第94話◇攻略




 ヤクモはラピスを甘くみていたようだ。


 彼女はヤクモに決闘を申し込んだ。

 こういう表現はこそばゆくて苦手だが、恋の決闘だ。


 ラピスがヤクモを落とすか、ヤクモが落ちずに彼女が諦めるか。


 あの場で断れなかったのは、何故だろう。応えることも出来ない気持ちなのに、彼女自信の望みとはいえ承服するとは。


 ヤクモが優柔不断というのは、あるのかもしれない。

 あるいは、気持ちが分かるから。


 不可能だと思われても諦められない気持ち。挑戦せずにはいられない気持ち。

 ヤマト民族であるヤクモには、それが分かるから。


 などと考えられたのは昼休みまで。

 彼女は隙あらばヤクモの近くに現れた。


 講義と講義の合間の時間にも逢いにきたし、予選観戦ではぴとっとくっついてきて離れなかった。夕飯もヤクモ達の部屋で一緒に摂り、風呂にも入ってこようとしたが、これはアサヒが阻止したらしい。


 最終的に彼女はアサヒに追い出されるようにして帰宅したが、その日の夜。


 ソファで寝ていたヤクモは違和感に目を覚ます。


 自分の身体に掛かっているブランケットが、不自然に膨らんでいる。

 というより、身体の上に誰かが乗っている。


 幽霊の類――なんてことはなく。


「アサヒ……そういうのはもうダメだって何度も言ったじゃないか」


 壁の外は本当に寒くて、家族で身を寄せ合って眠っていた。

 アサヒはヤクモの心音を聞くと落ち着くらしく、彼女の頭を抱えるようにして眠っていたものだ。


 しかし今は壁の内。最低限の安全が確保されている中、互いの年齢もあってそのようなことは控えるべきだとヤクモがいった。


 正直、男児としては辛いところもあったし。


 それでもアサヒは諦めない。血は繋がっていないが、互いに不屈はしっかりと備わっている。

 妹の場合、それを発揮するところが自分とは違うのだけど。


「あら、とてもあなたとは思えない間違いね。いえ、寝ぼけていることや現実性を加味すると致し方ないと言えるのかしら。どちらにしろ心外だわ。だって分かるでしょう。当たっている感触で判断出来るのではなくて? わたしの方がアサヒよりも大きいのだから」


「ラっ」


 口許を塞がれる。


「えぇ、我慢出来なくて深夜に男子寮に忍び込み意中の相手の寝床に忍び込むラピスよ。淫乱だなんて思わないでね。わたしはただ、触れていたいだけ」


 意識した途端、それは鮮明に感じられた。

 ふにょん、とヤクモの胸板にあたっている。


「まぁ、あなたが我慢できなくなって獣になる分には止められないけれどね」


 アサヒと同じような考えだ。

 男の自制心を溶かし、襲わせようとする。


 攻撃的な誘いというか、なんというか。

 ヤクモは再度声を上げようとして、思いとどまる。


 妹が起きてきては大変だ。

 いや、最近は疲れが溜まっているようだから休ませてやりたい。


 断じて、機嫌が悪くなった妹に怒られたくなくて声を抑えているわけではないのだ。


「ふふ、そうよね。あなたなら静かにしてくれると思っていたわ。これでわたしのターンよね。いつもはアサヒに邪魔されるもの。障害がある方が燃えるとはよく言うけれど、壁が高すぎるのはそれで問題よね」


 ヤクモの考えまで見透かして、夜に仕掛けてきたのか。


「わたしはね、正直悔しいのよ。わたしがあなたに感じた高ぶりを、あなたがわたしで感じてくれないことが、とても苦しいわ。どうすればいいというのがあるなら、教えてくれるかしら? どのような言葉ならいい? どのような行いならいい? どのようなものならいい?」


 ラピスの瞳が切なげに揺れる。



「教えて、ヤクモ。どうすればあなたは、わたしを――」



 リビングに電気がついた。


「……兄さんの叫び声が聞こえたような気がして起き出してみれば」


 アサヒだ。

 ぱじゃま姿で、髪が一部はねている。寝癖だろう。


 まだ眠いこともあって、その不機嫌そうな目はいつもよりも鋭く感じられた。


「あら、アサヒ。良い子は眠る時間よ」


「悪い人がいたので、退治する為に起き上がったんです」


「そう、頑張ってね。わたしはお兄さんと仲良くやっているから」


「悪い人は、あなたなのだが……っ!」


「驚きの展開ね」


「妥当な判断だー!」


 アサヒの動きは迅速だった。

 ラピスを引き剥がそうと迫る。


 だがラピスはそれよりも速かった。

 ヤクモの両脇下へ自身の腕を通し、がっちりと抱きついたのだ。


 彼女の体温と匂いがより強く感じられる。


「作戦は失敗したけれど、だからといって素直に帰るわたしではないわ」


「ふ、ふ、ふざっ、ふざけ、ふざけないでください! 兄さんから今すぐ離れろ……っ!」


 ぐいぐいとアサヒがラピスを引っ張る。ヤクモもまとめて引っ張られてしまう。


「うわっ」


 ソファーから転落。


 ヤクモは咄嗟にラピスの頭部が床を打たぬよう右手を回し、左手を床につく。

 驚いた顔のラピスと目が合った。


「大丈夫?」


「…………えぇ、ありがとう」


 彼女が視線を逸らす。耳が赤い。


「うっ。引っ張ったのはわたしが悪いですごめんなさい。でも兄さんに夜這いを仕掛けるあなたがそもそも悪い! こうなってはもう、わたしが兄さんを守るしか。超至近距離で保護するしか……。というわけで兄さん、ラピスさんから速攻で離れてアサヒちゃんと寝直しましょうそうしましょうそうと決まれば善は急げです」


 ぐいぐいと妹が引っ張ってくる。

 むぎゅうと、ラピスが抱きついてくる。


「はわわ……私はどうすれば……」


 騒ぎに起きてしまったのだろう、自室から出てきたモカが戸惑いの声を出す。

 ヤクモはこの場を切り抜ける光明を見た。


「寮長さんを呼んでくれる?」


 しゅばっ、とラピスが離れる。


「さすがは闇の中を十年生き抜いただけはあるわね。さすがの判断力よ、ヤクモ」


 女子寮の《導燈者イグナイター》が男子寮に忍び込んだなんて騒ぎはラピスも御免らしい。


 常識的な判断で称えられるというのも、変な話だが……。


「今日のところはこのへんにしておきましょう。ではまた明日」


 彼女は窓を開け放ち、飛び降りる。


「……ここ、三階なんですけど、大丈夫でしょうか」


「第九位ですし、それくらいは平気でしょう。それほどの腕前だからこそ、侵入出来たのでしょうが」


 しばらく窓の外を見ていたアサヒだったが、不意にヤクモを見る。


「またこのようなことが無いとも限りません。やはり兄さんはわたしと寝るべきでは?」


 ラピスが去ったと思ったら、今度は妹。

 ヤクモは引き攣った笑みで、どう説得するか頭を回す。


 ラピスに申し込まれた決闘は、どうやら激戦になりそうだ。



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