第142話◇努力

 


 ユークレースは医務室に運ばれた。


 会場の反応は様々だった。

 彼らのほとんどは、二組の攻防を視認出来なかっただろう。


 だからかろうじて理解出来た結果でしか勝負を語れない。

 呆気に取られている者はまだいい。凄まじさを理解出来ている数少ない者達も。


 だが、大多数の反応は悲しいものだった。


 やはり一位には敵わなかったとか、二閃用いずの異名は返上だとか。病人の頑張ってるアピールもここまでかとか、努力しても天才には敵わないんだから無意味だとか。


 その、あまりに程度の低い感想に、さすがのヤクモも苛立ちを隠せない。


 ヤクモに睨まれると、半笑いでユークレース組を笑っていた者達は射竦められる。


 あの境地に至るには、両者ともに穎脱した才だけではなく、血の滲むようなような努力が不可欠。


 ルナはパートナーとはいえ他者の身体で動く違和感を飼い慣らし、ユークレースは訓練もままならない弱い身体を押して鍛錬に励んだのだろう。


 その重さを窺い知ることも出来ない自身の未熟を恥じるならばまだしも、嘲弄するとは。


「兄さん……行きましょう」


「……どうすれば、人の努力を嗤えるんだ」


 ヤクモには理解出来ない。

 努力した者を、挑戦した者を、限界を超え勝利を求めた者を、どうして嗤えるのか。


 アサヒがヤクモの手を引いて歩き出す。

 次は兄妹の試合だ。


「違いますよ、兄さん。笑うことでしか己を守れないんです。どうあっても同じようにはなれないと理解しているから、失敗した者を嘲り、成功した者を天才と突き放す。そうでもしないと、自分の矮小さに耐えられないのでしょう。一種の自己防衛です」


 窘めるようでいて、その実追撃だった。


 アサヒの冷めた視線を受けた者達は顔を真紅に染めるも、真っ向から言い返してくることはしない。


 小声で夜鴉風情がと吐き捨てるだけで、逃げるようにその場を後にした。それ以外の者達も、どこか不愉快そうに、それでいて居心地が悪そうに視線を漂わせている。


 自分の矮小さに耐えられない?


 自分が矮小な存在であることは、ヤクモにとって前提だった。ちっぽけで、大人の庇護がなければ一日と生き残れず魔獣に食われる。戦う手段を得てからも、一歩間違えば家族を失う日々。


