第81話◇姫様
その日の残りの試合も観戦し終えて。
「むむむ、むむむむむぅ」
妹の声だ。
アサヒがヤクモの左手を掴み、凝視している。
もうずっとこの調子だった。
魔弾で吹き飛んだ手だが、その後破片をきっちり回収したところ、金髪で白衣の領域守護者が元通りにしてくれた。
終始笑顔ながら、彼女には大変厳しいお叱りを受けた。
妹にもだ。
一瞬の判断が求められる中で、常に最善手を取り続けることは難しい。
たとえば、正面から迫る敵意ある者の拳は避けられても、すれ違う人にいきなり殴りかかられればまず混乱が勝る。回避の前に混乱が挟み込まれるわけだ。その時点で行動に遅延が生じ、遅延は焦りを生み、焦りはミスを生む。
そうして避け損ねたり、あるいは過剰に防衛してしまったり。戦闘時にはしない失態を晒すなんてこともあるだろう。
あの試合は一瞬の判断を常に求められた。しかも、考えるべきは一つの事柄だけではなかった。複数の弾丸が放つ複数の能力を、一瞬で切り抜けなければならなかった。
試合では左手を犠牲にしたことで突破したが、もう少し賢い方法だってあったかもしれない。
それについて考えようとは思うが、ヤクモは次も必要だと思えば犠牲にするだろう。
最も重要なものを譲らない為に必要ならば。
とはいえ、忠告や心配はありがたい。
「アサヒ。大丈夫だって」
「いいえ、ちゃんと隅々まで確認しないといけません。もし問題があったら、その白衣女は許しませんが」
「本当に問題無いって。それよりアサヒは平気?」
赫焉を白銀の繭に変えて爆発から身を守った際、熱によって繭表面が溶かされた。
性質を変える破壊に該当した筈だ。
彼女の肉体と精神に影響が表れていないか、ヤクモの方こそ心配していた。
「えぇ平気です。いつものように兄さんがお風呂で身体を洗ってくれれば元気になります」
「一度もしたことないよね?」
「え? あぁすみません。いつも見てる夢のことでした」
「いつもそんな夢見てるの……」
「お風呂以外にも、兄さんとイチャイチャするあらゆるシーンを見ています。夢って素敵ですね。夢があるとはよく言ったものです」
「いや、それは使い方が違うような」
「あ」
妹が急に口許を押さえる。
「え、まさか手に何か?」
自分では違和感のようなものは感じないが、何か以前までと違う点を見つけたのだろうか。
「い、いえ。兄さんの手は元通りです。いつもわたしを強くぎゅっと熱烈に握る素敵な手です」
もちろん、刀状態のことを言っている。
それより。
「僕じゃないなら、アサヒに? ……言ってくれ。隠し事はなしにしよう」
すすす、と妹の身体がこちらへ寄ってくる。
もしや手足の痺れなどが出ているのかと、ヤクモは胸が引き裂けそうな思いで受け止めた。
「わたし、なんだか調子が悪いみたいでぇ。部屋までお姫様だっこしてくれますか? 兄さんっ」
…………。
ヤクモは二つの感情に襲われた。
妹に問題が無いようで、心の底から安堵した。
だが同時に、甘えるにしても不適切な手段を用いた妹に対する、怒り。
窘めてもいいが、ヤクモは閃く。
ちょっとした意趣返しをしよう、と。
「そうだね。アサヒに無理はさせられない」
「え、あれ……?」
いつものように却下されると思っていたのだろう、頼んでおいて戸惑うような声を出すアサヒ。
アサヒの身体が心配ということもあり、試合後は立ち見ではなく観客席に腰を下ろしていた。
ヤクモは立ち上がるとスッと彼女を抱き上げて、そのまま帰路につく。
「ひゃあ。に、兄さん? いいんですか? そ、外ですよ?」
妹の顔は驚きと羞恥で赤く染まっている。
正直とても恥ずかしい。
周囲の視線がガンガン吸い寄せられているし、自分の性格に合っていない行動だ。
「調子が悪いんだろう? 僕の判断で妹が辛い思いをしてるんだから、これくらいなんてことないさ」
「うっ」
妹の表情に罪悪感が滲む。
自分の悪ふざけが兄に何を感じさせたか理解したらしい。
「兄さん……怒ってます?」
「どうして?」
「あ、いえ、そのぅ……。ごめんなさい……! よくない冗談でした。以後気をつけますから、ね?」
「どうかな。うちの妹は懲りないし」
「なっ。兄さんを傷つける失敗は二度は犯しませんよっ。信じてください!」
不服そうな妹の声。
「そうだね」
「じゃ、じゃあ」
「下ろさないよ。心配なのは本当だし、それに」
「……それに?」
おそるおそるこちらを見上げる妹に、ヤクモはにっこり微笑む。
「兄だからさ、いけないことをした妹には、反省させないと」
アサヒは身じろぎしたが、無理に下りようとはしなかった。
諦めたようにヤクモに体重を預け、苦笑する。
「兄さんも顔赤いですけど……」
「そりゃあ、とても恥ずかしいからね」
「自分を犠牲にする戦い方はよくないですよ。兄さんの数少ない問題点です」
「それが必要なら、僕はするよ」
「大変かっこいいキメ顔のところ申し訳ないんですが、まだ赤いです」
視線の数が凄まじい。
魔法無しと魔力をろくに使えない二人が、またしても勝ち進んでしまった。
常識外の領域守護者。
それが何故か、お姫様だっこなどして歩いているのだ。
注目を集めない方がおかしい。
吹っ切れたのか、妹が赤面したまま叫ぶ。
「ふっふっふー! 羨ましいでしょう皆さん! ちなみに部屋ではもっとらぶらぶいちゃいちゃしてるんですぜ――いだっ、太腿の裏つねらないでください兄さん!」
「まったく反省してないね」
「してますよぉ。それはそれとして、あわよくば兄さんとお近づきになれないかと期待するメス共を牽制しているんです。雌狐共に兄さんを渡すものですか」
「言葉が汚いよ」
「部屋ではもっとすごいんですよー! なにせお互い服を着てな――いっだい! 落とした!?」
尻から落ちた妹が、臀部を押さえながら涙目になる。
少し可哀想に思えたが、そこをぐっと堪えて、ヤクモは進む。
「え、え!? そんな! 兄さん待ってください! 違うんですだって最近兄さんに色目使うメ……女性が多過ぎるからアサヒちゃんちょっとじゃらしぃ? ってゆうか兄さんはわたしだけのものなんだぞっ! って今一度知らしめたかったとゆうか、決して兄さんを傷つけようとか怒らせようとかそういうことを考えていたわけではないんです置いてかないでください、え? ……夜雲くん? え?」
しばらくそのままの体勢でいたらしいアサヒが、不意にガバッと立ち上がるなり足音が聞こえてきた。
「まっでくださいよぅ!」
半泣きで追いかけてきた妹が、拗ねたように指をちょんと摘んでくる。
まるで怒られないラインをさぐるようないじらしさに、夜雲は一瞬前までの怒りが溶けてしまうのを感じた。
彼女が暴走する原因の何割かは、きっと自分が甘いからだよなぁと思いつつ。
振り払うことなく、寮へ戻るヤクモだった。
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