第146話◇落下
錯覚ではない。
粒子が。
赫焉の粒子が舞い、時に刃の形に、時に杭の形に、時に鍬のように時に槌のように。
次々と変容しては綻びを破壊している。
何十何百もの層を剥いて回っていた。
『あの一瞬で、カタナ本体まで粒子に変え、その全てを逃していた……?』
『!? だ、だとしても説明がつきません……! ヤクモ様は今どのようにして粒子を操り、どのようして破壊しているのですか!?』
人間業ではない。
爆煙が晴れるまでの時間と、勝利を確信出来ずにいる時間、そして今動揺している時間。
それらが、ヤクモに味方した。
砕け散る。
彼を飾るように散った氷片達は、きらきらと輝いてとても綺麗だった。
同調現象で白の髪をたなびかせる彼に、その光景は異様な程に似合っていて。
戦闘中だというのに、視線を奪われる。
あぁ、そうだ。戦闘中なのだ。
まだ終わっていない。
彼の鼻と口許は、白に覆われていた。
『……マスクですか。凍結の一瞬前に酸素を吸い込み、マスク内に一呼吸分の酸素を用意したとすれば……』
彼ほどの実力者であれば、氷の中にいようとも思考は継続させられる。
彼が凍結のその時まで微動だにしなかったのは、避けられないことを悟ったからでも爆煙の理由を考えていたからでもない。
正確には、それだけではなかったというべきか。
――視ていたのね。
クリード戦のことは聞き及んでいる。
その時のように発動と同時に破壊することこそ出来なかったようだが、ならばと彼は考えたのか。
発動後に破壊すればいいと。
だからギリギリまで魔力の流れを読むことに集中し、赫焉を綻びの予想地点へと向かうよう操り、自身が凍結された後も意識ある限り綻びを突いた。突き続け、氷を砕いたのだ。
自分も、同じようにやっている筈だった。
彼の能力を把握し、為人を把握し、動きを予測して戦いにあたった。
それは上手くいったのに。
上手く行った後でさえ、越えられてしまうのか。
『……お嬢様』
「えぇ、えぇ、分かっているわ」
越えられたとしても。
まだ勝負は終わっていない。
どれだけ寒さに強いといったところで限度はあるだろう。
その身が真実氷漬けになるなどという経験は彼とて初めてだろうし、それが肉体に与える影響は小さくない筈だ。
四足獣が如き疾走も、目を瞠る程ではあっても目に留まらぬという程ではない。
彼は万能の怪物などではなく、無才の努力家なのだ。
奇跡は起こせても常理の住人には違いない。
寒ければ震え、息が出来なければ苦しく、身体に負担が掛かれば動きが鈍くもなる。
魔力強化を施し地を蹴る――猶予は無い。
即断。
ラピスは足元に鎖を打ち付け、形態変化で延伸させる。
それによってラピスの身体は中空へと舞い上がる。
真剣に戦うとなれば、こうなる。敵の得意とする距離を避ける。
僅かな違和感。
それはすぐに答えとなる。
――わたしは、勝利にあと一歩のところまで来ていた筈よね?
――なのに何故、後手に回っているの?
これまでは基本的にラピスが攻めていた。ヤクモがそれに対応するという形だった。
なのに一転、ヤクモの攻勢をどう凌ぐかと考えている。
『お嬢様、来ます』
来る?
ヤクモは空を飛べない。
だが確かに、迫っていた。
いくら彼でも垂直に駆け上がってくることは出来ない。
環状の鎖素子の円を描く部分、そこに白い何かが絡みついていた。
トルマリン戦で見たものの応用だ。
粒子で足場を作り、それを利用してラピスに接近したのだ。
これ以上高くは逃げられない。氷獄の天上があるから。一部を解除してしまえば粒子を返すことになる。
凍結を行うことも出来なかった。
それをしようとすれば確実に鎖を斬られる。
そうなれば空中にイルミナを放り出すことになってしまう。
リツを使ってイルミナを捕まえれば共に落下し、自分ひとりだけ着地してもイルミナは落ちる。
この状況で彼を墜落させるだけの爆発を起こせば、イルミナも傷つけてしまう。
距離を開くという選択肢が、フィールドの半分を覆う氷塊や空間を遮る氷獄といったこれまでの積み重ねが、彼を追い詰める筈の策が、何故か自分の首を絞めていた。
連接棍を振るおうとして、手応えが無いことに気づく。
――赫焉刀っ!
一振り分の粒子は使えるのだ。
一部を足場に使用していた為に刀身はやや短いが、ものを斬るには充分。
身を斬られた痛みの代理負担対策をなんとか間に合わせるも、その遅延によってヤクモの一閃が鎖を断ち切った。
昇ってきたのはラピスを斬る為ではなく、意識を自分に向けている間に連接棍を斬る為。
二つの武器が断たれ、人へと戻る。
氷獄や氷塊が魔力へと還り、消えていく。
ヤクモの行動は迅速だった。
氷獄に阻まれていた粒子はイルミナとリツの落下地点に先回りし、クッションのような弾力性溢れる物体となって二人をそれぞれ受け止める。
落ちるラピスを受け止めたのは、赫焉のクッションではなかった。
鎖を斬ると同時に地面に飛び降りていたヤクモだ。
いわゆるお姫様抱っこ。
だが何も特別扱いでも好意でもない。
首に回された彼の腕の先、手には小刀が握られていた。
落下は助けるが、戦意が残っている可能性は捨てない。
むしろ詰めの一手として受け止めた。
「……わたし達は、勝つつもりで戦ったわ」
胸にこみ上げてくるのは悔しさと、不思議なくらいの清々しさ。
自分は出し切ったのだ。
その上で、負けてしまった。
ならばもう、それを認めて、悔しがる他にやることはない。
次は勝つと、前を向く他にない。
「あぁ、僕達もだ」
当たり前のことを口にしたラピスに、彼も応えてくれる。
「……わたし達の負けね」
どれだけの者が、この戦いを理解出来ただろう。
氷獄によって内部の状況が不透明になり、氷獄が消えたかと思えばラピスがお姫様抱っこで敗北宣言とは、異様な光景だろう。
だが魔力探知の優れた者――審判を務める者も含まれる――であれば、ラピスが全力を出したことだけは分かる筈だ。
多少戸惑ってはいたが、審判は状況を判断。
ラピスの敗北宣言が正当であると判断し、勝敗を告げた。
学内ランク
対
学内ランク
勝者・ヤクモ、アサヒペア。
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