第二章

ファイアスターター

第43話◇導火




 トルマリンとの試合に勝利してから数日後。


 四組織各四十名、合計百六十名が関わる予選ということもあり、試合と試合の間隔はそれなりに開く。


 そして、それでも大抵の訓練生には無関係なこと。時間帯は放課後。

 通常授業は変わらず行われるわけだ。


 もはや定位置となった昼食場所の木陰で、ヤクモは幹に背を預けて天を向く。


 以前ラピスが言っていたように、葉擦れの音が心地良い。ささ、ささ、と風に揺れる葉も、たわむ枝も、人を無心に導く何かがある。


「人間って……怖いね」


 ヤクモはしみじみと呟く。

 ヤクモの身辺は劇的に変化していた。


 トルマリンに勝ったからだ。

 あの《無謬公》、あの第七位、魔法を使わない者同士の戦いにて、ヤクモ達が勝利した。


 それだけでなく――黒点化である。


 世界で七人しかいない《偽紅鏡グリマー》の極地。一代による進化。

 例外なく《黎明騎士デイブレイカー》の相棒となっている《黒点群》。


 魔法を持たぬアサヒを振るい、黒点化させ、第七位に逆転勝ちをした。

 加えてミヤビの弟子という噂が、彼女が応援に駆けつけたことによって真実味を帯び。


 そこへネフレンが決闘で敗北した事実、それによって彼女が《偽紅鏡グリマー》から首輪を外したこと、独断専行した彼女を魔獣の群れから救い出したというエピソードまで広まり。


 結果。


「いやぁ、俺は只者じゃないって分かってたよ」「だ、だよなぁ。ヤマト民族なのに学舎に入れるって時点で実力者なのは見抜けて当たり前」「馬鹿にしてた奴らは目が節穴だったのか、それともくだらない差別意識を捨てきれなかったのかね」「大事なのは実力だけだっていうのにな」


 《導燈者イグナイター》達の話し声が聞こえてくる。


 わざとヤクモ達に聞こえる距離で話しているのだ。自分達はあなたの敵ではないですよ、と遠回しに伝えているつもりなのだろう。


 ヤクモを媚びを売るに値する実力者と判断したらしい。


「……わたし、あいつらの顔覚えてますよ。最初に馬鹿にしてきた奴らです。手のひら返しもここまで鮮やかだと、不思議と腹も立ちませんね……いややっぱすごくイライラしてきました」


 妹はあからさまに表情を歪めて苛立たしげにサラダをむしゃむしゃ頬張っている。


「あ、あの、でも、お二人は《偽紅鏡グリマー》の希望でもあるんです。トルマリン様は元々でしたけれど、ネフレンさまはお二人との決闘を機に首輪を外されましたし、スファレさまも首輪をつけろとはおっしゃりませんでした。ヤクモさまとアサヒさまが結果を出す程に、その関係性の素晴らしさも広まることとなります。そうしたら……もっと《偽紅鏡グリマー》を人のように扱ってくれる人も、増えると思うんです」


 亜麻色の髪をした《偽紅鏡グリマー》の少女・モカが控えめに、だが強い意志を込めて言う。


 八人目の《黒点群》の出現は大きな波紋を呼び、太陽を取り戻すことを目的としているものの具体的な活動が明かされない領域守護者組織・《ひかり》の職員に検査を依頼された程だった。


 師であるミヤビ立ち会いの元、よくわからない何かに繋がれ、よくわからない数字の並びを延々と確認されたのちに解放された。


「兄さんとわたしの関係は参考にならないんじゃないですか? 唯一無二というか、ね? 兄さんっ」


 ヤクモは無視した。


「最近扱いが雑になってませんか!? わたしは悲しいですよ!?」


 彼女は彼女で流されることを前提にそういう話を振っていると、ヤクモも理解している。


「きゃあ、唯一無二ですって……羨ましいわ」「ヤクモさまの物憂げな表情も素敵!」「クールというか、黒い髪も瞳も恰好良いわよね」「ほんと、お似合いの領域守護者カップルよね」「正直混ざりたい」「何言ってるの、あぁいうのは外側から眺めるからこそ素晴らしいのよ!」「っていうか横にいる巨乳は何?」


 これは主に《偽紅鏡グリマー》達の会話だ。女性が多いのは……なんだろう。よくわからない。


 妹の機嫌が先程よりも悪くなり、思いもよらぬ方向から怒りを買ってしまったらしいモカは「はわわ……」と顔を青くしている。


「人気者ね、わたしの何もかもがもう愛おしくてたまらないと愛の告白をしてくれたヤクモ」


「してないですね」


 こんな風に喋りかけてくるのは一人しかいない。


 第九位《氷獄》ラピスラズリ=アウェインだ。


 瑠璃色の美しい髪を靡かせて、同色の瞳でヤクモを見つめる。

 柔らかい微笑。


 アサヒと反対側の、ヤクモの隣に腰を下ろし、身を寄せてくる。

 うっすらと鼻孔を擽る薫香は、彼女から漂うものか。


 少なくとも細い体から伝わる体温は、彼女自身のものだった。

 彼女はそのまま制服のシャツのボタンを一つ一つ開けていく。


「ぬわっ……!? 兄さんがわたしにぞっこんであると判明したからと言って過激な色仕掛けで釣ろうなどと小癪な! あなたは既に負けヒロイン確定なのですよ! おとなしく恋愛戦争から退場してください!」


 僅かではあるが確かな膨らみが、視界に入る。


「ヤクモ、今日はあなたに見せたいものがあるの。見てくれるかしら? 目を、逸らさないで?」


 モカは顔を真っ赤にして手で顔を覆っているが、例のごとく隙間から推移を覗き見している。


 アサヒの怒りが爆発寸前まで達し、ギャラリーからも様々な思いの渦巻いた声があがる。


「……今度は何の書類ですか」


 ボタンに手を掛けていた時から、不自然な膨らみを感じていたのだ。


 以前は弁当箱に仕込んでいた。今度は谷間らしい。

 よくもまぁ色々と考えつくものである。


「あら、動じてはくれないのね。こう見えてわたし、気絶する程緊張しているというのに」


「なら最初からしないでくださいよ」


「無理よ。だって、あなたにドキドキしてほしいもの」


「――――ぐ」


 僅かに頬を染め、恥ずかしそうに言うラピスには普段と違う魅力があった。


「兄さん? わたし、浮気は許さないタイプですよ」


 妹の刃のような声に正気に戻る。


「……書類の話を」


 ラピスは残念そうに肩を竦めたが、これ以上は引き摺らなかった。

 胸許から一枚の紙を取り出す。


「どうぞ、わたしの谷間でホカホカになった紙をあなたの指でゆっくりと広げて?」


「こざかしいのだ……!」


 アサヒがバッと紙を取り上げる。

 ヤクモも内容は気になったので、覗き込む。

 

 『第四十位・ヤクモ=トオミネ、アサヒ=トオミネ両名に以下の登録名を与える』


 そういえば、《無謬公》《金妃》《氷獄》に相当する二つ名を与えられていなかった。

 第一試合には間に合わず、無いままで戦ったのだった。


「なんですこれ、褒めてるのか貶してるのか分かりませんね」


「うぅん、僕は嫌いじゃないけどね」


「名前の価値を決めるのは、当人の実績よ。あなた達なら、それを名誉に出来る。きっとね」


「あ、あのっ、私はとっても素敵だと思います」


 改めて書類を確認する。


 ――《白夜ファイアスターター》。


 暗闇の訪れない明るい夜のごとく、世界に陽を灯す者。

 悪くない、とそう思った。



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