第141話◇二閃
ユークレース=ブレイクは生まれつき身体が弱かった。
中流階級の家に生まれたユークレースは、生活それ自体に苦労することこそなかったが、彼にとって人生はとても辛いものだった。
両親は異様に自分に優しかったが、それが欠陥を持って生まれた息子への負い目だと分かってからは、ただただ苦しかった。
病弱な所為で同年代の子供たちと遊ぶことも出来ず、ただ本を読んで幼少期を過ごした。
腫れ物扱いか、除け者にされるか。
ユークレースの前に現れる人間は二種類。
どちらも悲しくて堪らなかった。
だが少年が悲しむと、前者はより優しく、後者はあからさまに面倒くさそうにするだけ。
この先もずっとそうなのだと思うと、何もかもが嫌になった。
だってそうだろう。可哀想なものを見る目、弱い生き物を見下す目、それらに晒される為だけに生まれてきただなんて、あまりに酷い。
《|導燈者(イグナイター)》の適性があると分かった時、ユークレースは嬉しかった。
なにせ、都市で最も尊ばれる職だ。
もし、なれば。なることが出来れば。
変わるだろうか。
誇れる領域守護者になれば、父と母の内にある罪悪感を消してあげられるだろうか。
戦士になれれば、もう仲間はずれにはされないだろうか。
両親の反対を押し切り、ユークレースは《|導燈者(イグナイター)》になることを決めた。
だが、その道も易しくは無かった。
魔力強化は、思っている程に都合のいいものではなかった。字義通り、魔力による強化でしかなかった。機能を向上するのであって、改善するのではない。
人が馬車だとして、それを牽く馬を速くするのが魔力強化。
馬車の造りが脆ければ、速さに耐えきれず壊れてしまう。
身体の弱いユークレースでは、魔力強化で戦うにも限度があった。
ユークレースに幸いだったのは、三つ。
一つ、そもそも現代の領域守護者は遠距離戦を主としていること。身体能力自体は大して評価されず、身体が弱いことも大きなハンデにはならない。
二つ、パートナーに恵まれたこと。相棒のダンはユークレースの才能に気づき、他の者のように選んだ道に反対もしなかった。心配だけはされるが、尊重してくれる。
三つ、師に恵まれたこと。ユークレースの師はヤマト民族の老翁だ。ある日、近所の子供達に夢を笑われた日のこと。慰めてくれたその老人は、ユークレースが身体のことなどを打ち明け、それでも領域守護者を諦められないと言うと、優しく笑った。
『身体の弱い戦士なぞ過去にいくらでもおった。単に健康である者より余程強い戦士がな』と。
ユークレースは、自分もそうなりたいと思った。そう口にした。
老翁は、今の世では役に立たないかもしれない、ヤマトの技術と嘲笑われるかもしれないと言った。
少年は、自分が哀れまれながら生きているからか、ヤマト民族に対してそのような気持ちを持つことはなかった。そして、笑われても構わなかった。というより、既に嘲笑われている。
『変わりたいんです』
老翁は決して名乗らず、そもそも魔力税を払っていないようで、度々『赤』の正規隊員に捜索されていた。見つかったら壁外行き。なのに毎度逃げ延び、またユークレースの前に顔を出した。
食べ物と引き換えに、老翁はユークレースに剣技を教えてくれた。
それは対等の取引で、老翁はユークレースを上にも下にも見なかった。
稽古はとても苦しかったけれど、とても充実していた。
ユークレースの身体は、決してよくはならなかった。
だが、少年は強くなることが出来た。
身体能力が考慮されない学舎の評価基準によって、ユークレースは今年になって四位を獲得。
対魔獣の任務では、病欠時を除けばダンの魔法である雷撃で役目を果たすことも出来る。
だが対人戦となるとそうはいかない。
領域守護者が《班》で動くのに対し、学舎が個人での戦闘も教え、大会など競う場を用意する理由の一つに、対魔人の想定というものがある筈だ。
その成果が出ているかはさておき、実際に魔人を討伐するのは連携も個人技も抜きん出ている者達だ。
ユークレースの雷撃は当初、より高い魔力による防壁や多重展開に簡単に防がれてしまった。
師の剣技も、魔力強化と併せて使ったところで役に立たなかった。
使えないのではない。使い切れていないのだ。自分の何かが悪い。
諦められるわけがない。
天が自分に与えてくれた物は、これだけなのに。
《|導燈者(イグナイター)》としてさえ、不完全な欠陥品の烙印を押されるわけにはいかない。
だから、考えに考え抜いて。血の滲むような努力を続けて。
ようやく至ったのだ。
雷撃の性質に手を加え、魔力防壁への接触後に全体を走るよう魔法を組む。
そして魔力強化を脚部にのみ集中することで身体への負担を軽減。
上半身や腕の動きは、師の教えで充分以上にカバー出来る。
薄皮一枚残す切り方は、切り込みの瞬間に刃を非実在化させ、内部に侵入した部分のみ元に戻して身体の中を切り、切り抜く際に再び非実在させることで実現。
殺さず、だが戦闘の続行は不可能にさせる。
ユークレースの戦い方は、才能を下敷きにはしているものの、その上に積み上げた膨大な試行錯誤の結晶だ。
だが、ルナにはそれが通じなかった。
彼女がより大きな才能の持ち主だから?
