第138話◇波及

 



「聞いたわ」


 学舎が再開した。


 アサヒが雪華の髪飾りに気づいた日だ。

 彼女はとにかく上機嫌で、制服を着てからも髪飾りはそのまま着用していた。


 ベタベタしてくるのも元通り。元通り、少し困るが見ているだけで元気になるような妹。


 昼休みになると、それまでのようにグラウンド隅の大木、その木陰で昼食を摂った。

 摂っていた。


 その時に、聞こえたのだ。


「ラピス、こんにちわ」


 平坦だが、無機質ではない。透き通るような声。


 学内ランク第九位・《氷獄》のラピス。

 いつものように、ふらっと現れた彼女。


「えぇこんにちわ。昨日ぶりね」


「お見舞い、ありがとう」


 それからヤクモは、彼女の隣に佇む少女にも声を掛ける。 

 以前ラピスの兄であるロータスの支配下にあり、つい最近解放された《|偽紅鏡(グリマー)》の少女・リツだ。


 爆破魔法を搭載する少女は現在、ラピスのパートナーとなっている。


「リツさんも、こんにちわ」


 ヤクモが声を掛けただけで、彼女は顔を赤くし、嬉しそうな顔をした。

 アサヒが、掴んでいるヤクモの腕をつねる。


「こんにちわ、ヤクモ様。アサヒ様に、モカ様も」


 挨拶を終え、ふと気になる。


「あなた、また元気が無いんですか? いつもなら程度の低い冗談の一つ二つ並び立てるところでしょうに」


 妹の言葉に、ラピスは目を伏せる。


「心外ね。わたしだって時と場合は選ぶのよ。お父上を亡くされたばかりの友人に、どうすれば冗談なんて吐けるのかしら」


 聞いたわ、というのはそれか。


 見舞いに来てもらった時はロクに話も出来なかった。

 アサヒもバツが悪そうに俯く。


「気の毒に、ヤクモ。あなたのお父様の勇敢な行いを、わたしは忘れないわ」


 アサヒの証言か、ヤクモの報告書か。

 それとも目撃者がいたか。


 知る手段なら幾らでもある。

 ラピス相手になら、いずれヤクモ本人の口からも語っていたかもしれない。


「僕も忘れないよ。けど、ラピス」


「なに? わたしに出来ることがあれば、なんでも言って頂戴」


「じゃあ一つ――気にしないでくれ」


「そ、れは」


 まさかそのようなことを言われるとは思っていなかったのか、ラピスが固まる。


「少なくとも、試合が終わるまでは気にしないでもらいたい。僕は、僕達は、真剣に戦っているんだ。負けられないから、相手が友人でも、同じく負けられない理由があるのだとしても、迷わず刃を揮う。そういうことが出来る」


 ヤクモが得たものは、鍛錬による筋力や身体操術や剣技などではない。


 精神が戦闘にどれだけ影響を及ぼすかということを知っている。


 悲嘆に暮れている時と、嬉しいことがあった時。同じ行動に移る時のパフォーマンスは同じか。否、異なる。大抵の人間は、変わってしまう筈なのだ。


 ヤクモ達も当然そうだ。そこは同じ。

 けれど、ヤクモ達はそれを、パフォーマンスの『低下』にだけは繋げない。


 壁の外で家族が死んだ。何人も。一人ずつ死んだわけではない。


 例えば、病で家族が命を落とした日の夜も、兄妹は朝まで魔獣と戦った。

 家族が魔獣に食われた時だって、そのまま戦い続けた。


 だからきっと、歳の割に兄妹は切り替え能力が高いのだと思う。


 今も布団の中で枕を抱えながら、父の死について嘆きたい気持ちはある。

 今すぐ、元凶の一人であるセレナの首を刎ねたい気持ちも。

 都市の奪還になんとしても参加したいという気持ちも。


 でもしない。


 その気持ちを抱えたまま、今すべき戦いに臨むことが出来る。普段通りの思考と生活を送ることが出来る。


 妹もそれを理解しているから、この状況でさえ不満を呑み込まず態度で表し、ヤクモもまたそれによっていつものヤクモとして動いた。


「わたしは、何があっても手を抜きはしないわ」


「分かっているよ。でも、傷心の友人に全力で攻撃出来るかい? ラピスは優しい。けどその優しさを間違って使わないで欲しい。同情で手が止まるきみを倒しても、意味が無いから」


