第168話◇和装
「ヤクモ、アサヒ。出撃前に悪いが、これを渡しておく」
ヤクモは《隊》の皆に先に行ってもらうことにし――セレナは例外だ。そしてツキヒ組は当たり前のように残った――ヘリオドールからそれを受け取る。
木箱だ。
「ミヤビが指示して急ぎ作らせていたものだ。《
「いえ、僕は……」
ヘリオドールは『光』の隊服姿であるし、師のことだから好きな格好を好きなようにしているとばかり思っていた。
「そういえばあの女、いつも和装でしたね」
「己はヤマトの民である、という奴なりの主張だろう……」
ヘリオドールはどこか遠くを見るような目つきになったが、すぐにかぶりを振った。
「奴の意志を汲む必要は無い。だが、きみ達は奴の弟子だ。そしてそれは形ばかりではないと、わたしは考えている。時間は無いが……いや、これは感傷だな」
「いいえ、ヘリオドールさん。そのお心遣い、ありがたく頂戴します」
黒い髪と瞳を持っていても、ミヤビを正当なヤマト民族と扱う者は少ない。奇跡的に才能に恵まれた夜鴉、という位置づけをして、彼女の実績を支える膨大な努力に目を向けようとする者は少ない。
それでも彼女は武器、剣技、喋り言葉、装い、振る舞い。あらゆることで、ヤマトを印象付けようとしている。
自分はヤマトの民なのだと。ヤマトの民は強いのだと。決して、不当に扱われるべき存在ではないのだと。
在り方で証明しようとしている。
それを、どうして無視出来よう。
木箱の中身は、衣装だ。
「すぐに着替えます」
アサヒもそっと木箱を腕に抱え、頷いた。
◇
それは和装というには伝統を無視した作りだが、現代の感性に合わつつ戦闘時の立ち回りも考慮されているのが分かるものだった。
黒に染められた生地で出来た袴装束。
「兄さん……それ、まずいですよ……がっごいい……」
アサヒが両手を口許に当てて悶えている。
そういうアサヒは、ヤクモのそれよりも更に和装らしさを欠いている格好だった。
ヤクモの知識では巫女装束、というのが一番近いだろうか。だがヤクモの知っている巫女服は上下純白でもなければミニスカートでもなく、たっぷりとした袖を残しながらも肩と脇と背中が露出するような奇抜なデザインではなかった筈だ。
ヤクモは漆黒の衣装に雪白の帯、アサヒは雪白の衣装に漆黒の帯。
「……アサヒもよく似合っているよ」
ここまで含めて師の指示なのか、あるいは仕立てた者の趣味か。
「いーなぁ。セレナも和装? ほしいかも。ヤクモくん、次はこういうのプレゼントしてよ」
ヤクモの褒め言葉に喜んでいたアサヒが、不機嫌そうに目許を歪めた。
だが口論に発展することもなく、アサヒは「行きましょう。みなを待たせています」と冷静。
「これつくったやつ誰なのさ……色々見えすぎだろ」
ツキヒは不安そうにぶつぶつと呟いていた。
「ツキヒも、和装が、いい?」
「ヴェル、そういう話はしてないから」
「似合うと思う」
「……はいはい」
あしらうようにしながらも、ツキヒの唇は綻んでいるように見えた。
タワーの外に出てからは急ぎ昇降機に向かう。
セレナの姿を衆目に晒すわけにはいかないので箱馬車を利用。
「ねぇヤクモくん。ヤクモくぅん? 鎖はいつ外してくれるのかな?」
じゃらじゃらと鎖を鳴らしながら、セレナが上目遣いにこちらを見つめてくる。
「つけたままでは戦えないかい?」
「え」
「……壁の外へ出るまで我慢してほしい」
「ちょっと驚いちゃった。でもそっか、今の冗談だよね? なんだかほんとに人間の言う『友達』とか『仲間』みたい」
セレナは嬉しそうにはしゃいで見せた後に、ぞっとするような微笑を向ける。
「それとも、セレナにそう思わせたい、とか?」
「僕は、可能な限りきみを協力者として扱うつもりだと言ったろう? きみがどう思うかは自由だ」
「ヤクモくん。人間は魔人の愛玩は知っていても、恋愛は知らないでしょう? 凄いんだよ、男女は関係ない。強い方が、見初めた相手をものにするの」
セレナは圧倒的な戦闘能力で一度ヘリオドールを打倒し、ヤクモ達も連れ帰ろうとしていた。
ペット欲しさであの強引さなのだ。
それに恋情や情欲が絡むとなれば、いかなる行為に出るか予想がつかない。
少なくとも、人間との間に結んだ契約など歯牙にも掛けないだろう。
「…………」
「きみが何を考えているか分からないけど、籠絡を考えているならやめた方がいいんじゃない? 間違ってセレナちゃんが人間の男の子に恋なんかしちゃったら、大変だ」
「そうだね、気をつけるよ。僕は協力者を失いたくないからね」
「その時がきたら、それだけじゃあ済まないけどね」
「いいや、それで終わる話だ」
