第42話◇たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても
後日。
師匠が寮を訪ねてきた。
「邪魔するぜ」
応対したモカは《
「お、気が利く巨乳ちゃんだねぇ。いっちょ熱いヤツを頼む」
「あなたの方が巨乳でしょう。巨乳界の魔王でしょう」
妹は相変わらず師匠があまり好きではないようだ。
「あの、姉さんは確かに無遠慮で不必要に巨乳ですが、あなたにそれを悪しざまに言う権利がお有りなのですか、アサヒさん」
今日は人間の姿だからか、チヨが口を開く。
「はい? わたしはわたしの言いたい時に言いたいことを言うだけです。そして兄さん以外にそれを窘める権利はありません」
「あなたの言動が、あなたの最も愛するヤクモさんの品格を下げているということにお気づきでないのなら、その哀れさに涙さえ出てしまいそうです」
「勝手に泣いてればいいでしょう。そもそも先に巨乳うんぬん口にしたのはあなたの姉の方ですが?」
「わたしが窘めるつもりでおりました。それをあなたが不躾かつ無礼にも文句を垂れて……」
「自分の姉が大事なら、わたしなんかに先を越されなければいいのでは?」
「……ほう、黒点化したとはいえ、わたしに宣戦布告ですか?」
「好きに受け取ればいいでしょう。そもそも貧乳なぞ眼中にありませんけど」
「あなたの方が小さいです」
「いいえ、わたしの方が大きいです。何故なら兄さんが揉んでくれてるから」
「甘いですね。姉さんがわたしの胸を揉んでないとでも?」
ヤクモとミヤビは同時に反応した。
「いや、触れてすらないよね」
「毎日揉んでる割にゃあ、でかくならねぇよなぁ」
……どうやら師匠達はそういうことをしているらしい。冗談かもしれないが。
「姉さん、希望を持ち続けることこそが重要です。希望を持ち続けること以外に、姉さんに取り柄らしい取り柄は無いのですから」
「ひっでぇこと言うねぇお前は。まぁいいや、ほら来い」
ミヤビに言われると、チヨは大人しくその隣に腰掛けた。ソファの上。
ヤクモとアサヒも座る。座面と背面の柔らかさが、まだ慣れない。
「今日はどうしたんです? 師匠はお忙しいでしょう」
「んぁ? あぁ、そうさな。お前らに話があってよ」
モカが運んできてくれた茶をずずっと啜ってから、ミヤビは続けた。
「まずは一つ、謝んねぇとな」
「謝る?」
「お前さん達の家族が傷ついた件、あたしの所為だろ」
「違うでしょう。師匠が全力を尽くしてあの場所を確保してくれたことくらい、ちゃんと分かってます。『赤』だって手配してた。遅くなっただけで、ちゃんと来てもくれました」
「だが、お前達に説明してなかった。こういうことが起きるかもしれんってな具合に、警告は出来たんだ。でもしなかった。それを謝る。すまなかったな」
意味がわからず、兄妹は首を傾げる。
「どういう意味ですか」
「怒りがな、欲しかったんだ。お前達の怒りが。あたしが警告してたら、お前らは
『師匠が警告してくれたのに防げなかった』っていう具合に自分達を責めるだろう? だが言わなかったら、素直に理不尽をこそ憎む。お前達の優しさが邪魔でな、敢えて言わなかった」
なんとなく、言っていることは分かる。
どちらにしろ、学舎での授業や任務がある以上、あの手の被害は防げなかっただろう。
それでも、事前に危険を知らされていたら、その上で守れなかったことをヤクモは悔いた筈だ。
知らされていなかったから、ただ起きた現実の理不尽さに怒りを抱いた。
その怒りが欲しかった。
その理由が分からず、ヤクモ達は答えを待つ。
彼女はカタン、と湯呑みを置いて、至極真面目な顔で、言った。
「あたしはな、魔王を殺したいんだ」
「――――」
それは、数百年も前の、隆盛を誇った人類ですら叶わなかった大敵。
夜の世界を成立させた諸悪の根源。
「街の人間を見たか? あいつらの中に、誰か一人でも危機感を持って生きているやつがいたか? 貧民街の奴らの中に、壁の外へ送られること以外に怯えてる奴がいたか? 世界は緩やかに破滅に向かってるっていうのに、裕福な奴はヘラヘラ笑い、貧乏な奴は呪う先を必死に探してる。なんでだか分かるか?」
「……現実を知らないから」
「いいや、現実を受け止められないからだ。説明なら何度もしてる。誰かが繰り返し繰り返しな。でもあいつらは変わらない。底なし沼に沈みながら、いつか呼吸さえ出来なくなるまで目を逸らす」
