第145話◇薄氷

 



 まさしく、それは氷の牢獄だった。


 フィールドの半分は既に氷塊で埋まっている。


 残り半分は、氷の箱に閉じ込められていた。


 それも一層二層ではない。


「……きみ自身も囚われてしまっているよ」


 ヤクモの無意味な皮肉に、ラピスは嬉しそうに軽口を返す。


「あなたとなら、閉じ込められるのも悪くないわ」


 氷獄の天上は丁度、氷柱と粒子が舞う下。


 そう、彼女の狙いは赫焉の粒子を戦闘から排除すること。


『綻びを斬らないことには戻れません……でも』


 模擬太陽の光は幾重にも折り重なった氷の天上、壁面を乱反射し、きらきらと美しい輝きを放っている。


 だがその所為で綻びの正確な位置が判断出来ない。ただでさえ複数の層で構成されていることもあり、見極めは困難。


 それだけではない。綻びの大まかな位置が天上に固定されているのだ。


 特定するには上を見上げなければならず、だがそれは眼前の敵から視線を外すことになる。


 視線が外れることによって意識が外れてしまえば、それもう致命的な隙となる。


 つまりこうだ。

 ヤクモはこの試合、残り少ない赫焉の粒子で《氷獄》を打倒しなければならない。 


 ラピスの作戦がこれ以上なく上手く嵌った形だ。


 やられた、という気持ちが無いではない。

 だが、気落ちも絶望も無かった。


「赫焉は、とても頼りになる力だけれど」


 ラピスは黙ってヤクモの言葉を待っている。


 残ったのは雪色夜切本体と、赫焉刀一振り分程の粒子。


 彼女相手に充分とは言い難い、が。


「元々、これが無くても優勝するつもりだったんだ」


『! はい……! はい! そうです、わたし達なら絶対に勝てます!』


 気勢を上げるアサヒ。


「あなたらしいわ」


 対するラピスは、一瞬だけこちらを羨むように見ていたが、すぐに表情を引き締める。


「でもね、ヤクモ。わたしも、自分達が負けるとは思わないの。イルミナもリツも、本当に素晴らしい子達だから。わたしの能力不足で、負けさせるわけにはいかないのよね」


 ラピスは魔力炉規格も魔力出力も最高のA。トルマリンにこそ及ばないものの魔力操作能力も高い。


 とはいえ、大規模の魔法発動は魔力炉を消耗させる。


 機能的な限界がまだだろうと、短時間に連続して大魔法を発動した反動で、魔力炉のある腹部が痛むことだろう。

 事実、彼女はこの寒さの中で額に汗を掻き、腹部を押さえていた。


 ヤクモ組になんとしても勝利しようという意識が、魔力配分を狂わせていたのか。

 それとも、覚悟の上か。


 どちらにしろ、既に時間経過も彼女の味方とはならない。


 浅く呼気を漏らす。


 肺を満たした突き刺すような冷気は、吐き出しても痛みという形で後を引く。


「いざ、尋常に」


「えぇ、あなた達と戦うに相応しい振る舞いを心掛けましょう」


 ラピスはヤクモと自分の中間地点を盛大に爆破した。


 爆煙が立ち上り、ラピスの姿が隠されてしまう。


『煙幕代わりでしょうか』


 それも考えられるが、ヤクモ達のことを熟知し見事なまでに対策を練り上げたラピスからすると普通過ぎる。


 おおまかな位置であればヤクモでも肌で感じ取れるが、魔力に乏しいヤクモを目視以外で知覚するのは難しいだろう。

 身体操術ではヤクモが勝っているのだから、視界を遮るのは彼女からしても良い手とは言えない。


 目的があるとすれば。


『いえ、兄さんこれは』


 ――彼女の目的を考える時間そのものが狙いか。


 ヤクモの思考力を割かせることこそが目的なのだ。


『っ、ぁっ……!』


 指示を、出そうとしたのだろう。


 だが、もう無理だった。


 氷獄に逃げ場は無く、彼女の次の魔法は爆破跡からヤクモ側の空間全てを凍結する。


 クリード戦で見せた、魔法の発動の瞬間と同時に破壊する技は使えない。