セレナが怪訝そうな顔をする。
だがすぐに、好戦的に微笑んだ。
「……あぁ、なるほど。きみは、セレナを本気で倒せると思っているんだね。夜の中でも? 一人でも? 前回みたいにうまく行くかな?」
「そういう問題じゃあない」
「?」
ヤクモは何か言いたそうな顔をしているアサヒを見て、それからセレナに視線を戻した。
「強者に惹かれる魔人とは違って、人の心は戦闘能力だけで手に出来るようなものじゃないんだ」
「――へ、ぇ」
興味深いとばかりに、彼女はヤクモをじろじろと眺めた。
「セレナには、人間の心なんて簡単に思えるけどな。死にたくなかったらなんでもする生き物だ」
「愛するふりさえ出来るかもしれないね。けれど、もしそれで『相手をものにした』だなんて思えるなら、きみはとても悲しい人だ」
「支配下に置くことを、所有するって言うんだよ」
「ならばなおのこと、きみに僕を所有することは出来ない」
「あんまり興奮させないでよ、試してみたくなっちゃうでしょ」
彼女の纏う空気が一変する。首に切っ先を添えられるような寒気。
だが、ヤクモは彼女から視線を逸らさない。
「熱烈だね」
「はぁ? ……あー、あぁ、うん。そうだね、それをするのは万が一恋に落ちたりなんかした時だけ。これじゃあ告白みたいだ。ヤクモくんってば、人を乗せるのが上手いんだねぇ」
ヤクモの言葉の意図に気付いたセレナは、先程までの殺気が嘘かのように空気を弛緩させる。
臨戦態勢をとったツキヒは、呆気にとられるように戸惑うような表情を浮かべていた。
「あなたが兄さんの心を手にできない理由をお教えしましょうか?」
「あ? ……言ってみなよ」
アサヒはこれ以上ないしたり顔で言った。
「兄さんの心は、とっくにとある美少女のものになっているからです」
「なにそれ、セレナ?」
「わたしのことだ!」
「あはは、面白い」
「笑うようなところではないんですけど!?」
こういうのを犬猿の仲というのだろうか、とヤクモは悩ましげに額を押さえる。
「……ついたよ」
ツキヒの一言で、会話は即座に終了。
全員で外に出る。
念の為、セレナには頭から布が被ってもらう。
「ここのところ忌々しい光を浴びてばかりだったから、暗闇が懐かしいなぁ」
「こいつ、ほんとにお兄さんに従うわけ? 壁の外に出た途端特級との戦闘とか時間のロスどころじゃあないんだけど」
大丈夫だと言い切れないあたりが不安だが、少なくとも彼女がヤクモに見せる執着は本物に思えた。
「ヤクモくんに目をつけたのはセレナが先だからね。おうちを盗まれた挙げ句にヤクモくんまで殺されるなんて我慢ならないから、ちゃんと手伝ってあげるよ」
「へぇ、なら都市を奪還したその後は?」
「それを考えてる余裕あるの?」
「……魔人め」
ツキヒの眼光もなんのその。
跳ねるような足取りで昇降機に向かうセレナ。
「隊長。丁度よかったですね」
昇降機に乗れる人数には限界がある。
《隊》のメンバー全員を乗せるには二往復が必要で、丁度二度目に間に合ったようだった。
《蒼の翼》第一位エメラルド=スマクラグドスが陰のある薄笑みでヤクモを迎える。
「兄上と何の話をするかと思えば……なるほど、衣装ですか。さすがは
感心しているようにも皮肉にも聞こえる言い方だ。
「あにうえ? ん? あー、あっ! この子あれだ。土を操る子に似てるねぇ」
セレナの声に、エメラルドは忌々しげに舌を打つ。
「……ヘリオドールは僕の兄だ。だが貴様には関係が無い、黙っていろ」
薄い灰色の髪といい、真面目な性根が窺える表情や態度といい、確かに面影がある。
「冷たいなぁ。セレナに優しいのはヤクモくんだけかぁ」
「隊長のご温情を理解できる頭があるなら、ご迷惑をかけぬよう心がけろ」
「違うよ。セレナはセレナのままでいいんだ。ヤクモくんに協力したのはそれを保証してくれたから。でもなるべく静かにするよ。ヤクモくんの為じゃなくて、面倒くさいから」
「……勝手にしろ」
唾棄するように言ってから、エメラルドはヤクモを見た。
「兄上のようにとはいきませんが、微力を尽くす所存です。共に都市を奪還いたしましょう」
「あぁ……よろしく」
彼の熱意は本物だ。
だがなんとなく、違和感を覚えた。
兄と同じ『光』でもなく、魔獣を討伐する『白』でもなく。
本気で都市の奪還に燃える少年が何故、『青』に入ったのだろうか、と。
安易に踏み入っていいものとも思えない。
ヤクモはその疑念を頭の片隅に追いやり、昇降機に乗り込んだ。
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