 気遣いの心は嬉しい。


 だが無条件に気遣われれば気分がいいか、そんなわけがない。

 無用の気遣いというものがある。時に害悪にさえなってしまう。


 ラピスは、目を伏せた。


 そして、再び視線を上げる。

 その時にはもう、弔慰の心は見えなくなっていた。


「あなたがそう望むのであれば、そうしましょう。わたしというものがありながら魔人に服を贈り妹に髪飾りを与えたヤクモ」


「…………えぇと」


 彼女も彼女で切り替えが早い。


 もしヤクモの父が亡くなっていなかったら。

 そんな想定で、すぐに自分の言動を取り戻したのだろう。


「悲しいわ。実に嘆かわしい。裸で抱き合ったこともある仲だというのに」


「いや、裸だったのも抱きついてきたのもきみだ……け」


 反射的に訂正し、ヤクモは失敗に気づく。


「わたしと同衾したことは認めるのね」


 周囲には知っている者もいるが、聞き耳を立てている訓練生達も数多くいた。


「ところでヤクモ、嫁候補としてあなたに要求するわ」


「あなたは嫁候補でもなんでもないんですけど?」


 苛立ちを隠さないアサヒの言葉は無視。


 リツは衝撃が強すぎたのか「はだか……ラピス様と……ヤクモ様が……」とぶつぶつ言っている。


 モカはいつも通り自分は見ていないとばかりに顔を手で覆っているが、当然の如く指の隙間から推移を見守っている。


「わたしも何かほしいわ。こんなこと言って、はしたないだなんて思わないでね。もちろんわたしが欲するのは金銭と換えられる何かではなく、あなたの気持ちよ。気持ちさえ込められているならば、路傍の石だって宝石に変わるでしょう」


「ラピスには感謝しているよ。けど今、その」


「えぇ、えぇ、分かっているわ。あなたは家族思いだもの、それにヤマトとなれば何かと入用でしょう。あなたが用意しようとすれば、どうしてもお金も掛かる。そんな中、負担になるようなことは頼めないわ。簡単なものでいいの」


「なる、ほど?」


「パンツをくれればいいわ」


 絶句する一同。


「勘違いしないで、男物の未使用のものが欲しいわけではないのよ? 今あなたが履いているそれを貰えればわたしは満足だわ」


「行きましょう兄さん。この方は頭の病気です。それも末期の」


「そんな……わたしのパンツは受け取ったのに、自分のものを贈ることは出来ないと言うの?」


「いや貰ったことないよ」


 確かに以前、そんなことがあったか。

 それと繋がった、少々下品な冗談、というところだろうか。


 彼女の語り口だと、不思議とそう聞こえないが、それにしてもあんまりな冗談だ。


「贈り物は、その、また今度話そう」


「下着はダメなのね」


「残念ながらね」


「では、外出はどう?」


 そこに至って、ようやくヤクモはラピスの考えが分かった。

 ただの変人ではない。


「ネフレンとはしたのよね? まさか、友人にして感謝を感じているというわたしとは出かけられない、ということはないでしょう?」


 そう。無茶な要求の次に、難易度を下げた要求を提示すると、受け入れられやすくなる。妹がよくやるので、ヤクモは分かっていた。


 更にはヤクモが述べた言葉を使い、前例まで示した。


 ここで断るのは、難しい。

 アサヒも気づいたのか、ぐぐぐ、と悔しそう。


「もちろん構わないよ。ただ、一つ訊いても?」


「えぇ、胸のサイズは――」


「いや、それじゃないんだ」


 ヤクモは慌てて止めてから、改めて尋ねる。


「それは、きみ達が負けたらキャンセルになるのかな?」


 ラピスは、笑った。

 ほんの少し、だが明確に戦意を滲ませて。


「いいえ。だからあなた達が負けても、キャンセルにはしないでほしいわ」


 その日、兄妹はラピス組とあたる。



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