 あれは魔法の癖を見抜いたこと、極限の集中、赫焉の粒子を自由に扱える状況など幾つもの要素が重なって初めて実現可能になる。


 現在クリアしているのは魔法の癖くらいのもの。


 あの異様な頭の冴えがあったとしても、発動と同時に消すには粒子の総数が足りない。


 彼女の魔法はそれほどまでに精密で複雑なのだ。


 敗北が脳裏をよぎらなかったといえば、嘘になる。


 それでも。


 妹の苦しげな声を聞いてもなお、絶望がヤクモを覆い尽くすことだけはない。


 ――視ろ。視ろ。視ろ、視ろ、視ろ、視るんだ。


 視線を巡らせる。気配を探る。思考を加速する。


 自分は凍結される。


 それは避けられない。


 だからなんだ、、、、、、


 元より対戦相手全員格上だということは承知で学舎に入った。


 自分が妹と共に単騎で特級を打倒しようと、そんなことは結果でしかない。


 その結果一つで、全てがひっくり返ることなどない。


 強者は変わらず強者で、自分達には相変わらず才能が無い。


 だから、敗北は確定事項。


 決まりきったことを、どう覆すかという戦いに、自分達は挑んでいるのだ。


 次の瞬間、ヤクモの身が凍りついた。


 今度こそ、防ぎようもなく。


 ◇

 

 ラピスは正直、戸惑っていた。


 爆煙も晴れ、現れたものを見ても目を疑った程だ。


「……勝った、の?」


 その為に全力を尽くしたが、目の前で凍りつくヤクモを見てもやはり信じきれない。


 次の瞬間には彼の姿がまた掻き消えるのではないか。


 真後ろに現れるのではないか。


 じくじくと、下腹部が痛む。内側から針で刺されるような、内臓がひっくり返るような、不愉快な痛みだ。


 出力が高かろうと、魔力炉規格が良かろうと、臓器が臓器であることからは逃れ得ない。

 酷使すれば悲鳴を上げるのは道理。


 魔獣の大群相手にさえ使うかも分からない魔力を投入した大魔法の連続は、結果こそ出したもののラピスを消耗させていた。


 それが悪い想像を掻き立てるのだろう。それだけ精神が疲弊しているということだ。


『ラピスさま……その、人というのはどれくらいの間、氷漬けでも生きていられるものなのでしょう。その、ヤクモさまに万が一のことがあると思うと……』


 彼に恩義を感じ好意を抱いているリツからすれば、気が気でないだろう。


 リツの言いたいことは分かる。


 ラピスも普段であれば審判の判断と同時に魔法を解くのだが、今回は氷獄を展開したために審判さえも追い出した形となってしまった。


 勝敗の判定を仰ぐには氷獄を解かねばならないのだが、何故かそれは躊躇われた。


 氷獄が消えれば赫焉の粒子を遮るものが無くなる。


 自分が勝ったのであれば、それは問題にならない。


「いえ……おかしいわ」


『……はい。《|偽紅鏡(グリマー)》の姿が見えません』


 そうだ。


 《|導燈者(イグナイター)》の意識が途絶えれば、《|偽紅鏡(グリマー)》は人に戻る。


 魔法的、物理的な障害は関係ない。いや、何かが既に存在する空間に出現は出来ない――例えば氷の中に現れるなど――から、この場合は凍ったヤクモの近くにアサヒが転がっていなければおかしい。


 これまでも、例えば学内ランク二十四位紅炎スペサル=ティーンを倒した時に――視界に捉えてこそいないが――《|偽紅鏡(グリマー)》は氷の外に出てきていた筈だ。


 それによって審判も意識の喪失、戦闘続行の不可を判断出来るのだろう。


 だが、それが無い。


 つまり、ヤクモはまだ意識がある?


 氷漬けの状態でどうやって?


 ピシッ、あるいは、パキッ。


 亀裂が入り、罅割れるような音が小さく鳴った気がした。



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