第169話◇空腹

 


 ――腹が減ったな。


 模擬太陽が落とされたこともあって分かりにくいが、ミヤビが《エリュシオン》に侵入して三日か四日が経過していた。


 三体の魔人を武器無しで斃したあたりから敵も捜索に本腰を入れ始め、あるじの指示なのか魔力防壁を展開しながら二体一組で行動するようになった。


 こうなっては奇襲や暗殺も難しい。


 《黎明騎士デイブレイカー》が魔力反応もなく飛びかってくるなんて『想定外』だからこそ上手く行っていたのであって、そうでもなければ一体殺すにも難儀していただろう。


 いや、殺すまでは膨大な魔力で出来るだろうが、その後が面倒だ。


 隠密行動が必要な場面で敵に場所を晒すなど愚かの極み。


 だからミヤビは捜索の目が厳しくなって以降、実力的に討伐可能な場面でも息を潜めてやり過ごした。


 ――めちゃくちゃ腹が減ったな。


 ミヤビは戦士だ。睡眠も食事もそれが許される時に取り、ある程度は断った状態で行動出来る。


 とはいえ、戦士も人間であることはやめられない。


 神経をすり減らす極限の集中を数日間持続し、栄養補給もなく不眠不休というのは、さすがに簡単ではなかった。


 敵もそれを理解しているのか、住民の監視をより強めていた。万が一にもミヤビを匿う者が現れぬようにと気をつけているのだ。


 休息の時を与えぬように。


 ――こういうのを、袋の鼠っつぅのかね。それにしても腹が減った。


 ミヤビは慌てない。意味が無いからだ。

 ミヤビは絶望しない。意味が無いからだ。


 最初からそうだったわけではない。


 無数の動転と屈折を繰り返した先に、それらを克服した。

 良くも悪くも、人は慣れる生き物だ。


 果たしてこの場合は、どちらなのか。


 ミヤビは気配を断った状態で移動。時に家屋の屋根を、時に樹木の幹を、家畜小屋の中を通ることもあれば、井戸の中に身を潜めもした。


 そうして徐々に目的地へと向かう。


 都市の設計はそれぞれ異なる。人類領域が建設された当初の人間にはまだ『国』という意識があったので、設計士の出身国家や都市、あるいは好んでいた建築様式などの影響を受けることが多かった。


 それでも計画が持ち上がった段階からの基本形というものは存在し、それに倣った作りになっているものも珍しくない。


 事実ミヤビが見てきた都市はどこも『円を囲むような壁』と『中心に背の高い施設』という部分が共通していた。


 《カナン》で言えばタワーのことだ。


 建造物の形状は違えども、施設に求める役割は同じ。

 タワー付近にあるものは、この都市の中心部にもある筈なのだ。


 ミヤビが目指しているのは、檻だった。


 ――鼠が猫を噛むって話もあるんだ。噛み付いてやるさ。噛み付くと言やぁ、腹減ったな。


 この都市には《偽紅鏡グリマー》がいない。


 皆殺しにしたという可能性も充分ある。

 その場合は無駄足だ。


 だが、そうでないなら?

 生かされている《偽紅鏡グリマー》がいるなら?


 ここ数日で街を回った限り、残る候補は中心部の牢しかない。


 ――緊急時だ、おちよ。浮気とは言うなよ。


 冗談めかした思考に、苦笑が漏れる。実際は口の端がほんの僅かに上がっただけの変化で、気配の遮断にも乱れは生じていない。


 《エリュシオン》の中心に聳えるのは尖塔だった。


 ――どう侵入するか。


 尖塔の入り口には二体の魔人が門番のように控えている。


 牢屋はその地下。他の入り口は無し。

 地下に目当ての存在が確実にいるのであれば、強行突破という選択肢も無くはない。


 とはいえ、だ。

 魔力反応で分かる。


 『奴』が中にいる。自分と妹を負かした魔人が。

 しばらく入り口を観察していると、変化が。


 ぎりぎり十代に入ったかどうかくらいの少年が、食料を積まれた孤輪車を押していた。


 彼が塔の入り口で止まると、魔人は扉を開けて少年を通す。


 ――食料を運ばされてるのか。


 魔人に人間のような食事の必要は無いが、機能的には可能だ。長い時を生きた者の中には味覚を満たすことで無聊を慰めるという者もいる。


 『奴』がそうであってもなんら不思議はない。

 少年が出てくるまでには少し時間が掛かった。


 出てきた少年の顔を見て、ミヤビは確信した。


 ――中に《偽紅鏡グリマー》はいる。


 淡い恋心を思わせる唇の緩みと、直後に瞳に宿る己の無力感への怒り。

 魔人に心酔しているならば後者は妙だ。


 塔の中の何者かに恋をしているが、その人物は自由ではない。

 たとえば、囚われの身とか。


 ミヤビはその場を離れ、少年を追った。

 その少年が人気のない路地に入った瞬間、背後から近づき口を押さえる。


「――――!?」


「落ち着け、あたしは……まぁ怪しいもんだが、敵じゃあない」


 暴れようとする少年に、魔法の言葉をささやく。


「助けたい女がいるんだろ? 手伝ってやるよ」


「――――ッ!」


 少年が全身で驚愕を表した。


「あたしの話を静かに聞けるか? そうなら頷け」


 しばしの時間があったのち、こくりと頷き。

 そっと手を離す。


「あんた……侵入者ってやつか?」


 振り向くなり、少年は警戒心むき出しでこちらを睨みつける。


「だったら?」


「ほ、報告する。お前の所為で太陽が消されて、みんな困ってる」


「それに関しちゃ申し訳ねぇと思ってるさ。お前さんらの生活を壊したいわけじゃあねぇからな。むしろ逆なんだが……。ともかくだ、話を戻そうぜ」


「なんで……なんでぼくのことを知ってる」


「ちらっと見てたが、食いもん届けるだけにしちゃあ出てくるまでに時間が掛かってたしよ、更には出てきた後の顔だな。まぁそのあたりはどうでもいいだろ。助けてぇのか、助けたくねぇのか」


 少年は黙ってしまう。

 悩んでいるのだろう。


 いきなり現れ都市に迷惑を掛ける怪しい女に、ノータイムで協力を申し出る方が異常だ。


「救けるって、どうやって。あいつは塔の地下で、鎖に繋がれてる。連れ出したとしてもすぐに捕まる」


「そいつは《偽紅鏡グリマー》なんじゃねぇのか?」


「……お前、何者なんだ」


 警戒心が強まる。同時に、関心も。

 ミヤビは敢えて、豪快に見える笑顔を浮かべた。


「相棒とはぐれた、、、、無力な《導燈者イグナイター》さ。協力してくれんなら、お前さんの救いたい相手を救おう」


 少年の答えは。



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