「どうして」
「どうすればいいか分からないから。真剣に考えるほど自分の無能さを突きつけられるんだ、そりゃあ誰も進んで向かい合いたくなんかねぇだろうよ。気持ちは分かるし馬鹿にもしねぇ。ただ、あたしには要らない。あたしが欲しいのは、恐怖を知り、恐怖に震え、それでもなお恐怖に屈しない人間」
師匠があの日、自分達に手を差し伸べてくれた本当の理由。
同胞を善意で救ったというだけでなく、目的があったのだ。
「でも、それだけなら」
「それだけなら、いくらでもいる? おいおい言ったろ? あたしは魔王を殺したいんだ。今言った条件に当てはまるだけで、あたしの目的についてきてくれると思うか?」
魔王を、殺す。
世界に太陽を、月を、満点の星空を、再びと。
「領域守護者やってるだけで勝ち組なんだよ。『青』の奴らを見ろ、壁の内でへらへら笑ってんのに高給とりだ。『赤』は治安の維持にしか興味がねぇし、『光』の連中は秘密主義。恐怖に屈しない強者が、世界を取り戻したがってるとは限らない」
「…………あっ」
この日々が続くことで充分に得をする人間達は、自分達が生きている間に幸福を享受出来る人間達は、自分達以降の世代の為に夜を終わらせようとは――考えないのか。
「そうだ! 恐怖を知り、恐怖に震え、それでもなお恐怖に屈しない! そして、哀れな境遇に在りながら自身を哀れまない! 理不尽に怒り、立ち向かわんとする強者しかあたしには共感しない!」
彼女は、ずっと探していたのだ。
自分と共に魔王を斬るのだと言ってくれる、何者かを。
「お前らは最適だった! お前らには戦う理由がある! 考えてもみろ、魔王が死ねばやつの魔法は解ける。日がまた昇る! 分かるか! 夜が明けるんだ!」
「……夜が、明ける」
鳥肌が立っていた。魂を直接掴まれ、揺さぶられているようだった。
「ヤマト民族が差別されるのは何故だ! 後付の理由を無視すりゃあ、一つだ! 魔力でしか動かない太陽に、魔力を与えられないからだろう! じゃあ、本物の太陽が蘇ればどうなる!」
「魔力税は……意味を失う?」
「誰もがただ、人となる! お前の家族も、お前も、魔力炉性能によって差別される全ての人間が解放される! 世界に日中という概念が復活し、人類領域は壁の外へと広がる!」
「でも、魔王なんて、そんなの」
「あぁ、途方もない話さ! ついてきてくれるやつも少ない! でもあたしはやるぞ。立ちはだかる全てを斬り伏せ、世界に太陽を取り戻す!」
考えていた。
優勝のメリットは、即座にプロの領域守護者になれるというもの。
更には、師が言っていた。裏の賭け試合。これから先、ミヤビは稼いだ金の全てをヤクモに賭ける。
トルマリンに勝ったことで、既に相当な金額になっているそれを、二回戦でも全額。
本戦で優勝する頃には、それこそ家族を一生養えるだけの額になっているだろう。
でも、だ。
それで、本当に家族は幸せだろうか?
場所を治安の良い場所に移しても、みんなヤマト民族を夜鴉だと見下しているのに。
汚らわしい存在だと見下しているのに。
世界は変えられないと、そう思っていた。
だから変えられる全てで、大好きなみんなを幸せにしたかった。
変えられるのか。
世界は、変えられるものに含まれるのか
「付き合えよ、トオミネ兄妹。雪の色をしたお前らは、夜を切る為に立ち上がったんだろう?」
そうか。自分達は、この為に――。
「世界に
雪色夜切・赫焉は、避けられぬを避け、抗えぬに抗い、斬れぬを斬る。
理不尽を、不条理を、傲慢を、差別を、不可能を。
そしてこれより先は――明けぬ夜をこそ、斬るために。
「じゃあ、優勝っていう条件はなんだったんです? 修行とでも?」
「まぁな。それによ、その程度のことも出来ない奴なんざ、どうせ役に立たねぇだろ」
なんてスパルタ。
笑ってしまう。
「アサヒ」
「はい、兄さん」
ヤクモは迷わず口にする。
「僕と一緒に、夜を斬ってくれるかな」
アサヒは迷わず頷いた。
「もちろんです。
その時もやはり、何者も知る由もなかった。
最弱の剣士が、やがて夜を切り開くことになるなどとは。
それでも、互いだけはそれを信じていた。
師だけはそうなることを望んでいた。
そして二人は、この先も戦い続ける。
いつか世界に、太陽を取り戻すまで。
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