第182話◇魔道

 



「これまで幾人もの《黎明騎士デイブレイカー》を屠ってきましたが、貴女程にしぶとい方は初めてです」


 魔人・カエシウスは嬉しそうに言った。

 人間で言えば二十代前半ほどの男性。


 五色大家の人間でも着ないような貴族めいた衣装に身を包み、曲線を描く目許の内、右側には片眼鏡のレンズが。細身で長身、物腰は柔らかく口調は落ち着いている。


 赤い長髪に、螺旋を描く二本の角。


 ミヤビが地下牢から連れ出した童女セリにも見られた特徴だ。


 彼女が魔人と《偽紅鏡グリマー》の混血であることを考えると――。


「こっちの台詞だっての。お日様が照ってんだ、焼かれながらのたうち回れよ」


「これでも苦しいのですよ。視界が白い」


 闇が意志を持って動いているかのようだった。


 人が暗闇で視界を確保する為などに『光』魔法を用いたように。

 一部の魔人も、光の中に闇を産み落とす魔法を持っている。


 『闇』とも『影』とも呼ばれる属性。


 あらゆる色を潰す漆黒が、形を変えるばかりか実体を獲得して動き回っていた。


 カエシウスの頭上には傘とも天蓋ともつかない黒、そして体表にも蠢く黒。


 どうやらそれが、完全でないにしろ模擬太陽の光を遮り、彼の魔力炉稼働を維持しているようだった。


 それだけではない。


「それは失敗作ですが、私の所有物でしてね。返却しては頂けないでしょうか?」


『…………っ!』


 セリが怯えるのが分かった。


 武器化したまではよかったものの、セリは恐怖に竦んでしまっていた。それが影響して、武器としての彼女もなまくらと化していた。


 本来の性能がどのようなものだとしても、今はその一割も発揮出来ていない。

 錆付き、酷く刃こぼれが目立つ大剣。


「お断りだね。セリの嬢ちゃんも、娘を監禁するクソジジイは御免だとよ!」


 地面を這うように接近し、ミヤビの眼前に来てから実体化する黒い槍の群れ。


 厄介なことに攻撃の瞬間だけしか実体を持たないようで、この時以外に対応の時間は無い。


 一本を切りつけて軌道を僅かに反らし、もう一本を蹴りつけ反動を利用して移動。強引に回避。


「困りましたね。人の手に渡すつもりはないのですが」


「そもそもお前さんのモノなんかじぇねぇんだよ」


「いいえ、私の所有物に相違ありませんよ。殴れば死ぬ、捻れば死ぬ、叩けば死ぬ、飢えれば死に、病に冒されれば死に、魔獣に遭えば死ぬ。そんな存在を、私が所有し、保護しているのです。存在にかかわる全権を握っているのは私だ。そういうモノを、所有物と呼ぶ。違いますか?」


 カエシウスは笑顔で平然と言う。


「くたばれ」


 短く吐き捨て、弧を描くように駆ける。


 そんなミヤビを影の槍が追走。


「野蛮ですね。禁忌だと言う資格が人類にあるでしょうか? そもそもが《偽紅鏡グリマー》という存在自体、人体実験の果てに生まれたものと記憶していますが? 自分達が生き残る為に行う非道は許容されるべきで、他者が知的欲求を満たす為に行う実験は許されないと? 差し迫った状況であるか否かが正邪を分けるという理屈は、私には理解出来ませんね」


「知ったことか。小難しいことを並べ立てるまでもねぇ。あたしが、お前を嫌いってだけの話だろうが」


「……なるほど、議論は成立しそうにない」


「必要もねぇよ」


 ――あぁ、クソ……。


 ミヤビは胸中で舌打ちする。

 数秒後に起こる回避不可能な事態を予測したからだ。


 ミヤビを囲むように影の槍が設置されていた。

 セリに搭載魔法は確認出来ない。


 魔力防壁を展開して防御を試みるが、一斉に迫る槍を前に破壊されてしまう。


「ご安心ください、命までは奪いませんよ。実は私、貴女のような存在を待っていたのです。《黎明騎士デイブレイカー》クラスの母体からは、果たしてどのようなモノが生まれるのか。興味が尽きません。これまでは加減が出来ず殺してしまったので、今回は気をつけねば」


「生憎と、お前は好みじゃねぇんだ。他をあたれ」


「お気になさらず。貴女の意志には関心がありませんから」


 確かに殺すつもりはないようだ。


 影はミヤビに絡みつき、拘束せんと動く。


 魔力強化も防壁も用をなさない。


 自分はヤクモとは違う。

 単に優れた剣技や身体能力では敵わない次元の強さというものが確かに存在し、それを越えるような何かを持っていない。


 妹がいないという状況が、ここまで自分を弱くするのか。


 自嘲気味な笑みを漏らす。


『……みやび』


 セリの声は震えている。


 ミヤビが負けてしまえば、カエシウスの手に戻ったセリは酷い仕置きを受けるだろう。


 幼い少女が怯えるのも無理は無い。

 そんな彼女を連れ出したのは、自分だ。


「安心したぜ、クソ野郎」


 ミヤビは一瞬でも時を稼ぐように抗う。

 体中にまとわりつく影を切り裂き、引きちぎり、底のない闇から抜け出すようにあがく。


「安心?」


「あたしも同じだ。お前の意志には興味がねぇ。その首狩って、この都市を頂く」


「ご自身の状態をご覧になってはどうです? 今から私のモノになる貴女が何が出来るというのですか?」


 徐々に、だが確実にミヤビは自由を失っていく。


 それでも、カエシウスに向かって進んでいく。


 一歩ずつさえ叶わず、気力を振り絞っても半歩にさえ及ばない。


 それでも、足を止めない。


「……驚嘆に値します。最早敗北は変えられぬと知りながら、命の限り抗い続ける。あぁ、ヤマトの戦士はそういう生き物でしたね。ですが――だから数を減らしたのですよ。その無様が、貴女方を殺す。まぁ、貴女は死ぬことさえ出来ないのですが」


「あたしは――」


 口許が黒に覆われる。


「申し訳ありません。何か言いましたか?」


 鼻と目も。


「……まだ動こうとするのですか。大した生命力だ。いや……意志でしょうか」


 そして音も消える。


『みやび』


 ――大丈夫だ。


 一度目、ミヤビは逃げた。

 妹を見捨てるような行為と知りながら。


 では今回、何故立ち向かったのか。


 ミヤビはこの世に本物の太陽を取り戻すと決めている。

 そのことに生命を懸けるが、だからこそ無駄死になど出来ない。


 逃げなかったのは簡単だ。


 敵勢力最大の個体を、都市の中心部に置いておく為。

 ミヤビが戦うことでカエシウスは模擬太陽破壊にも、消灯にも、柱の破壊にも向かわなかった。


 他の人間を殺すことも選ばなかった。セリの奪還とミヤビの捕獲を優先した。


 魔法の使えない剣士一人が、敵最大の戦力を引きつける。

 これ自体が大きな戦果なのだと、カエシウスは考えなかった。


 ミヤビには確信があった。

 時間を稼げば、奴が来ると。


 キン、と澄んだ音。


 黒が崩れる。


 太陽が眩しかった。


「遅くなりました、師匠」


 愚かしくも愛おしい弟子の姿が、視界に映った。



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