第73話◇凱旋
「は……はは…………なに、これ」
セレナは、人類領域から遠く離れた大地に立っていた。
呼吸は乱れ、滝のような汗を掻き、地面に膝と両手をついている。
苦しかった。
生存本能によるものか、それこそ残存魔力の全てを空間移動魔法に費やしたようなのだ。
回避ですらない。
過剰なまでの、逃避だ。
あの女の一撃は避けた筈なのに、プライドはズタズタに切り裂かれていた。
いまだ《黎き士》の眩い大太刀による影響が抜けていない。
魔力炉が働かない。
闇がこれだけ身を包んでいるのに、世界を灼くあの輝きが、いまだにセレナを蝕んでいる。
セレナの魔法は『万能』。なんでも出来る。
だがセレナにはおよそ想像力や創造力といったものが無い。だから『万能』の能力があっても、オリジナルの魔法というものは作れない。
いや、作れはするが、大したものにはならない。
だから模倣する。見て、真似する。それさえも一部では劣化コピーなどと笑われたが、それでもセレナは人類が言うところの特級指定だ。
事実、《地神》には勝った。勝てた。生け捕りにさえ出来た。
「……入れ込み過ぎちゃった、カナ」
あの黒い目を思い出す。ヤマトの目。同調現象が解ければ、黒い髪になる筈だ。
くしゃりと、握りたい。あの髪を撫で、不意に引っ張りたい。
決意に揺るがぬあの瞳の中を、ぐちゃぐちゃに掻き回してやりたい。
カタナを離さぬあの手を地面につかせたい。
決して屈さない身体を踏みつけたい。
仰がれたい。
全部出来る筈だったのに。
「…………クソババア。次は殺すから」
黒い髪の女を思い出す。あの女の邪魔さえ無ければ。
いや、よそう。
自分は生きている。次がある。次こそは。《地神》も、生きているならば長剣の子も銃の子も。
そして、カタナの子も。
「あぁーあ、名前、聞きそびれちゃったよぅ」
欲しい。欲しい。堪らなく、欲しいのだ。
一度欲しいと思ったものは、何がなんでも手に入れてきた。
これからもそれは変わらない。変わってなるものか。
「待っててねぇ。セレナがすぐに、迎えに行くからねぇ」
◇
ざわつく気配を感じる。
昇降機が上っていく中で、それはどんどん勢いを増していた。
「なにか聞こえませんか?」
ヤクモが言うと、《
「お前ら、自分がやったことの大きさも分からねぇのか?」
「やったこと……」
何も、特別なことはしていないように思う。
仲間と協力して魔人を倒し、現れたセレナと戦闘を続けていたところに師の助けがあった。
「はっ! そうかそうか。あぁそうだな。お前はそういうヤツだよヤクモ! そこがお前の美点だわな! 当たり前のことをしただけって顔しやがって」
ばんばん、と師匠に背中を叩かれる。
「事実、そうですし……」
「そうかい。だがそこのクソリプレズは気づいてるって顔だぜ?」
「……クリソプレーズです」
控えめに訂正してから、ネフレンは言う。
「多分……上の連中は見てたんだと思う。アタシ達が戦ってるとこ」
昇降機は破壊されていた。救援に向かうことも――落下死を恐れず投身出来る一部の者を除き――不可能。そうなればせめて戦況を見定めようとすることに不思議は無い。
壁の縁には望遠装置なるものが設置されていると聞く。それで見ていたのだろう。
『あぁ、なるほど』
妹は得心がいったというような声を出す。
ヤクモにはまだピンとこない。
「えぇと、だから……アタシ達が下りた時、その、全滅してたでしょ。それで、昇降機も壊された」
「そう、だね」
「それでもし、
「――あ」
壮年の魔人は、壁を破壊しただろう。
人類の守りが壊され、中に魔人が侵入することとなっただろう。
そこへもし、魔獣の群れがなだれ込むようなことになったら。
『白』は全員壁の外で戦い、『青』は壁の縁にいる状況でそんなことになったら。
事態を収拾する頃にはどれだけの損害が出たものか分からない。
『……英雄みたいなものなんでしょう、わたし達は』
英雄。
不似合いだ、と思う。自分には。
だが、やったことだけを見るなら。
投入された正規隊員の部隊が全滅した中、訓練生五組が一体の魔人を討伐。
更には《
しかも、グラヴェル・ルナペア、アンバーとそのパートナーの力を借りたものの、自身らの《班》に一人の死者も出さなかった。
あくまでサポートとして用意された人員の活躍としては、異常な功績――なのか。
『兄さんが称えられるのは良い気分ですが、賞賛が『青』からっていうのは微妙ですね』
壁の外の人間に関心を示さない『青』。今回もそのほとんどが戦闘に参加しなかった『青』。
彼らの役目では無いのだとしても、妹が気を良くしないのは頷ける話だった。
「こらぁ勲章もんだぜお前ら」
「勲章……」
「勲功を称え、記章を授けるというものだ。わたしも、きみ達はそれに値すると考える。こちらの方からも推挙しよう」
ヘリオドールの言葉に、目に見えて喜ぶ者はいなかった。
マイカもネアもチョコもモカも、パートナーを心配している。
『勲章っていっても、あんなのただの飾りですからね。喜ぶのは箔とか気にする自称名家の連中くらいでしょう』
「報奨金も出んぞ」
『ひゃっほー! あいす食べましょうあいす! みんなにも一度食べさせてあげたかったんです!』
妹がはしゃいでいる。
だがこれが空元気であることくらい、ヤクモには分かった。
落ち込んでいるとヤクモに心配をかけるから、明るく努めているのだ。
「英雄を死なせるわけにゃいかんからな、治療も完璧にすんだろうさ。だからしけた面を見せんな。堂々としてろよガキ共。お前らは今日、人類領域を救ったんだ」
ミヤビの言葉に、俯いていた少女たちが顔を上げる。
「そうだ。前を向け。胸を張れ。お前らも倒れた奴らも、特別なことをしたんだ。どんなもんだと自慢くらいしねぇでどうする」
がこん、と昇降機が揺れる。
到着。
万雷の拍手が、ヤクモ達を迎えた。
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