第88話◇熾火




 ロータスの右拳は平然といなされ、勢いを利用されながら捻られる。


 回転。異母兄の身体が宙を舞い、背中から勢いよく地面に叩きつけられた。


「か、はっ……」


 肺の中の空気が吐き出され、彼の表情が苦悶に歪む。

 立ち上がれぬよう、ヤクモは足を彼の首元に載せた。


「でめぇッ!」


 殺意を漲らせる彼を、ヤクモは無視。


「アサヒ、その子を。イルミナ先輩は、ラピス先輩をお願いします」


「はい兄さん」


「承知致しました」


 アサヒが少女に近づいて顔に付いたままだった血を拭う。


「お嬢様。御髪が乱れておいでです」


 イルミナがそう言って、何処からともなく取り出した櫛で梳いてくれる。


「ふざっけんな! てめぇ、ただで済むと思うなよ!」


「これは正当防衛だし、まだ家に縋るつもりならもう話すことは無いよ」


「パパラチア家に楯突いて、この都市で生きていけると思うな!」


 ヤクモは呆れ果てているようだった。


「五色大家は優秀な領域守護者を多く輩出してきた。長年人類に貢献してきたから名家なんだ。私情で僕を追い出すことの何処が、人類への貢献なんだい? さすがにそんな道筋は立たない。どれだけの権力があっても、面目を潰された怒りがあっても、無理だよ」


 ヤクモ以外であれば、無理ではなかっただろう。

 領域守護者としての未来を潰すこともわけないだろう。


 だが、ヤクモの価値は日々高くなっている。


 いくらパパラチア家当主とはいえ、愚息の怒りの為に《黎明騎士デイブレイカー》候補を潰すことは出来ない。出来ても、他の四家はそれを非難する立場に回るだろう。微妙な力関係を維持する為にも、やはりヤクモには手を出さないと思われる。


 ラピスをどう扱うかは身内の問題として干渉を跳ね除けられるが、ヤクモは『白』という以外には何処にも属していない。


 誰もが取り込めるものなら取り込みたいと考えている。

 実際父がラピスを使おうとしたように。


「黙れ! いいからその残飯臭い足をどけ――ゔぇっ」


 ヤクモが足を軽く踏み込んだ。


「……きみ、名前は」


 ヤクモが声を掛けたのは、ロータスの《偽紅鏡グリマー》だ。

 少女は口を利かない。


 悲しげに俯くばかり。


「馬鹿がッ! 飼い主以外に尻尾を振らねぇよう調教くらいしてんに決まってんだろう! 妹だ愛しているだ、てめぇの考えは気色悪ぃんだよ!」


 命じているのだ。

 ラピスには分かる。

 だって、イルミナも立場は同じだ。


「……この子達は、パパラチア家にこれまでの魔力税を代理負担してもらっているの」


 ヤクモがこちらを見た。


「魔力の借金、とでも言えばいいかしら。返済が終われば解放されるとはあるけれど、《偽紅鏡グリマー》は自分で魔力を生み出せない。そこは変わらないわ。そして報酬は《導燈者イグナイター》に支払われる。……分かるでしょ」


