第101話◇克己




 ロータス=パパラチアは笑いを堪えるのが大変だった。

 フィールドには今、自分しかいない。


 道具を人と数える馬鹿共に倣えば、もう一人か。

 つまり、ラピス組は来ていないわけだ。


 さすが父上。ロータスは誇らしかった。

 あと一分。試合開始時間に間に合わなければ、自動的に奴らの敗北となる。


 そして、倒れたイルミナを助ける者などいない。

 面倒なジェイド家の娘は追い払い、コスモクロアが戻ってきたタイミングではもう遅い。


 治療は間に合わないし、間に合ったとて万全には程遠い。

 昏睡から目覚めたてで現れようものなら、精神肉体のダメージから性能は著しく低下するだろう。


 どちらにしろ、自分は勝つ。

 勝つのだ。


 そしてイルミナとアサヒを手に入れ、準決勝で武器を持たないヤクモに勝つ。

 奴は試合に出れないだろうし、間に合わせの武器を見繕ったところで《黒点群》無しの夜鴉など恐れるに足りない。


 決勝の相手はオブシディアンになるだろう。

 不愉快だが、あの少女は別格だ。


 なにせ、五歳になる頃には『白』の真似事をしていたらしい。《導燈者イグナイター》には年齢の下限が設けられているが、それを権力で無視してまで戦場に出ていたとか。


 道具にして使用者。ロータスにとっては目の上のたんこぶのような存在だ。

 予選を準優勝という結果で勝ち抜き、本戦へ出場。悪くない結果だ。


 三十一位というのもこうなってはプラスに働くだろう。

 順位以上の実力を持っているのだと知らしめることが出来る。


 学舎がロータスの実力を軽く見ていたのだ。

 自分は強い。強いのだ。


「審判ッ! アウェイン氏は俺様との戦いを前に恐れをなしたようだ! 不戦敗を宣言するべきではないのか!」


 パパラチア家の嫡男の声に、審判が困ったような顔をする。

 正確にはまだ十数秒残っているからだろう。


「怖いんですか?」


 観客席から、声がした。

 夜鴉、ヤクモの声だ。


「はっ、俺様が何を恐れる? 時間の無駄を省くと恐怖したことになるのか?」


「いいえ、あなたは分かっているんです。ラピス達が間に合ったら自分は負けるのだと。卑劣な手段を行使してまで負けたら、もう言い訳出来ないでしょう。それが恐ろしいんだ」


 …………。

 一々癇に障る鴉だ。


「俺様は何もしていない。恐怖に竦んだ弱者の心の弱さにまで責任は取れんよ」


「そうですね。恐怖に竦んだあなたの心にも、誰も責任をとってはくれない」


 余裕の表情で言う少年。

 苛立ちが募る。


「貴様こそ恐れ慄けたわけが! その醜い翼、すぐにもいで俺様の戦利品としてくれるわ」


つばさを手にしても、あなたじゃ翔べませんよ」


「精々鳴いてろ、じきに地を這うことしか出来ぬ身体になる」



「起こり得ないわ。何故なら、わたし達が勝つから」



「――!?」


 ロータスは驚愕した。

 聞こえる筈の無い声。


 現れる筈の無い《偽紅鏡グリマー》も。

 ラピスとイルミナが、フィールドに入ってくる。


「な、貴様ら――」


「えぇ、わたしこそがパパラチア家の奸計に一度は心を折られた弱者こと、ラピスよ。そしてその被害者であるイルミナ。でもね、悪いけれどわたし達はもう孤独じゃあないようなの」


 イルミナを見る。

 立っている。顔色はまだ悪い。完治とは言えない。


 だが、誰かが治癒を施したのだ。


 ――一体誰が!

 ――パパラチア家に逆らう者など、そうそう見つかるわけが無い!


 ましてや、妾腹や夜鴉、格下の名家の子息子女などでは無理だ。

 ジェイドか? だとしたら、対応が迅速に過ぎる。


「妾腹にお似合いのカス共が助けてくれたとでも言うのか」


「ねぇ、ロータス」


「……あ?」


 ラピスは、憐れむようにこちらを見た。

 笑う。


「あなた、うるさいわ」


「――身の程というものを教え直してやるよ、淫売」


「驚いたわ。あなた、人に何かを教えられるほど物を知っているのね。とてもそうは見えないけれど」


「俺様の玩具だったくせに、ランクで上を行った程度のことで上下関係を忘れちまったのか、あ!?」


 昔からそうだった。

 存在を知った時から、ラピスは汚らわしいものだった。


 殴ってもよかったし、髪を引っ張っても、暴言を吐きつけても、泥まみれにしても、倉庫に閉じ込めても、服を奪っても、踏みつけにしても、ラピスは逆らえなかった。


 徹底的に分際というものを教えてやった。

 自分がいかに罪深い生命か、いかにその髪と瞳が醜いか、教え込んでやった。


 ロータスが拳を掲げただけで、ラピスの身体は竦んで硬直する。

 そうだ。この女は、その程度の。


 拳を握る。

 ラピスがぴくりと震えた。


「はっ、なぁ、おい。痛めつけられたいのか? 忘れたわけじゃあねぇだろう。その寒々しい髪と目を見てると苛々してくんだよなぁ。泥まみれにして、少しはマシにしねぇと」


 瞳に怯えが走る。


 ――諦めに染まれ。こちらの機嫌を窺うようにずっと笑ってやがれ。それがお前にお似合いの――。


凍てつけイグナイト――セルリアン・コキュートス」


 奴の武器は面白かった。

 武器の種類は《偽紅鏡グリマー》の性質を反映し、その形態は《導燈者イグナイター》が決定する。


 鎖というのは、囚われたイルミナの心象であり、それを変えられないのはラピスの諦観の表れだ。


 変わらない。現れたものは鎖。

 だが、その先端に、刃のような突起が追加されていた。


 それは、何を指すのか。


「変えられないものはあるわ。例えば、過去とか。けど、もう分かってしまったの」


 震えは止まらない。でも、歩みもまた、止まらなかった。

 苛々する。


 その氷のような瞳の中で、燈が点いているように見えて。


「少なくとも目の前の現実は、変えられないものには含まれないって、教えてもらったから。だから、ロータス。わたし達はあなたに勝つわ」


「――笑えねぇことをかすな」


 学内ランク第三十一位《爆焔》ロータス=パパラチア

 対

 学内ランク第九位《氷獄》ラピスラズリ=アウェイン


 開始。



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