第80話◇笑顔




 目が覚めると、無機質な天井。

 自室ではない。医務室か。


「スペくん!」


 姉の声。


 全身が倦怠感に包まれている。治癒を施されたのだろう。

 右手はなんとか治っていた。


 起き上がろうとすると、誰かに肩を押される。


「ダメだよきみ。あのね、本来ならきみらの試合は延期するべきだったわけ。表向きの平穏を装う為に変更出来なかったけどね。文句も言わず試合に出たのは偉いよ? けどね、ダメでしょ。痛みは危険信号なんだから」


「……アンタが治したのか」


 白衣を着た金髪の女性だ。治癒持ちの領域守護者だろう。

 魔人襲撃の件を知っている程度には、関係者だったらしい。


「そうさぁ? だけどね少年、治ることを前提に動くのはいただけないなぁ。ヤマトの少年にも言ったけどね」


 微笑んでいるのに、目が笑っていない。


「せ、先生。スペくんもその、悪気があったわけではないというか」


「そりゃあそうだろうさ。あるんだろう? 男同士の譲れない戦い~みたいなものが。だからと言ってた、だ。馬鹿な行いを馬鹿だと言う奴がいないとだめだ。以後気をつけなよ、きみ」


 そう言わないと手を離しそうになかったので、スペキュライトは無言で頷く。


「素直でよろしい。そういう患者は好きだよ。楽だから」


 それだけ言うと満足したのか、白衣の女は出ていく。


 ヤクモ達はもう部屋を去った後らしい。


 さっきの今で顔を合わせるのもなんなので、助かった。


「大丈夫? スペくん。痛いとこない?」


「あぁ」


「うそ。先生がまだ当分痛む筈だって」


「……ならなんで訊いたんだよ」


「スペくんが本当のことを言ってくれるのか試したのです」


 姉は腰に手を当て、頬を膨らませる。

 怒ったようだ。


「でも、お姉ちゃんに嘘ついた。はぁああ、悲しいなぁ。私はスペくんにいつも正直に接しているのになぁ」


 普段なら流すところだが、今日は黙っていられなかった。


「それこそ、嘘だろうが」


「……スペくん?」


「いつもいつもヘラヘラ笑いやがって。その足も、弾数が六発になったのも、オレの所為だろ。なのにアンタは、恨み言の一つも言いやしねぇ」


 スペキュライトの言葉に、ネアは困ったような顔をする。


「何度も話したでしょう? 私はスペくんのお姉ちゃんだもん。自分が勝手にやったことで、スペくんを恨んだりなんかしないよ」


 嘘だ。


 あれだけ周囲に望まれていた彼女を、故障品ゴミなどと称されるまでに貶めたのはスペキュライトだ。


 日々の生活を困難にしたのはスペキュライトだ。


「……スペくんは、罪滅ぼしのつもりでお姉ちゃんと一緒にいるの?」


 姉が悲しげに、そんなことを言う。


「だったら、嫌だな。それなら、壁の外に送られる方がいい」


「あ? 何を馬鹿なことを言ってやがる」


「馬鹿なのは、スペくんだよ。お姉ちゃんが壁内ここに残るって決めたのは、償いをしてもらう為じゃない。安全が欲しかったからじゃない。忘れたの?」


「…………何を、言って」


 姉の真剣な表情に、スペキュライトは戸惑う。


 壁外に行きたいヤツなんているものか。壁の外は危険だ。いられるものなら誰だって壁内にいたいだろうに。


 他にどんな理由が。


 ふと、脳裏を掠める記憶。

 両親と決別した日の会話。


 ――『よかったの……?』


 ――「……姉ちゃんだけいればいい」


 そこまでは覚えている。

 自分の本音だ。


 だが、会話はそこで終わっただろうか。

 溢れるような姉の笑い声が聞こえる。いや、目の前の姉でなく、これは記憶の中の姉だ。


 ――『お姉ちゃんも、スペくんと一緒が幸せだなぁ』


「…………っ」


 そうだ。姉は壁外行きを受け入れていた。自分が引き止め、彼女を自身の《偽紅鏡グリマー》とした。


 罪滅ぼしがしたかったからではなく、一緒にいたかったから。

 彼女も、ただ同じだった?


「私が笑うのはね、スペくん。トータルでプラスだからだよ。歩けないのは正直とっても不便です。でもきみがいる。馬鹿にされるのは結構辛いです。でもきみがいる。性能が落ちたことをとても不甲斐なく思います。それでも、きみがいる」


 彼女がそっと、スペキュライトの手を握る。


「毎日スペくんといられるんだもん。自然と頬が緩んでしまうのさ」


 にっこりと、姉が嬉しそうに笑う。

 そこに不純物は見当たらない。


 とても幸福そうな顔をしている。


「それにね、最近は車椅子の操作にも慣れたんだから、ほら」


 彼女は自分で車椅子を動かし、医務室内を回り始める。


「見てこのドライブテクニックを! くるくる回ることも出来ちゃうのだ!」


 くるくる。

 くるくる。くるくる。


 姉が回り、くたびれたように止まる。目が回ったようだ。


「うぷっ……ま、まぁ、こんなもんよー。お姉ちゃんも中々やるでしょう?」


 腕もぴくぴく震えている。無理して強がっているのが丸見え。


「くっ」


 思わず、吹き出してしまう。


「ひどい! お姉ちゃん頑張ったのに笑わないでよ!」


 自分は結局、愚かな子供のままだったのだ。

 どこまでも自分勝手で視野の狭いガキだったのだ。


 だって、姉の笑顔は常にそこにあった。


 それを自分の罪悪感が歪めて受け取っていただけ。

 自分が幸福にするまでもない。彼女はとっくに彼女自身の幸福を獲得していたというのに。


「ははは」


 笑う自分を見て最初は怒っていた姉だったが、その笑みの種類に気づいた瞬間、また嬉しそうに笑う。


「スペくんが笑った!」


「笑えることがありゃあ笑うだろ」


「そうじゃなくて、昔みたいに可愛く笑ったの。とてもレアですぞこれは。お姉ちゃんの華麗な回転がそんなによかったのか。じゃ、じゃあ二回目いっちゃおうかな?」


「やめとけ。それに、アホな奇行に笑ったわけじゃねぇよ」


「あほ!? 奇行!? お姉ちゃんの超絶技巧に、なんてひどいことを言うの!」


 怒る姉を見て、スペキュライトはまた笑う。

 まだ、残っている。


 姉の力を証明したいという思いも、笑わせたくないという思いも。


 だが、それはもう、姉の未来を奪ってしまった負い目を晴らしたいという心からではく。


 ただただ自慢の姉を馬鹿にされたくないという、不出来な弟の純粋な思いだ。


「え~。じゃあどうして笑ったのか教えて? お姉ちゃん、スペくんの笑った顔がもっとみたいな」


 必要ない。

 姉が笑うのと、理由は同じだから。


 だがそれを口にする程、スペキュライトは素直じゃない。

 答えず、しばらく笑っていた。



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