えば、こちらの作戦を潰すことも出来ただろう。ミヤビが命を落としていたり捕まっていた場合、確実にそうなった筈だ。
もちろんそれも想定はしていたが、防ぎ切れたかは分からない。
ミヤビは自分が再び負けることを理解しながら戦っていた。
チヨという長年の相棒がない中で特級魔人を殺し切れるなどと勘違いをするような師ではない。
彼女が戦い続けることを選んだのは、負けることを知ってなおカエシウスの相手をしたのは、一対一の勝敗よりも作戦の成功を重視したから。
可能な限りの時間を稼ぐ。敵最大の戦力を一箇所に縫い止める。
だからといって、自らを犠牲にしたわけではない。
彼女はただ、知っていたのだろう。確信していた。
時を稼げば、その者は駆けつけるだろうと。
実際、師はヤクモ達の姿を認めても何ら驚かなかった。
弟子がこの場に来ることは当たり前とばかりに、笑っただけ。
期待や信頼を超えた想い。
彼女はとうにヤクモ達を同志と認めていて、自分の敗北を知った兄妹は必ずや此の地を踏むものと考えていた。
応えないわけには、いかない。
「……少年、名乗りたまえ。私はそれを、人類史上最も愚かな戦士として記憶しましょう」
腸煮えくり返るような心境だろうカエシウスは、それでもどうにか平静を保とうとしていた。
ヤクモは考える。
名乗るかどうかではない。情けをかけるつもりなどないが、命の奪い合いをするのだ。問われれば名前くらいは答える。
問題は――どう名乗るか。
『兄さん、何を迷うことがあるんですか?』
ヤクモの内心などお見通しとばかりに、妹が背中を押してくれる。
――そうだね。
浅く呼気を漏らす。
ヤクモが身に纏うのは黒き和装。
ミヤビが手配していたものを、出発前にヘリオドールに手渡されたのだ。
《
それが与えられるということは、正式な任命はまだにしろ認められているということ。
貰ったのは、衣装だけではなかった。
「どうしました? まざか怖気づいたとでも?」
カエシウスの挑発。
真っ直ぐに彼を見据える。
「《
悠久を生きヤクモより余程この世界を知っている筈のカエシウスが。
未知にでも遭遇したかのように、目を剥いた。
ミヤビはこれ以上なく愉快げに笑う。
その横で、ヤクモは静かに宣言。
「これより魔人を討伐する」
「いいや、有り得ない! 私の記憶が確かなら、貴方は単騎で特級魔人を討伐したということになる! 《
さすがはミヤビだ。
もう戦いは始まっている。
ヤクモとミヤビの会話を、カエシウスは自身の守りを固める為に許容した。
だがこちらが彼との会話に付き合う理由は無い。
むしろ逆。
ヤクモの名乗り上げに彼が驚愕したこの一瞬は何よりの好機。
突いてこその隙だ。
カエシウスが言い終えるより前に大太刀を一閃。
千夜斬獲から紅焔が吹き上がり、剣閃に合わせて放出される。
炎は大地と空気を埋め尽くすように、カエシウスへと向かった。
「……
忌々しげに吐き捨てるカエシウス。
彼の立つ場所一帯が赤に呑まれる。
影の一部は地面を這ったまま、炎に灼かれることもなくこちらに迫る。
そして。
ヤクモは炎に飛び込んだ。
◇
カエシウスは冷静ではなかった。
だが、それが彼我の戦力差を縮めることはない。あったとしても、それは勝敗に影響が出ない程に小さなものだろう。
――なんだ。
何かがおかしい。
ミヤビの炎は酷く眩しいが、実体化した影を破壊する程ではない。
魔石によってミヤビの最大魔力出力を上回る量の魔力を注いでいるのだ。破壊出来ないのも無理はない。これが魔法相性の悪い属性であればまだ別だが、影に得意不得意も無い。
厄介なのは、とにかく視界が阻害されること。
それによって、魔力炉性能の乏しい
気配を断つ能力にも長けているようだし、足音や衣擦れはもちろん、カタナが空を切る際に生じる音も聞き取れない。
猛る炎の邪魔があるとはいえ、感覚を研ぎ澄ませたカエシウスが存在を確認出来ないとは。
彼が実在しなかったのではないかと思わせる程に、何も掴めない。
カエシウスはまず、炎から出ることにする。
ミヤビも己ごと焼くわけにはいかないだろうから、彼女に接近すればそれで済む筈だ。
そうすればヤクモはフォローに回るだろう。
その時に殺せばいい。
こんな炎痛くも痒くもない。煩わしいだけで、嫌がらせ以上の効果は無い。
――待て。
仮にも《
カエシウスの万全の防御を見た上での行動と考えると、ここまで効果が薄いのはおかしい。
薄い……。
「……っ!!」
気づく。
この猛火、熱を感じないのだ。
――焼くつもりがない?
