第102話◇二人




 イルミナを治してくれたのは、金髪の女医だった。

 ヤクモ組とスペキュライト組を治療したことがあるらしい。


「おー、こりゃ相手さんも上手いことしたねぇ。普通の毒でも盛られたんなら治癒力全開にすりゃあいいんだけどさ、抗体が出来るまで生かしておくって感じで。でもこれは人間の防御反応を引き起こしてる。なんていうかなぁ、正常な欠陥っていうか。今んところどうしようもない人間の仕組みなんだよねぇ」


 ルナが二人を連れて行ったのは、住宅街にある個人宅だった。

 そこから出てきた女性は下着同然の恰好の上に白衣だけを纏って、眠たげに応対。


「アホだけど、この女ならパパラチアの権力にも屈しないよ」


 ルナの発言通り、イルミナの状態を見た女医はすぐさま家の中へ通してくれた。

 事情を聞いても動じることなく、女性は飄々としていた。


 ソファーに寝かされたイルミナの前に、女性が屈んでいる。

 そして先程の発言をしたわけだ。


「治せない、ということかしら」


「そりゃあ、並の治癒持ちじゃあねぇ。誤解されがちなんだけど、治癒って万能じゃあないのよ。基本的には自然治癒力の加速しか出来ない。この子を治す場合は逆が必要なの。過剰な反応を抑えるっていうのかな。人間の足って後ろ歩きには向いてないじゃない? 治癒持ちは大体前に歩くことしか出来ない」


 イルミナを治すには、後ろ歩きで常時と同じだけのパフォーマンスを発揮出来るような技術が必要らしい。


「どれだけ難しいかの説明はいいよ。きみなら出来るでしょ。さっさとやって」


「あはは、相変わらず女王様だねぇオブシディアンくん。でもきみにしては嬉しい言葉かな。わたしの実力を認めているということだものね」


「うるさい」


「とまぁ、素直じゃないお言葉を聞けたところで――ほうら、もう目が覚めるんじゃないかな」


「え」


 確かに彼女はずっとイルミナの前に屈んでいたが、もう治癒を施していたのか。


「喋るくらいならいいよ。わたしは引き続き治療にあたるから、どけないけどね」


 イルミナの顔色はまだ悪いが、すぐに目を開けた。


「イルミナ……!?」


 慌てて膝をつく主を見て、彼女の茫洋とした視線が焦点を絞る。 


「お嬢様」


「良かった。目が覚めたのね」


「私は……あぁ」


 イルミナは弱々しく、だが確かに微笑んだ。


「毒見役をしていた甲斐がありましたでしょう?」


 主が無事だったことを喜ぶ笑みだ。


「……あなたが倒れてはダメよ。わたしは一人じゃあ戦えないもの」


 そっと彼女の手を握る。

 彼女もそっと握り返してきた。


「一人ではお食事もままなりませんし、お着替えのお手伝いやお背中をお流しする者も必要ですものね」


 ふざけるように、イルミナは言う。

 元気であると、大丈夫だと思わせる為の言葉。


「一人でだって出来るわ。あなたがやりたいというから任せているだけ」


「ではお聞きしますが、お嬢様のパンツはタンスの何段目に入れてあるかご存知ですか?」


「愚問ね……タンスの置き場所さえ知らないわ」


「でしょうとも」


 イルミナは、父に貰った《偽紅鏡グリマー》だ。


 ラピスは良い人間では無い。

 最初はロータスの陰湿な加害行為による苦しみを、イルミナにぶつけてしまっていた。


 自分はロータスが嫌いだった。虐めるから。酷いことを言うから。母を侮辱するから。


 なのに、逆らってはならない相手だから。


 そんな痛みをイルミナに押し付けようとでもしたのか、酷いことを一杯言った。一杯した。

 でも。


 イルミナは毎日変わらず自分の世話を焼き、嫌悪感など露ほども感じさせず寄り添ってくれた。

 それが不思議で、怖くて、もやもやして、ラピスは訊いてみたことがある。


 わたしのことが嫌いではないの?

 イルミナは答えた。


 これまでの主に比べれば、あなた様は天使のようにございます。

 自分はとっても酷いことを、沢山してしまったのに。


 それさえ、彼女のこれまでの人生からすれば可愛いものだった。

 それくらい、今まで酷い目に合っていたのに、イルミナは冷静で、淡々と粛々と業務をこなす。


 ラピスは聞いた。どうすればあなたみたいになれる?

 辛いことがあっても強く生きられる方法があるなら、教えてほしい。


 イルミナは悲しげに微笑んで言った。

 諦めればよいのですよ、お嬢様。自分を救う者などいないと諦めて、受け入れるのです。


 諦観はラピスを強くしてくれた。

 何かを期待などするからいけないのだ。


 全てのことを仕方がないと諦めれば、心は滅多に波立たなくなる。


 ラピスは彼女に謝罪し、以前よりイルミナに優しく出来るようになり、イルミナの方も次第にこちらに心を開いてくれるようになった。

 傷を抱えた、諦めた者同士のペア。


 互いの孤独と諦念を尊重し、時に傷を舐め合う共生。


「お嬢様」


 彼女がこちらを見上げている。


「えぇ、聞いているわ。どうしたの?」


「覚えておいでですか、お嬢様が初めて私にご質問をされた日のことを」


「もちろん、忘れるわけがないでしょう」


「あの時の言葉は、一部間違っておりました」


「一部?」


「自分を救ってくれる者など現れない。ヤクモ様程の方であっても、それは難しい。心はともかくとして、現実はこうして私達を苦しめようと立ちはだかります」


「そうね」


「ですが、それでも、私はお嬢様に救われてほしいと願っています。ヤクモ様も、風紀委の方々も同様でしょう」


「そうね」


 みんなイルミナを助けようと奔走してくれた。見返りを求めることなく、仲間だからというそれだけのことで全力を尽くしてくれた。その当たり前がどれだけ得難いものか、ラピスは知っている。


「お嬢様は決断なされましたね。戦うことを」


「えぇ」


「私に訊きませんでしたね。共に戦うかと」


「必要ないでしょう?」


 ラピスは笑った。

 道具だから意思確認が不要――なのではない。


 彼女はラピスの決断を尊重してくれる。

 諦観であっても――挑戦であっても。


「無論です。私の誤りは、こうです。自分を救ってくれる者など現れない。故に、自分の身は自分で救わねばならない。優しさをどれだけ与えられても、最後は自らが切り開かなければならない」


 実に、イルミナらしい訂正だ。


「でも、わたし一人では無理だわ」


「承知しておりますとも。そして、私一人でも不可能です」


 それは、つまり。


「私達で、というのはありかしら?」


「許容範囲内でしょう」


「そういうことにしておいて」


 治療はギリギリまで掛かったが、おかげでイルミナは起き上がれる程度には回復した。


 全快とはいかないから、二十四位戦で見せたフィールドの半分を覆う氷塊の発生などは出来ない。

 それでも、あの時よりも自分達は強いという確信が二人にはあった。



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