 つまり、幼い頃にその契約を交わしたが最後、パパラチア家から逃れることは出来ない。


「…………ふざけてる」


「アホ抜かせ! 契約しなけりゃとっくの昔に壁外で魔獣の餌になってんだろうが! 生きてるだけで感謝しろや!」


 彼の言もまた一面の事実だ。

 それを理由に永遠の隷属を強いることの正しさは、何ら保証されないが。


 ヤクモはロータスから足を退けた。

 すかさず彼が立ち上がる。


 埃を払い、恥辱に赤く染まった顔でヤクモを睨む。


「その契約、パパラチア家の方から破棄することは出来るんじゃないのかな」


「あ!? 寝ぼけたことを抜かすな! するわけねぇだろ!」


 でも、出来る。

 もちろんラピスにそんな権限は無いが、領主なら可能だ。


「賭けをしましょう」


「てめぇ……さっきからなんなんだ!」


「もしあなたが準決勝へ進んだら、相手は僕です」


 そう。トーナメント表では、そうなる。

 ロータスが下卑た笑みを浮かべる。


「てめぇが負けたら《黒点群》を寄越すってんなら、どんな賭けでも乗ってやるよ」


 ヤクモの瞳が険しさを帯びる。


「妹は物じゃな――」


「構いませんよ! わたしと兄さんは負けません。特に、そんな三下にはね」


 ぴきぴきと、ロータスの額に青筋が浮く。


「……手に入れたら生意気な口利けなくてしてやるよ」


「はぃい? そういう妄想は部屋で一人の時にしてもらいます? やだ~」


「魔法ゼロのゴミが……」


「ゴミを欲しがるとかどんな趣味ですか?」


「……《黒点群》持ちとなりゃあ箔が付くだろうが」


 もしかして、知らないのか。

 武器の性能は肉体や精神の影響を大きく受ける。


 《黒点群》とは、特定の《導燈者イグナイター》との関係性が精神に与える影響によって、機能が進化した個体を指すとの見方が、今のところ最も支持されている仮説だ。


 《地神》ヘリオドールのパートナーであるテオを他の《導燈者イグナイター》が武器化したところ、進化した能力は発現しなかった。


 ミヤビとヤクモ《この組の場合特にアサヒ》は協力を拒んだ為、正確性は不明なものの、こうなる。


 つまり《黒点群》は、特定の《導燈者イグナイター》と《偽紅鏡グリマー》の組み合わせでしか《黒点群》としての力を発揮出来ないのではないか。


 アサヒを奪ったところで、それこそ魔法ゼロの少女を手に入れるだけだ。


「賭けの内容は、三回戦であなたと、、、、、、、、ラピス先輩のどちらが、、、、、、、、、、勝つか、、、


「あ?」「え」


 ロータスとラピスの戸惑いが重なる。

 ヤクモがラピスを見た。


「ラピス先輩。僕はやっぱり、結婚は出来ないです」


 突然、告白の返事をされる。


「でも、ラピス先輩がいなくなってしまうのは嫌だ、、


 どくん、と。跳ねた。あるいはガシッと。掴まれた。

 どちらにしろ、心臓だ。


「あなたが望まぬ形で去るなんて嫌です。僕らは仲間で、同じ《班》で、友人でしょう。困ったら頼ってください。出来ないこともあるけど、出来ることだってある。一緒に考えましょう」


「……考え、る」


「おいクソガラス! 意味わかんねぇこと抜かすんじゃねぇよ!」


「ラピス先輩。考えてください。ラピス先輩が嫁に出されるのは、収穫時だから? 何故今のタイミングで? 卒業まで待ってもいい筈でしょう」


 ……それは、確かにそうだ。


 だが婚姻が可能な歳になったことや、ロータスを勝たせる為など様々な要因があるものだと勝手に納得していた。


「急ぐ必要があったんだ。パパラチア家には、今すぐラピス先輩を使って人脈を作らなければならなかった。僕でもいいってことは、欲しいのは領域守護者とのコネクション」


「そう、ね。そうだわ。《黎き士》の来訪によって五色大家は存在価値を揺らがされた。彼女一人で一方向を完全にカバー出来てしまうのだから。『白』は彼女、『光』は《地神》という象徴が出来てしまっている。だから……パパラチア家は地盤をより盤石とする為に自陣へ有力者を引き込みたかった……?」


「《黎明騎士デイブレイカー》の弟子ということで間接的に師匠との繋がりを確保し、《黒点群》持ちということで未来の《黎明騎士デイブレイカー》を抱え込む。多分政略結婚なんて脅しで、最初からラピス先輩に僕を狙わせるつもりだったんです」


 ストン、と腑に落ちる。

 ヤクモは自分が返事を待たず立ち去ってからも、ずっとそのことを考えていた?


 ――だめよ。


 いましめるように念じる。


 だめだわ。だめ。

 これは、気付いてはだめな感情ものだ。


 一度自覚すれば終わり。もう以前の状態へは戻れない。失うという形でしか。


「なら簡単ですよ、先輩。先輩自身が、先輩とイルミナさんこそが優れた戦力なのだと認めさせればいいんです」


「……あなた、それがどういうことだか分かっているの」


 本戦へ出場できるのは各学舎四組。


 つまり三回戦を勝ち抜けば、準決勝で負けても本戦へのキップは貰える。


 だがヤクモ達に課せられたのは完膚なき優勝。


 裏の賭け試合が関係しているのだろう。もし負ければ、賭けた金は失われる。彼が今年一度きりのチャンスだと強調し、負けられないと言っているのは金銭的な問題だ。


 それを一挙に解決出来るのは、賭け試合くらいのもの。

 勝ち続けなければならない。


 そして、ラピスが本家を納得させる実績を示そうと覚悟を決めたとする。

 その場合も同様に、無敗に近い戦績を求められるだろう。


 ヤクモ達は、絶対に負けられない筈なのに。

 なのに、平然と言うのだ。


「えぇ、分かっています」


 全力で自分のライバルになれ、と。

 ラピスが救われる道を示した。


 それが、自分達の破滅に繋がると知りながら。

 異常、あるいは残酷とも言えるかもしれない。

 だが違う。


 これは、優しさだ。

 チャンスの提示。掴む掴まないをこちらに委ねている。だがやり方が強引だ。


 世界で一番大切な妹まで賭けて、イルミナや奴隷扱いされる少女、そしてラピスまで救おうなどとは。

 だめだ。もう、遅い。


 自分は自覚してしまった。


 熱い。胸が。その奥が。心というのだったか。

 が、いて。

 この高鳴りの名は。高ぶりの名は。


 ――いえ、今はよしましょう。あと少し頑張ってから、認めましょう。


ロータス、、、、


 呼び捨てにする。


「今、なんつった」


 彼の剣幕に、もう引かない。

 じゃり、と鎖の音がした。自分を長年縛ってきた、諦念の鎖。


 完全に断ち切れはしない。そんな簡単なものじゃない。

 でも、引きずって進んでみよう。


「あなたに負けることは出来ないわ」


「あ!?」


「わたしは、あなたに勝つ」


「分かってんのか! パパラチア家はてめぇごときいつでも潰せるんだぞ!」


「えぇ、今のわたしならね。でも、この大会が終わった時のわたしは、潰そうだなんて思えないでしょう」


 ロータスが憎々しげに顔全体を歪める。


「――て、めぇ。アバズレのガキ如きが、夜鴉に当てられて夢見てんじゃねぇぞ……!」


それ、見なくなって久しいわ。わたしが見ているのは、ずっと現実いまよ。あなたはどう? わたしに勝てるだなんて夢を、見ているわけじゃあないでしょう」


 逃げたければ逃げろと、ラピスは煽っている。

 そして彼は挑発に弱い。


「ぜってぇに殺す。その銀髪も《黒点群》も俺様のもんにしてやるよ」



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