第三章
グレイプニル・リストレイント
第83話◇拷問
ミヤビが生け捕りにした魔人は、名をテルルといった。
牢屋だ。
魔力強化を用いた者でも破れぬようにと用意された拘束具。手首の裏を合わせた状態で肘先までを包み込む手枷は天井に繋がり、同様に膝まで包まれた足枷は床に繋がっている。
壁の外に追放した場合に脅威となり得る存在は、こうして地下牢に閉じ込められる。下手に追い出して壁を傷つけられては堪らないからだ。
しかし今は、そこに魔人が収まっていた。
「よぉ、居心地はどうだい?」
ミヤビが牢の前に到着すると、テルルの顔が上がる。
ぎりり、と歯を軋ませる音と共に表情が歪む。
「夜鴉……!」
「あはは、詳しいなぁおい。だが、あたしが夜鴉ならお前さんはなんだよ? 啄まれるミミズかい?」
「くっ……精々囀っていればいい。クリード様がくればこの都市も終わりだ」
「困ったら上頼みか。喧嘩に勝てねぇから兄貴に頼るガキみてぇだな、お前。
テルルが嘲笑を浮かべる。
「貴様程度がクリード様に敵うものか」
「どうかね。確かに前は殺しきれなかったが」
「…………なんだと?」
ピク、と彼女の眉が揺れた。
「あん? 聞いてねぇのか。クリードって魔人の兄ちゃんなら、前にやり合ったことがある」
ミヤビは対峙した敵の全てを殺してきたわけではない。
先日ではセレナを取り逃がしてしまったし、テルルだって今生きている。
ただ、クリードは異様に強かった。
決着はつかなかったが、戦闘中何度命の危機に瀕したか分からない。
テルルはそんな彼の部下だという。
「空言も大概にしろ。クリード様と矛を交えた人間が生きている筈が無い」
「信じろとは言わねぇよ。意味ねぇしな。それより、聞かせてくれ。今の《ヴァルハラ》について」
人類領域の数字は不変ではない。現存する都市に適当に番号を振っただけだ。
例えば第三人類領域が廃棄領域となった場合、第四以下が一つずつ繰り上がることになる。
元々は建設順に番号が振られていたらしいが、いつしか今の方式に変わっていった。
故に、わざわざ番号をつけて都市を呼ぶ者は少ない。
元第九人類領域《ヴァルハラ》。
ミヤビとチヨも、住んでいたことがある。
都市を廃棄する際にも、その場にいた。
敵わなかったというなら、そうなのだろう。
黎明を齎す騎士を冠しながら、世界を真の闇へと近づけてしまった。
《
ミヤビ達がどれだけ強くても、個人は個人でしかない。
全方位から迫る敵を、一人で相手取ることは出来ない。
だから、自分には同志が必要だった。
並び立って戦ってくれる者。
その候補は、運良くこの都市で見つかった。
まだ
世界に自分達二人だけ残って、それで朝日を拝んでも。
その美しさは、きっと胸を打たない。
人類には生き残ってもらう必要がある。
あくまで、自分の気分の為に。
それを言うと、きっと愛弟子は生温かく生意気な視線でこちらを見ることだろう。
とにかく。
「知ってることを、全部吐け。その為に生かしてやってるんだ」
「誰が、人間なぞに」
「お前が連れてきて奴らにも聞けるだけ聞いたんだがな、奴隷扱いされてたんじゃあ大した情報も得られねぇ。素直に教えちゃくれねぇか」
「貴様は、馬鹿か?」
「そう答えるよなぁ」
ミヤビは笑う。嗜虐的に見えるように、笑う。
「ちなみに、どうしてこの牢を選んだか教えてやろうか?」
「…………」
「此処はなぁ、特別用なんだよ。優秀な魔力炉を持った犯罪者を隔離しておく為のな。下手に追い出しても面倒なことになんのは目に見えてるからな、閉じ込めるわけだ。そこで問題だ。何故秘密裏に殺すなり、魔力炉を破壊してから追い出すなりをしないんだと思う?」
「知ったことか」
「あんだよ、つまんねぇ奴だなぁ。まぁいいさ。正解は、優秀な魔力炉は捨てるに惜しいから、だ」
テルルが訝しげにこちらを睨む。
明らかに日の差さない牢では、人類の魔力炉など働かない。
「お前さんの疑問は分かるぜ? だがな、少し頭を回しゃあ分かんだろ?」
「…………まさか」
「そう、そのまさかさ」
牢の天井の一部が開く。
牢屋の中に、模擬太陽の光が差し込む。
「――――ッ。貴様!」
テルルが目を瞑り、必死に俯いた。
そのようなことをしても、彼女の身体に降りかかる陽光は振り払えないし、遮れない。
「魔力炉を働かせるだけの陽光を浴びせて、魔力を徴収しようってわけだな。すげぇだろ? もはや燃料扱いだぜ。殺すよりよっぽど非人道的だ。まぁ、よっぽどの罪人でなきゃとられない措置だって話だけどな」
明らかに、テルルは苦しんでいた。
「目が灼ける程に眩しいんだろ? 昔な、陽の光を浴びて灰になる鬼の伝承があった。闇の住人はただそれを好んでいるんじゃない。光に滅法弱いと相場が決まってる」
「黙れ! この程度でクリード様を裏切るものか!」
「そのクリード様はいつ迎えに来てくれる?」
「……っ」
「ちなみに、だ。模擬太陽も日がな一日輝いているわけじゃねぇ。人類領域は決して不夜城じゃあねぇんだな」
一瞬、テルルが安堵したような顔をする。耐えれば夜はくるという支えを手に入れたのだろう。
そこから、絶望に叩き落とす。
「だが安心してくれ。夜は陽光レベルの光使いを絶えず此処に置いといてやる。暇な時はあたし直々に担当してやろうじゃあねぇの。だから存分に、無休で灼かれてくれよな」
自分は、ヤクモの言うような善人ではない。
目的を果たす為ならばどんなことでも平気で出来る。
若い女性の形をした悪魔を日で炙ることに躊躇いなど無い。
テルルがミヤビを射殺さんと見据えた。
目も開けられない筈なのに、ずっとミヤビを見ていた。
その所為で目尻から血が流れても、彼女は目を閉じなかった。
「…………貴様は、必ず殺す」
呪詛の声。
「《ヴァルハラ》についてお喋りしたくなったら呼んでくれ。じゃあな」
ミヤビはヘラヘラと笑い、その場を後にした。
弟子のように真っ直ぐな人間も、ヘリオドールな堅物も、必要だ。
あの二組は曲がらなくていい人間だ。
だからその分、彼らに出来ないこと、向いていないこと、でも必要なことの全ては自分が担おう。
夜を明かすのに悪辣さが必要なら、振るおうではないか。
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