ならば視界を塞ぐことそのものが目的だということか。
「浅慮!」
浅知恵だ。確かにこの炎の中ではヤクモを捉えきれない。それは認めよう。
だからミヤビはヤクモが焼けぬよう熱の無い炎を繰り出した。
その中を駆けるヤクモが自分を襲うのだろう。
だが無駄なのだ。
防御は完璧。
自分の周囲の地面に展開した影を踏めば、たちどころに居場所は判明する。
そして、策を見抜かれたとも知らずに迫る足音が、聞こえた。
上から降ってきたようだが、影を踏んだ時点で終わり。
――愚かな。
炎越しに見える人影を、カエシウスは地面に展開していた無数の黒を槍状に実体化することで串刺しにした。
人間であればこれで終わり。
なんと儚い命だろう。哀れになってくる。
自分は決して、このような死は迎えたくない。
そう思うことの、何が悪いというのか。
「ヤクモ、貴方はこれまで逢ったどの《
わざと即死を免れぬように串刺しにしたのだった。
カエシウスは人影に近づく。
死にゆく愚か者を眺めてやろうと思った。
「な――」
そこにあったのは、純白の全身鎧。ご丁寧にカタナまで持っている。
中は――空。
「ッ! 謀ったか!」
白い甲冑は役目を終えたとばかりに綻び、粒子と化して炎の中に消えていく。
その白から魔力を感じない。魔法ではないのだ。武器の形態変化の延長? 聞いたこともない自由度だ。
いや、彼が
魔力を伴わない攻撃手段?
ゾクゾクと、カエシウスの背中を電流が駆け上がる。
恐怖と、それを上回る歓喜。
そんな能力を発現する『血』は、なんとしても手に入れたい。
特級魔人にすら視認以外で探知出来ない形成自在の粒子。使い方次第では大きな武器となる。
欲しい。
「ヤクモ! 貴方では宝の持ち腐れだ! そのカタナ、私が貰い受けましょう!」
「ほざくな、魔人」
研ぎ澄まされた白刃が如き殺意がカエシウスを襲う。
正直な想いであると同時に、挑発でもあったのだ。
ヤクモはそれに乗ってしまった。
若い。その未熟が己を殺すのだと教えてやらねば。
声は背後から。
影に反応が無いのは妙だが、そこにいるということは分かった。
カエシウスは振り向きながら周囲の影を先程と同じように槍状に展開。
だが――。
反応が無い。
いや、反応はあった。
ただし、ヤクモではなく自分にだ。
「な」
起こるわけが無い。
綻びは内側に用意したのだ。彼に斬れるわけがない。突けるわけがない。
カエシウスの体内から刃を発生させるようなことでもない限り、綻びを断つなど不可能。
崩壊する鎧が魔力に還る中、カエシウスはそれを見つけた。
見つけ、戦慄した。
雪白の粒子。
自分がミヤビとの会話を静観した時、彼は「悠長ですね」と言った。あれは単なる皮肉ではなく、策の一部だったのだ。
不審がっていると見せかけることで、カエシウスにある可能性を無意識に排除させた。
純白の鎧を破壊した後も、カエシウスは自身の絶対防御を信じた。
影の鎧を編んでいる段階で、ヤクモが粒子を紛れ込ませていたのではと疑うことをしなかった。
魔力反応の無い、好きな形をとることが出来る粒子。
ミヤビと会話していた時点で、彼はここまでの展開を組み立てていたのだ。
綻びを発見したことで、白い鎧を創ったのだろう。囮だ。
あぁ、だから。
ここまで考えられる者が、安い挑発に乗ったのであれば、その声さえも。
声を上げた後に、何らかの方法で更に背後へと回ったのだろう。
理解した時には、カエシウスは背後から斬りつけられていた。
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