第147話◇撹拌

 



 ルナ=オブシディアンは、自分が嫌いだ。


 自己中心的で、他者への理解や配慮が欠けている。

 そのことに自覚的でありながら、変わろうとも思わない。


 思春期特有の無根拠な全能感に酔っているわけではない。

 むしろ逆。


 ルナは幼少期から、これ以上なく非情な現実を突きつけられて生きてきた。


 それもそうだろう。


 四歳の時点で『役に立たないから』という理由で実父に捨てられそうになる子供がどれだけいる?


 産みの母が死んだ時点で義理はなくなったとばかりに、父はルナと姉を壁の外へ捨てようとした。


 父は五色大家の当主で、妻が何人もいた。《|偽紅鏡(グリマー)》と常人の婚姻は認められていない為、母は愛人だ。現在、書類上の実母は別の人物ということになっている。


 姉に至っては、存在を抹消されていた。


 アサヒ=オブシディアンは、この世に生を受けた記録さえ無い。


 自分達姉妹は、上のきょうだい達にとって嫌悪の象徴だった。家族が集まる場であっても、母と姉妹だけは呼ばれなかった。


 ルナはそれが不愉快で、でも母と姉はそんなルナを宥めて笑うばかり。


 理解が出来ない。


 悔しくないのか。


 軽んじられて嬉しい人間はいない。


 幼くとも、感情はある。拙い分、その想いは強く剥き出しだ。


 赤子が全てを泣き喚いて伝えるように、ルナも怒りを周囲の人間にぶつけていた。


 使用人たちはすぐにルナに構わなくなった。そうしても父からお叱りを受けないと分かってからは、最低限の関わり以外は避けるようになった。


 母と姉だけが、ルナに笑顔で接してくれた。言葉を受け止め、慰めようとした。


 だが、ルナはそれさえ不愉快だった。


 母は不遇な扱いを改善出来ない程度の人間で、姉は救いようのない無能だ。


 自分は優秀なのに。もっと正当に扱われるべきなのに。


 誰もルナをまともに扱えない。


 どいつもこいつも下手糞で、うんざりする。


 母が死に、父は姉妹を捨てようとした。


 ルナは直談判に向かった。


 自分は役に立てる。自分はすごい。自分はたくさん魔法を持ってる。悪いのは自分じゃない。


 だから捨てないでほしい。


 ――『お父様、ツキヒはとても優秀な子です。わたしなんて及ばない。本当に素晴らしい《|偽紅鏡(グリマー)》になります』


 ――『だから、どうかお願いします。あの子にチャンスをお与えください。わたしは何のお役にも立てません。けどツキヒは違う。あの子は本当に、すごい子なんです』


 ――『お願いします、お父様。ツキヒだけは、どうか』


 父の書斎には先客がいて。

 姉は自分には決して見せない必死な表情で、妹の価値を説いていた。


『決めたことだ』


 父は当然、それを一蹴。


 だが姉は諦めなかった。


 いつも、例えばぬいぐるみであったり、服であったり、好物であったり、母の膝の上であったり、どんなものでも、姉はすぐにルナに譲った。何かを諦めることに抵抗なんてなさそうな人間だった。


 なのに。


『ツキヒは、たくさん魔法を持っています。か、かならずオブシディアン家の名をたかめることになります……!』


『誰にも抜けぬ聖剣に価値があるか? 保存に費用がかかるとなれば、道楽以外に残しておく理由は無い。貴様にはわたしが、そのような愚か者に映ると?』


『違います、お父様。ツキヒは、いつも考えています。自分なら、自分の魔法をどう使うか。ですからどうか考えて……少しだけ、お考えください。もしも、これまでツキヒを使えなかったひとたちより、あの子の方が正しかったら?』


『…………』


『お父様の言う通り、ツキヒはお話に出てくるみたいな聖剣と同じです。抜けないのだとしたら、それは剣が悪いのではありません』


『わたしの選んだ《|導燈者(イグナイター)》が無能だったと? 貴様にそれがわかるというのか、魔法を持たぬ《|偽紅鏡(グリマー)》が』


『……わかります。ツキヒのことを押さえつけようとする人では、ツキヒは使えない』


 父の眉が、僅かに上がった。

 それからしばしの沈黙の後、父がゆっくりと口を開く。


『ツキヒは発動者の肉体の支配権を握る魔法を搭載していたな……。手練の《|導燈者(イグナイター)》に使わせるのではなく、主体性の無い者をツキヒが操るのであれば……』