そうかもしれないが、それだけではない。
自分と同じだ。
彼女の才能の上にも、塔のように積み上がっている。
果てしない、終わりなき、努力が。
だとしても、だ。
ユークレースは学舎に入って仲間に恵まれた。
スファレ組もトルマリン組もラピス組もコスモクロア組も、そして最近入ったヤクモ組も。風紀委の面々はこれまでの人生が嘘であるかのように、仲間として扱ってくれる。
得難い出逢いだ。
だからこそ、彼らを雑魚と笑うルナが許せない。
彼女自身が、己にも厳しい少女だとしても。
他人に厳しいことと、他者を踏みつけにすることは同じではない。
『霹靂』は、師にも医者にも止められている技だ。
雷撃を己の身に流し、数瞬の間のみではあるが雷光と紛う速度を実現。
魔力強化も全身に施し、平時を大きく上回る神速で移動する。
更に刃に残りの魔力全てを注ぎ込むことで、どのような魔力防壁であろうと断ち切る。
ユークレースが二閃用いずの異名を戴いているのは、二度刃を振るわないから。
決して振るえないわけではない。
だが、振るわないことには当然、意味がある。
全力の疾走抜刀術は、ユークレースの身体には大きな負担なのだ。
『霹靂』はあらゆる意味で、身体への負担が大き過ぎる。
ただ、その価値はある。
この速度の前では、ルナでさえ反応が遅れていた。
彼女がこちらを向く頃には、ユークレースは反対側から斬り込んでいる。
展開と同時に彼女の魔力防壁が斬り裂かれ、泡沫と散る。
ほとんどの観戦者には、何が起こっているかさえ分からないだろう。
徐々に距離が縮まる。
ルナが魔力防壁を展開するより、ユークレースが近づく方が速い。
「きみは強い。だがぼく達が勝つ」
ユークレースの刃が閃く。
腰の鞘から滑らかに抜き出された白刃が、半円を描くようにして振るわれる。
非実在化する為、今更防ぐことも出来ない。
この速さを前に、避ける手段などそう無いだろう。
丈夫な身体は持っていないけれど、哀れみと共に生きていたけれど。
それでもこの場でなら、此処でなら、領域守護者としてなら、ユークレースは強者だ。
必殺の一撃に、ルナは。
「吠えんな」
苛立たしげな声と共に、振り向くなり――
『な――』
ダンの驚く声。
ユークレースも同じ気持ちだ。
同時に、悟る。
普通なら、胴体を真っ二つにする軌道の剣戟を前に踏み込むことなど出来る筈がない。
だが、ユークレースの剣は非実在化する。
切られる前の一瞬、僅かに猶予がある。
だからといって、出来るだろうか。
予想外の奥の手を前に、反応できぬ神速の連続を前に、魔力防壁全てを断たれ、敵が必勝の一撃を放ったというのに。
僅かたりとも焦ることなく、淡々と最善策を採るなど、そんなことが。
「非実在化したままにしておきなよ、首を刎ねられたくないならね」
ユークレースの刃は、彼女の腹部に。
ルナの刃は、ユークレースの首に。
非実在化した状態で、食い込んでいる。
臆さず、彼女は剣を振るったのだ。
――負けだ。
グラヴェルの身体を操るルナが、どこか楽しげに口の端を上げていた。
「ねぇ、どうする? このまま続ける? それとも、お互い下がって仕切り直し? ルナはどちらで……も」
太刀が落ちる。
身体に力が入らない。
「……あぁ、そうか」
どことなく、残念そうな声。
身体が前のめりになる。そのまま倒れ込んでしまう。
もう、とうに限界を超えていた。
「ほんと、弱い奴は嫌だな」
誰かに受け止められる。
「言っておくけど、きみは身体が弱いから負けたんじゃないよ。ルナより弱かったから負けたんだ」
それは。
その言葉は。
仲間達から感じる、温かいものではなかったが。
同時に、他者から感じる哀れみや嘲りとも違った。
「ぼくは」
「きみは弱い」
「――――」
悔しさが、胸を満たしていく。
倒すべき相手に身体を支えられ、自身の強さを否定される。
「けど、届いてたね」
ルナの言葉には、続きがあるようだった。
「……え?」
「ギザギザの雷、きみの一閃。時間の無駄って程じゃあなかったよ。それだけ」
彼女の表情は窺えない。
それだけ言って、ルナはユークレースから離れた。
再び落下する身体を、人間に戻ったダンが受け止めてくれる。
学内ランク
対
学内ランク
勝者・グラヴェル、ルナペア。
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