第87話◇義憤




 ロータスはラピスの異母兄だ。


 逆立てた髪と嫌味な視線、嘲るような唇の形が苦手だった。


 彼の背後には死んだような目をした少女が控えている。

 頬が赤く、鼻が青黒い。殴られたのだろう。


 彼は差別主義者ですらない。まだしもネフレンのように明確な理由を掲げて他者を下に見る者の方がマシだ。彼女らには理由があるのだから。

 だが彼には理由が無い。


 《偽紅鏡グリマー》は物。

 だから好きに扱っていい。


 あるのは理由ではなく、彼にとっての常識。当たり前だから当たり前。

 思想でさえ無いから、変えられない。


「水クセェじゃねぇか。お兄様って呼べよ」


 この後の展開も分かっている。

 だが逆らえない。


「……はい、ロータスお兄様」


 彼は途端に不機嫌そうになると、ラピスの眼前まで来て頭突きの勢いで額をぶつけてくる。


 ゴツ、と骨に衝撃。

 頭が揺れ、数歩後退する。


「あぁ? 父上を誘惑した売女の娘が、俺様を兄だなんて呼ぶんじゃねぇよタコ。本気でてめぇと馴れ合うつもりだとでも思ったのか? 身の程を弁えろ。なぁ?」


 いつもこうだった。

 かといって呼ばなければ呼ばないで「俺様の厚意を無下にすんのかよッ!」と怒鳴られる。


 彼にとってラピスは好きなように攻撃したところで誰にも咎められない恰好の的なのだ。

 理不尽を振るうことが許される玩具。


「申し訳ありません」


 ラピスは謝る。謝るしかない。逆らっても面倒くさいだけだ。

 それに対し、彼は気を良くする。


 学内ランク九位相手に優位に立つことで快感を得ているのが分かる。


 本来ならば三十一位であるロータスにそんな振る舞いは出来ない。


 だがラピスは愛人の子だから。落とし子だから。不貞の罪の証拠だから。

 正妻の子である彼は自らの父を被害者として、ラピスの母を淫売と蔑む。

 その子供であるラピスを忌み嫌う。


 そのことに抵抗はしない。

 ヤクモのように家族を馬鹿にするなと立ち上がることはしない。

 諦めという鎖を千切る力が、ラピスには無い。


「はっ。で、どうだったんだよ。世間知らずのお坊ちゃん誑し込むくらいわけねぇよなぁ? なにせ父上を誘惑した淫売のガキときてる。お手の物ってやつだろう?」


 下卑た笑み。

 通り過ぎる誰も、こちらを見ない。


 関わりたくないのだろう。

 パパラチア家の長男に目を付けられようものなら、今後のキャリアに支障が出る。


 素通りが賢い選択。

 みんな、賢い。


「……それは」


「ぷっ。失敗かよ! そらパパラチアを名乗れねぇハズレだもんな! 薄ら寒い髪と目! 夜鴉が相手にしねぇのも分かるぜ!」


 がんがんと、乱暴に肩を叩かれる。


「安心しろ。俺様と父上がてめぇみたいなドブスでも貰ってくれるっつぅ奇特なお偉いさんを見繕ってやっから! だから精々感謝して、パパラチア家の迷惑にならねぇよう余生を生きろや。な?」


 な? と言われれば、こう答える以外の選択肢は用意されていない。


「はい」


 乱暴に髪を撫でられた。首を折りかねない程、乱暴な動きだ。


「それとな、三回戦では棄権するって話、ありゃダメだ」


「ダメ、とは」


 髪を引っ張り上げられた。


 痛い。それでも表情は変えない。何故。プライド、だろうか。何の。そんなもの、あったところでもう粉々だ。微塵となったそれが、まだ健気にも機能しているというのか。哀れで泣けてくる。


「てめぇが棄権なんざしてみろ。父上が手を回したと思われんだろうが」


 事実、手を回しているのだが。


「だからお前さ、派手に負けろよ。適当に戦って、俺様を立ててから死ね」


 なるほど。

 確かにそれならば、上手くやれば大番狂わせで九位に勝った三十一位を演出出来る。


「な?」


「……はい」


 髪を離される。


「それと試合終わったらその銀髪メイドも寄越せ」


「――え」


「え、じゃねぇよ馬鹿が。てめぇが偉そうに九位になってんのも武器性能の差に過ぎねぇ。てめぇは運が良かった。その点、俺様はダメだな。こんなゴミ掴まされてよ。なぁ、お前はゴミだよな。な?」


 声を掛けられた少女は「はい」と即答した。


 心を殺した声。機械的な反応。


 《偽紅鏡グリマー》の扱いの中でも、彼のそれは酷い。


 武器には人間時の肉体と精神の影響が大きく出る。こんな風に自己を殺し、傷だらけの中で生きていたら性能なんて半分も発揮出来ないだろう。


 その程度の知識、持っている筈なのに。


「はいじゃねぇだろ。お前はゴミかって聞いたんだ」


 少女は一瞬、苦しげな顔をした。心が痛みを訴えかけたのだ。それでもすぐに諦める。

 口を開く。


「わたしはゴ――」


「言わなくていい」


 声。


 ラピスでもイルミナでも、当然ロータスでもない。

 パパラチア家に楯突く愚か者なんていない。


 それを恐れない者なんて、あぁ、でも。

 一人、知っている。


「あぁ? なんだぁ夜鴉くん。人様のパートナー関係に口出しする権利がてめぇにあんのか?」


 そう。現れたのはヤクモだった。


「悪行を止めるのに義理も権利も必要無い。そんなことも分からないのか」


「……《黒点群》持ちだかなんだか知らねぇが、口の利き方に気をつけろ。お前は四十位で、俺は三十一位だ」


「なら、あなたはラピス先輩への口の利き方を気をつけろ。彼女は九位で、あなたは三十一位だ」


「――ッ。な、てめぇ、俺様はパパラチア家嫡男、ロータス様だぞッ!」


「順位の次は家名ときたか。何を笠に着ようが勝手だけど、そんなものは無意味だよ」


 ヤクモにしては珍しい、嘲るような笑い。

 それが、彼の怒りの深さを思わせる。


 ヤクモは見知らずの他人の為にだって怒ることが出来る人間だ。《偽紅鏡グリマー》の少女の為、そして自意識過剰で無ければ自分の為にも怒ってくれている。


 追いつくまでにラピスが髪を引っ張られるあたりは視界に入っただろうから。


「なんだと!?」


「ランクや家名で、人は斬れない」


「――――」


「あなた自身に、僕を黙らせる力は無い」


 挑発。

 逆らう者に慣れていないロータスに耐性など無く。


「黙らせてやるよ、クソガラス!」


 愚かにも、ヤクモに手を出した。



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