第91話◇接触
廃棄領域《ヴァルハラ》。
魔人クリードはその日も、機能を停止した模擬太陽の上に設置された玉座に腰掛けていた。
この身ごと世界に溶けてしまいそうな、静寂と闇。
自身とそれ以外の境界線が薄れていくような感覚。
好きでも嫌いでもない。
ただ、クリードはずっとそうしている。
配下のテルルが《ヴァルハラ》へ立ってからどれくらい経っているだろうか。
彼女のことだ、完了次第クリードに報告しに来るだろう。
来ないということは、まだ完了していないか、そうでもなければ――。
「敗北した、か」
「わっ、独り言?」
声。
甘く蕩けるような、女の声だ。媚びるのとは違う。飾り立てるという方が正確か。
特定の他者に向けた仮面ではなく、自分の為の仮面だ。鏡を見た時に、自分を美しいと思えるように被る仮面。
不思議なことに、魔人の容貌は人類から見た時に優れているのだという。
時代によって美醜の感覚は変わってきたろうに、どのような時もそれは変わらなかった。
個人的な好みはあるにしても、多くの人間は自分達を見た時、その顔に視線を奪われる。
妙な話だ。
人類の天敵は、人類の思う美を体現している。
「……貴様は、セレナだったか」
ピンクの髪と瞳をした、二本角の魔人。
廃棄領域《エリュシオン》の城主。
この時代では、僅かに二体。
かつて地上に三桁数もの数築かれた人類領域も、今や地上全て合わせて二桁数まで減じている。
《ヴァルハラ》の
「覚えててくれたんだぁ。セレナ嬉しいかもー?」
両手の指同士だけを合わせて、セレナは嬉しそうに笑う。
「同族殺しは飽きた。用件が殺し合いならば、失せろ」
かつて人間同士が戦争していたように、魔人同士も争うことはある。明らかに格の違う相手ならば下の側が恭順を示すが、愚か者や強者は力比べに持ち込もうとすることもあった。
クリードはどうだっただろう。昔を思い返そうとして、やめる。
とにかく、セレナはまだ若い。愚か者にして強者とでも言うべきか。
自分を殺して《ヴァルハラ》を奪おうと考えたところで不思議はない。
「えー、そんなことしないよぅ。セレナ、超平和主義者だし。可愛い
「そうか。
「わぁ、クリードくんってば太っ腹。優しくしてくれるなんて、セレナのこと好きなの?」
相変わらずの甘ったるい声。
鼓膜を舐めるような喋り方。
頬に指を当てながら、彼女は首を傾げる。
クリードは言った。
「どうでもいいのだ。貴様も家畜も」
暗に眼中に無いと言われたのだ、血気盛んな若者であれば気を立てるだろうか。
だが、セレナは僅かに目を細めただけだった。
「あはは、クールだね。じゃあじゃあ、自分の配下ならどーかな」
…………。
「テルルがどうかしたのか」
そこで初めて、クリードはセレナを意識した。
それまでは視界に捉えていただけだったが、集中したとでも言えばいいか。
彼女の笑みが深まるのを感じる。
「さすがのクリードくんでも、忠誠心マックスの女の子は大事なんだぁ?」
クリードは考える。
テルルがどうなったかを知っているということは、セレナかその配下がそれを見たのか。あるいは他に確認する手段があったのか。
どちらにしろ、此処へ来たという部分が重要だ。
本来ならばその程度の情報を伝えには来ないし、使いを寄越すでもなく本人が現れるなど有り得ない。
つまり、彼女は個人的な事情で此処へ足を運んだのだ。
更には、ペット集めにご執心のセレナが家畜をくれてやるというクリードの言葉に積極的な反応を見せなかったこと。
そこから考えられるシナリオは。
「貴様、逃げ帰ってきたのか」
「――――は?」
彼女が殺意を漏らしたのは一瞬。
それはすぐに鳴りを潜め、笑顔が戻る。
「もー、クリードくんってば鋭いねぇ。賢いねぇ。そうだよぅ。セレナは欲しいものを手に入れることも出来なくて、ヤマトのクソ女の所為で撤退することになったの」
ぴくりと、クリードの眉が動く。
「ヤマトの女、だと? それは大太刀遣いの、和装の女か?」
「キモノ、だっけ? うん、着てたけど。え、知ってるの?」
セレナが驚いたような声を出す。
「…………そこにいたのか、ミヤビ」
かつて彼女と戦った時のことが、クリードはずっと忘れられずにいた。
都市の人間を逃がす為に、彼女は殿を務めたのだ。
たった一人で。
数千の魔獣と、クリードを単身で相手取った。
全ての人間を守れたわけではない。都市に残された者も魔獣に喰われた者も大勢居た。
だが、それでもミヤビがいなければまず間違いなく全滅していただろう。
いたところで、全滅していなければおかしい戦力差だった。
クリードはあまりに
逃げ惑う人間を全員殺してから、彼女と一騎打ちをするつもりだった。
守ろうと動く所為で、彼女は全力が発揮出来ていなかったから。
逆にクリードは人間を先に全滅させようと動いた所為で、全力が発揮出来なかった。
結果、お互いの魔力炉が限界を迎えるまで戦いは続いた。
魔力炉は器官だ。永遠に走り続けることは出来ないように、どこかで音を上げる。
彼女は凄まじかった。極小の太陽を作り出し、闇夜の中で魔力炉を回しながら戦ったのだ。
お互いの魔力炉が停止した後も、二人は殺し合いに興じた。
あの時間は、クリードの生きてきた中で一二を争う至福のひとときであった。
結局、決着はつかなかった。
「クリードくん?」
セレナの呼び声で現実に引き戻される。
「テルルは死んだのか」
「ううん、遠目でだけど昇降機に載せられてるのを見たよ。拘束されて、荷物みたいに」
「そうか」
どうするのがいいか。
テルルから情報を引き出すつもりだろう。それが上手く行かずとも、テルルが持っていった家畜が知ってることを吐くに違いない。
こちらから攻めるべきか、いずれくる彼女を座して待つべきか。
あぁ、だがそれを決める前に。
クリードはセレナを見る。
「それで、貴様は俺に何をさせたい?」
此処に来たのは、そういうことだろう。
にぃい、と。
セレナが口角を吊り上げるようにして、笑った。
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