第93話◇十位




 学内ランク第十位|金糸《きんし》ブレンド=ハニーは、平凡な家の出身だ。

 ある人物に出逢わなければ、きっとそのまま平凡な人生を歩んでいただろう。


 七歳の時。

 街で迷子の少女を見つけた。


 金糸のように輝く美しい毛髪、蒼玉の瞳。


 人と人の間に出来ただなんて信じられなかった。こんなに美しいものは、人の手ではきっとつくれない。こう、世界から生じたのではないか。最も尊いものとして、存在しているのではないか。


 馬鹿みたいだが、ブレンドは本気でそう思った。

 齢七つの少女が、同年代の少女に対して、だ。


 断っておくが、ブレンドはそれまで同性に強く惹かれたことはなかった。気になる同年代の子は近所の少年だったし、綺麗なものや可愛いだって人並みに好きだ。


 でも、彼女は人並み外れて美しかった。


 その顔が困ったように曇っていなければ、とても声を掛けることなんて出来なかっただろう。


 あぁ、だめだ。こんなに美しい存在が困るだなんてあってはならない。

 自分でも引くくらいだが、本当にそう思わせる美を彼女は備えていた。


「あ、あの、何か困ってるの?」


 少女はびっくりしたように肩を揺らしたものの、すぐに親切から声を掛けられたのだと理解したのか、微笑んだ。


 だめだった。

 終わりだった。


 たった一人が、自分の人生を変えることがある。

 愛とか、憧れとか、憎しみとか。


 大き過ぎる感情を喚起する存在に遭遇することはある。

 ブレンドにとって、スファレ=クライオフェンとの出逢いはそれに該当した。


 自分を構成するものが、魂以外全て吹き飛んでしまったかと思った。


「ありがとう、道に迷ってしまって心細かったの」


 彼女は家庭教師ガヴァネスの授業が退屈で、家を抜け出してきたのだという。


 前に一度通った時に見かけたという露天商が気になって見に行くことにしたのだが、土地勘の無い場所故に迷ってしまったのだという。


 ブレンドは彼女のいう露天商候補を巡り、使用人サーバントに見つかった彼女が連れ戻されるまでの間、一緒に過ごした。


 至福のひとときだった。

 天にも昇る心地だった。

 でもそれも終わり。


 この思い出を一生抱えて生きていこう。

 そう思った。

 別れ際、スファレが言った。


「また逢いましょうね、ブレンド」


 自分の人生は、その時からずっと薔薇色だ。


 ブレンドはスファレに逢うごとに彼女への想いを強め、側にいたいと思うようになった。


 彼女は五色大家でこそないものの名家の者だったから、使用人にでもならない限りは難しそうだったが、一向に構わなかった。


「わたくし、将来は領域守護者になるんですの」


 衝撃だった。

 よりにもよって、《皓き牙》だという。

 なんてことだろう。もし魔獣の牙に彼女が傷つけられたら、自分は死んでしまう。


「わ、わたしも、なる」


 将来を決めた瞬間だった。

 スファレは喜んでくれた。


 それからブレンドは死に物狂いで修練に励み、クライオフェン家の援助もあって学舎に入ることが出来た。


 だが一年目は悲惨だった。入校時に四十位以内に入ることが出来なかったばかりか、レベルの差を突きつけられた。


 スファレは風紀委に迎えられた。

 これでは同じ班になることさえ出来ない。


「待っていますから」


 彼女の微笑みと共に放たれた言葉を、裏切ることだけは出来なかった。

 二年次になって、もし一桁ナンバーになれたら、そうしたら風紀委に入れてもらおう。


 二桁ナンバーが風紀委に入ったという例はないから、このままでは依怙贔屓になってしまう。


 無関係な他人でさえ文句を言えないような結果を出そう。

 だが、ブレンドは十位だった。


 今日の対戦相手である学内第一位グラヴェルがいなければ、九位だったのに。


 それだけではない、スファレは慣例を無視して四十位を風紀委に引き入れた。

 もちろん、ブレンドのことだって誘ってくれた。


 でも、だめだ。

 常識破りのヤマト民族の加入により、風紀委を陰で悪く言う者達は多くいた。


 そこに自分が加わってはならない。二桁ナンバーの自分なんかが。

 三年次こそ。


 今年の大会で結果を出し、来年こそは彼女に相応しい領域守護者になるのだ。

 決意を胸に、ブレンドは三回戦へ臨む。


 学内ランク第一位|黒曜《ペルフェクティ》グラヴェル=ストーン 

 対

 学内ランク第十位金糸ブレンド=ハニー


 勝者・グラヴェル。


 ――勝てなかった。


 ブレンドの操る魔法は、まったく通じなかった。


「いやいやいや、三位が勝てなかったのに十位が勝てるわけないし。きみ頭悪いね」


 グラヴェルの身体を操るルナ=オブシディアンがせせら笑う。


 一般的な《偽紅鏡グリマー》の搭載魔法は一つだ。数ではなく魔法の性能こそが重要視されるが、複数持ちが希少であることには変わりない。


 そして、噂ではルナの搭載魔法は――二桁にも及ぶという。

 《導燈者イグナイター》さえ操る、常識外の《偽紅鏡グリマー》。


 完全なる者ペルフェクティを冠するに相応しい、異質の存在。


「ってゆぅかさぁ、きみと三位の雑魚ってあれだよね? 幼馴染ってやつなんでしょ? あはは、仇討ちのつもりだった? ルナが勝ったら侮辱を撤回しろとか息巻いてたもんね? ――出来てないじゃん、ばーか。頼むから夢はベッドで一人の時に見てくれる? 哀れで目も当てられないからさ」


 スファレは一回戦で敗退した。

 圧倒的に、完膚なきまでに敗北した。


 それでもブレンドのスファレに対する思いは揺らがない。

 自分がグラヴェルを倒し、雑魚という言葉を謝罪させたかった。


 なのに、出来なかった。


「才能の無い人間のさ、夢見がちなところが嫌いなんだよ。傲慢じゃない? それ。身の丈に合った人生を送りなよ。その程度の強さで、ルナの前に立たないで。踏み潰さないように倒すの、すっごく気を遣うんだよね。時間の無駄じゃん? 頼むよほんと。こんなの入れるなんて、クライオフェン家も終わりだね。娘は弱いわ従者は更に弱いわ、取り潰した方がマシかも」


 精神を、靴で踏み躙られたような気分だった。


「何も知らないくせに、スファレさまを悪く言わないで」


「はぁあ? 何もってなに? 何を知ってれば悪く言っていいの? 弱いって欠点じゃないの? 欠点って問題じゃないの? 問題って解消されるべきじゃないの? 解消されるべきものがそのままって悪いことじゃないの? 悪いことを悪いって言うことは正しいんじゃないの? 正しいことを言うのに資格がいるわけ? いらないよね? 雑魚を雑魚って言って何が悪いんだよ、雑魚」


 唾棄するように、ルナは言った。


「吠えたきゃ馬鹿みたいに空見上げて吠えなよ。負け犬には、とってもお似合い」


 嗤う。


 彼女はそれから、観客席に目を向けた。

 視線の先には、ヤマトの兄妹がいる。


 唇を噛む。

 彼女はそれ以上ブレンドを見ることなく、会場を後にした。


 ブレンドは、三回戦で敗退した。



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