 自分は世界からすれば、本当に大したことのない命で。

 それでも、目指すべき場所が、目標があるから。

 全部受け入れて進むのではないのか。


「誰もが、確固たる目標を持てるわけではありません。そういう意味で、わたし達は幸福なのでしょうね」


 妹に言われて、なるほどと納得する。


 壁の外に飛ばされたから、ヤクモはこういう人間になった。なれた、と言ってもいいだろう。


 努力を笑う者にはただ、無かったというだけ。あるいは、忘れてしまったか。

 出逢いとか、喪失とか、きっかけとなる何か。


 どちらにしろ、悲しいとヤクモは思った。


 ユークレースのことが気がかりではあったが、試合はすぐ後。


 選手入場口へ向かう。

 ついに準決勝。


 この試合に勝利した方が、決勝でグラヴェル組とあたる。

 ユークレースが倒れた直後の対応、あれは真に弱者を笑う者の態度ではない。


 ルナのこれまでの言行が肯定されるわけではないが、彼女には屈折した理由があるのだ。


 ヤクモには直感があった。

 もし、それをどうにか出来る者がいるとしたら。


 それはヤクモでも、他の誰でもなく――アサヒだけだろう。


 アサヒも口にはしないが、妹との対話を望んでいる。

 本音を交わすことをルナが拒んでも、矛を交えれば知れるだろう。


 負けられない理由が、もう一つ増えた。

 選手用の通路。


「兄さん」


「大丈夫だよ。もう切り替えてる」


「でも、怒っていました」


「ユークレース先輩は、同じ風紀委の仲間でもある。馬鹿にされて愉快なわけがない」


「それだけですか?」


「…………」


 さすがは妹、と言うべきか。

 続けて放たれた言葉は、先のものよりも躊躇いが滲んでいた。


「コウマさんのこと、ですか?」


 平常を維持出来ると思った。少なくとも表面上は。家族を失うことは日常茶飯事で、そんな時でも兄妹は日々戦ってきたのだ。


 父を失っても、出来る筈。

 出来ていなかったようだ。


「確かに、結果は大事だ。でも、努力や挑戦といった行動だって、過程だって大事なものだと僕は思う」


 実際、魔人クリードは分かっていた。

 立ち向かう父の心をこそ評価し、戦士として扱った。


 魔人さえ持っている敬意を、何故人が人に対して払うことが出来ないのだろう。


「兄さん、わたしが言ったことを覚えていますか?」


「……忘れるわけないよ」


 死した者の命の価値は、生きている者の行動によって上下する。


「文面を追加しましょう」


「追加?」


「生きている者の努力の価値も、です」


「――――」


 敵わない、とヤクモは思った。

 ただ遣る瀬無い気持ちになっているだけの自分とは、大違いだ。


 確かに妹の言う通り。


 どうしても、人の努力を笑う者はいる。結果を出せなかったから、身体が弱かったり魔力が無かったり欠陥を抱えているからと、理由を付けて見下す者はいる。


 ならば、結果を出せばいい。


 誰よりも才能に恵まれず、誰よりも生まれに恵まれなかった自分達が、結果を出せばいい。


 努力の価値を証明する。


 夜鴉を無能と定めた世界で、夜鴉こそが頂点を獲れば、誰も文句はつけられないだろう。


「それまでは、好きに笑わせておけばいいんです。後で吠え面かかせてやる! ってな具合で」


 にこっと、妹は爽やかな笑顔。

 ヤクモは釣られるように笑って、それから彼女に手を差し出した。


「そうだね。笑いたい者には笑わせておこう。それが引き攣るのが、今から楽しみだ」


「その意気です。兄さんは真面目過ぎるんですよ。もう少し図太くなりましょう」


「あはは、頑張るよ」


「勝ちましょう、今日も」


「あぁ、僕らで」


 柔らかい手が、ヤクモの手を包む。

 ぎゅっと。


 二人はフィールドへ踏み出した。

 対戦相手は、既に立っていた。


 ラピス、イルミナ、そしてリツ。


「あら、見せつけてくれるわねヤクモ。アツアツという表現に相応しい状態よね、まぁわたしもあなたと熱い夜を過ごした経験があるわけだけれど」


「ないですね」


 平常運転のラピスだった。


 と思いきや一転、真剣な表情になる。


「この大会の結果に何が懸かっているか、わたしも理解しているつもり。その上で言うわね――勝つのはわたし達よ」


 ――あぁ、自分は本当に、仲間に恵まれた。


 真にこちらを思うが故に、手を抜かずに全力で戦ってくれる友人に。

 勝利は譲ってもらうものではないのだと、分かってくれる者に。


「いいや、僕達だ」


 試合時刻となる。


抜刀イグナイト――雪色夜切ゆきいろよぎり赫焉かくえん


解鎖イグナイト――セルリアン・コキュートス、ローシェンナ・グレイプニル」


 雪白の打刀と、同色の粒子。


 左腕に巻き付くは先端に刃の付いた鎖。右手に収まるは柄の先が鉄球となっている連接棍。


 イルミナは装着の方法、リツは武器の種類そのものが変わっている。だがパーツそれ自体はほとんど変わっていないことを見るに、足枷の形を取っていたのは精神状態が大きく影響していたのだろう。


 明確に武器と呼べる形になることが出来たのは、最早縛られていないという心の影響。


 『凍結』と『爆破』という、二つの強力な魔法を操るラピス。


 学内ランク第九位氷獄ラピスラズリ=アウェイン

 対

 学内ランク第四十位|白夜《ファイアスターター》ヤクモ=トオミネ


「義兄の時と違って、今回は全力が出せるのよ。悪く思わないでね」


 一瞬。


 ラピスの魔法展開速度と出力は学舎の訓練生の中でも群を抜いている。


 なにせ、瞬きほどの時間でフィールドの半分を氷漬けに出来るのだから。


 兄妹は避ける間もなく、それに呑み込まれた。

 あたりがしんと静まり返る。


 そのまま、十数秒が経過。

 観戦者も、審判も、勝敗は決したものと思ったようだ。


 一部の者を除いて。


「あなたたち、今まで一体何を見てきたの」


 ラピスのその一言で、勝敗を判断しようとしていた審判の口が止まる。


 次の瞬間、ヤクモは彼女の背後、、に現れた。



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