第44話◇銀色




「ぅんっ、ふぅ、ぅんっ、ぬぁあ……」


 女性の喘ぐような声。


 力を入れて、もたなくなって息を吐き、でもすぐに力を入れねばならず、だんだん苦しくなる。


 車輪を取り付けた椅子だ。車椅子、というらしい。誰かが押して進めるようにか、後部に取手もついている。足腰が不自由である者が使うと聞いていた。


 少女だ。銀の長髪。柔和な笑みがよく似合いそうな、優しげな顔つきをしている。


 すろーぷ――高低差を段差ではなく斜面によって行き来出来るようにしたもの――に差し掛かった少女は、されどそれを上りきるだけの力が無いのか、少し上っては手すりに縋り付き、息を整えてから再度上る、というのを繰り返していた。


 これでは彼女が学舎に戻るのはいつになるか。


 放っておくことも出来ないので「手伝いますよ」と声を掛けた。


「えぇ……? ほ、ほんとですか……ぁ。た、助かります~」


 手すりにしがみついた女性がどうにかこちらを向き、微笑む。


 たゆんたゆんと、豊満な胸部が揺れ動く。

 汗で額に貼り付く前髪、上気した肌、綻ぶような笑顔。魅力的な女性だ。


「あらぁ~、あなたもしかして、ヤクモさんかしら~」


「えぇ、おそらくそのヤクモかと。ヤマト民族でもよければ、手を貸しますよ」


「うふふ、救いの手を差し伸べてくれる人の髪色や瞳の色を気にする程、余裕はないですよ~。も、もうさっきから、二の腕と指がぷるぷるしてきて」


「今行きます!」


「わ、た、し、が! 手伝います。兄さんは下がっていてください」


 妹がグワーっとダッシュし、車椅子を支える。


「ありがとうございます~。ご兄妹揃ってお優しいんですね~」


「えぇ、うちの兄に色目を使わない限りは、わたしは優しい少女ですよ」


「もう、そんなことを言って~。観戦者の視線が集中する中で愛の告白をした殿方ですよ? あなた以外瞳に映っていないに決まっているじゃないですか~」


 ぴくりと、妹の耳が動く。


「ほ、ほう? あなたはとても良いことを言いますね? 仲良くなれそうです」


「ほんとですかぁ? 私友達少ないので、嬉しいです~」


「えぇ、あなたは許せる巨乳です。これはとても名誉なことですよ。感謝してもいいです」


「わぁ、ありがとうございます~」


「素直で大変よろしい」


 一瞬で打ち解けたようだ。


「あなた、《偽紅鏡グリマー》ですか?」


 車椅子で戦う領域守護者というのはイメージし辛いからか、妹はそう予想した。《偽紅鏡グリマー》ならば戦闘中は武器となる。


「えぇ、そうなんですよ~。あ、首輪をつけていないのは、弟がつけなくていいって言ってくれてですねぇ。そう、実は私達も姉弟きょうだいで組んでいるんです。お揃いですね~」


「ほうほう? あなた達も禁断の愛に燃えし者なのですか?」


 妹が同志を見つけたことを喜ぶように瞳を輝かせる。


「あ、いえ、うちは血が繋がっているので~」


「まさしく禁断ですね……剛の者とお見受けしました」


 感服したとばかりに頷くアサヒと、困惑気味の少女。


「……あの~?」


 すろーぷを上りきり、学舎の中へ。


「確か、階段とは反対側がスロープでしたか。いつもは弟さんが?」


「あ、はい~。そうなんですけど、少し風紀委の執務室に用事があるとかで~」


「風紀委?」


「委員だとか、そういうことではないんですけどねぇ。あ、そういえばお二人も風紀委に入られたとか~。なら話は聞いていたりするのでしょうか~」


 ヤクモは読み書きも苦労する程で、事務的な仕事をこなせない。そういったことも考慮されて、気を遣われている感があった。代わりにアサヒは重用されていて、兄としては誇らしいと共に自分が情けない。


「そういえば、謹慎処分中だった訓練生が今日から戻ってくるとか。なんでも二十位の《導燈者イグナイター》を互いに武器無しとはいえボッコボコにした問題児らしいですね」


 ネフレンや、まだ見ぬ風紀委の一組といい、この学舎は謹慎処分にされる生徒が多すぎやしないかと思うヤクモだった。

 誰もが力を持つ以上、衝突の規模が大きくなった結果……なのかもしれない。


「…………本当に申し訳ないです。それ、私の弟の仕業で……。で、でも本当にいい子なんです!」


「二十位は全治三ヶ月の重傷で、今回の予選は不参加だとか」


「……いい子なんです~嘘じゃないんです~。私には分かるんですよぉ~」


 およよ、と泣きそうになりながら少女は懸命にフォローしようとしている。


「何があろうと弟を信じるとは……くぅ、愛ですね!」


 どうやら妹は説得されてしまったらしい。


「ところであなたをなんとお呼びすれば?」 


 今更ながら名前を聞いていないことに気づく。

 少女は自己紹介に移った。


「申し遅れました~。私、ネア=アイアンローズと言います、以後お見知りおきを~」


 ヤクモはその名字に聞き覚えがあった。

 確か――。


「オイ、姉貴に何してやがるッ!」


 廊下の向こう側から駆け出す少年。逆だった銀髪に、鋭い眼光。姉弟であるのはなんとなく分かるが、印象が真逆だった。


「スペくん! やめなさい!」


「っ」


 ヤクモに掴みかかる寸前で、少年は止まる。


「……姉貴、待ってろって言っただろ。勝手に消えんじゃねぇよ」


「心配させてごめんね。でもお姉ちゃんはお姉ちゃんなんですよ? 自分のことは自分で出来ます」


「そういうのはスロープを自力で上り下り出来るようになってから言え」


「も、もうすぐなんだから……! 今日だってあと少しだったのよ? ね? そうですよねお二人とも~。私、頑張りましたよね~?」


 弟とそれ以外では態度が少し変わるようだ。

 アサヒがとん、と少年の肩に手を置く。


「お姉さんを心配していたのですね。兄さんに掴みかかろうとした大罪も、あなたの姉に免じて今日のところは許しましょう」


「あ? なんだテメェ」


「よろしく、スペキュライト=アイアンローズくん。僕はヤクモ=トオミネ。そして君がテメェなんて呼んだのは、妹のアサヒだ」


 少年の視線がヤクモを向く。


「夜鴉兄妹か。チッ……姉貴が世話んなったな」


 少年は意外にも素直に頭を下げた。

 彼の言う夜鴉というフレーズには、一切の悪意が無い。


 だからヤクモも、敢えて訂正を求めはしなかった。


「気を悪くしたんなら詫びるぜ。テメェの妹にゃ何の恨みもねぇし、馬鹿な姉貴を運ばせちまったことの礼はいずれする」


「スペくん! お姉ちゃんを馬鹿だなんて言わないで! 寂しいよ!?」


 涙目で訴えかける姉を無視して、スペキュライトは言う。


「だがな、馴れ合うつもりはねぇぞ。オレとテメェらは、敵なんだ」


 そう。


 第三十九位・《魔弾》スペキュライト=アイアンローズ。


 彼とその姉であるネアは、ランク保持者。

 このまま行けば、ヤクモの二回戦の相手になる領域守護者だった。



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