 姉の表情が明るくなる。


『はい……! ツキヒの言葉を聞いてくれる《|導燈者(イグナイター)》を見つけられれば、とても、とても強い領域守護者になれます。ぜったい、なれます……!』


『認めよう。その条件で再度候補を探す』


『……! ありがとうございます、お父様』


『だがアサヒ、貴様を残す合理的な理由は無い』


 父の言葉は冷たかった。


 一瞬、ほんの一瞬表情が歪んだようにも見えたが、どうせ錯覚だろう。


『……はい』


 ルナは、わけが分からなくて。


 だって、妹の時は一歩も退かなかったくせに。


 自分のことは、そうもあっさり諦めるなんて。


 全身が熱くなった。


 羞恥によるものだ。この場から消えてしまいたくなるくらいの、恥辱だった。


 考えてなかったのだ。


 自分のことに必死で、姉のことを。


 ルナは、考えていなかったのに。


 姉は、アサヒは、ただ妹のことだけを考えていた。


 それが、とても、恥ずかしくて。


 ルナは逃げ出した。


 翌朝、父はあっさりとルナの残留を許し、アサヒは容赦なく捨てられた。


『よかったね、ツキヒ』


 別れの日、姉は力無げに笑っていた。


 ルナは何も言えなかった。


 何を言えばいいかなんて分からなかった。


『ツキヒなら大丈夫。とっても才能があるし、ぜったいに素敵な領域守護者になれるよ』


 全てを諦めたような顔で。


 これが最期みたいな声音で。


 なのにまだ、姉は笑っていた。


 その時になって、ルナは初めて気付いたのだ。


 母も姉も、笑って誤魔化すしかない愚か者なのではなく。

 自分の為に、笑みを浮かべていただけなのだと。


 ――優しくないのは、自分ツキヒだけ。


 姉は母に似たのだろう。


 でもきっと、自分は父に似てしまった。


 それが、本当に、心から、嫌で。自分が、気持ち悪くて仕方なくて。

 でも、必要だった。


 己が優秀だという自覚、確かな才能と努力によって積み上げた実績。


 それからグラヴェルに出逢ったルナは、まず自分の中にあるヤマト民族の部分を捨てた。


 髪を染め、名を変えた。正妻の一人の娘という立場を得た。たまたま《|偽紅鏡(グリマー)》に生まれついただけの子供。


 目的があった。違う、やらずには気がすまないことがあった。


 その為に、人生の全てをかけた。

 寝食を忘れて努力し続けた。


 だがその全ては、もう無い。


 自分に残ったのは、実力と実績だけ。


「ツキヒ」


「……ヴェル」


 自分の《|導燈者(イグナイター)》。通常とは立場が逆で、ルナがグラヴェルを従えている。


 彼女はそれに異を唱えることもなく、これまでずっと従順だった。

 濃い紫色の長髪、紫玉の双眼。


「ルナだって言ってるでしょ。他の奴に聞かれたらどーすんのさ、グズ」


 このパートナーは基本的になんでも言うことを聞くが、名前だけは断固としてヤマトの名で呼ぶ。


 ルナの何百回目か分からない指摘も無視して、視線を今決着を迎えた戦いに向けている。


「決勝、相手」


 観ていた。

 勝ったのは、姉とそのパートナーの夜鴉だ。


「……その心配そうな目はなんだよ」


 グラヴェルは一見無表情だが、十年も一緒にいれば些細な違いもわかるようになる。


「心配してる、から。だってあの子は、ツキヒの――」


「人形は余計なことを考えなくていいんだよ」


 睨みつけると、グラヴェルは黙った。

 表情は変わっていないが、少し拗ねている。


「……あんな無能に、ルナが負けるわけない」


 人間状態に戻ったアサヒが、ラピスラズリを腕に抱くヤクモに何事か叫んでいる。


 昔は、あんなではなかった。


 気持ちを我慢しなくてよくて、無理して笑う必要もない相手に巡り会えたのだろう。


 実の妹よりも、義理の兄の方が余程彼女の心に寄り添っていたというわけだ。


「……負けるわけ、ない」


 ――だからなんなんだよ。


 自分の言葉を、自分が嘲笑う。


 ――あれに勝ちたいわけじゃあなかった筈だろ。


 それでも、負けるという選択肢は無い。


 自分に残った最後のものを、奪われるわけにはいかない。


 ――結局、変わってない。


「分かってるよ……」


 《皓き牙》の学舎における大会予選決勝の組み合わせが決まった。


 学内ランク第一位|黒曜(ペルフェクティ)グラヴェル=ストーン 

 対

 学内ランク第四十位|白夜《ファイアスターター》ヤクモ=トオミネ


 無類の天才と、凡百の無才。


 複数の魔法を持つ武器と、一切の魔法を持たない武器。


 空っぽの人形と、己の肉体と精神に頼る剣士。


 そして、ランク持ちに限り、順位だけを見れば――最強と最弱。


 どちらが強いかを決める戦いが、迫っていた。



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