第41話◇相愛




「ぬふっ」


 妹が気持ち悪い声を出した。


「ぬっふっふ」


 試合後のことである。

 選手用の通用口から退場している最中、妹の変化は始まった。


 一つはこの気持ち悪い笑い声。一つはデレデレに蕩けきった表情。もう一つはがっちりとヤクモの腕に絡みついた腕だ。


「……アサヒ?」


「なぁに? 夜雲くんっ」


 これはもしや、とヤクモは思う。


 いつもの彼女を妹モードとすると、これは少女モードとでも言おうか。


 ヤクモを一人の少年として捉えている時のアサヒだ。

 普段は怒っている時か拗ねている時しか出てこないのに。


 それか非常時……例えば、先程の試合のとある場面とかでなければ、彼女はヤクモの妹であろうとする。


「えぇと、歩き辛いから離れてほしいんだけど」


「ほんと?」


「え、うん」


「ほんとはくっついていたいんじゃないのかな?」


 ぞわわ、と悪寒が走る。

 こんな表現、アサヒに適用したくはないのだが、これは家族が家族に向ける目ではない。


 こう、異性を見る目だ。それも多分、意中の人を見る目。


 自分のあれは、確かに告白にも聞こえただろう。というか、告白で合ってはいる。

 けどそれは本音の吐露ではあっても、関係性の変化を促す言葉というつもりではなかった。


「アサヒ。あのね、さっき言ったことは全て、間違いなく僕の本音だよ」


「うんっ」


 頬を上気させ、彼女の瞳は水気を帯びている。

 それはもうこの上なく愛らしいが、ヤクモは揺らぐ心を押さえつけた。


「だけど、だ。アサヒ、僕はやっぱり、きみの兄でいたいな」


 妹は片頬をぷっくり膨らませる。


「妹は妹でも義理だから、結ばれることになんの問題も無いんですけど」


「うん。そうかもしれない。けど、どうしても僕は、色恋とかを考えられそうにないんだ。そのことに悩んだりすれば、剣が鈍ると思う。僕が器用じゃないのは、アサヒも知ってるだろう?」


「むぅ……!」


 アサヒはもどかしそうな、それでいて理解はしているような、さりとてやはり納得などはしてやらぬぞとばかりに表情を変化させ、ぐっと身を寄せてきた。


「……じゃあ、いつまで我慢すれば、いいですか?」


 消え入りそうな声で、上目遣いに、彼女は言う。


 ヤクモは咄嗟に顔を逸した。


 だって、こんなのはずるい。

 直視すれば、途端に虜にされてしまいそうな。


 そんな引力が、今のアサヒにはあった。

 ヤクモは考える。いつまで? いつまでって、それは。


 だが確かに、今後ずっとなどとは、言えないだろう。

 自分はこれから先も彼女以外の《偽紅鏡グリマー》と組むつもりはない。


 だが妹は永遠に我慢は、出来ない。

 多分、ヤクモも。


「優勝するまで、とか?」


 言ってしまった。

 それは、途方もない目標だった。


 七位のトルマリンに、ヤクモは実質一度敗北している。

 順位問わず、参加者は軒並み天才で、同時に努力家だ。


 それが両立する人間しか、ランク保持者にはなれない。


 その枠を決闘などというもので常識外に獲得した兄妹は、残念ながら世界の最底辺に位置する無能二名。

 それでも、アサヒは。


「やったー!」


 瞳をキラーンと輝かせた。


「言質、取りましたからね?」


 悪戯っぽく笑い、より強くヤクモにしがみつく。


 疑っていないのだ。

 ほんの僅かも、自分達の勝利を。


「早く決勝戦になりませんかね?」


「まだ予選を一回勝っただけだからね……」


「大丈夫ですよ。わたし達なら!」


「……アサヒの妹さんとだって、あたるよ」


 もう、妹の顔に翳りが差すことはなかった。

 彼女は、晴れやかに笑う。


「うん。でも、わたしは魔法を搭載していないから捨てられて、それが無ければきみには出逢えなかったから。もういいの」


 欠点を理由に、理想の人生を送れないことはある。

 だが、欠点を抱えて生きていたからこそ、巡り会えた縁というものもあるのだ。


 その一つがもし、欠点を愛してしまえるくらい、特別なものだったら?


「……僕も、アサヒやみんなに出逢えたから、自分が無能で良かったと思えるよ」


 ヤマト民族であることを呪ったことだけはない。

 そのおかげで手に入ったものの尊さは、理不尽程度に屈する程やわくないから。


「ぬふふ」


「その笑い方、ちょっと気持ち悪いんだけど」


 今までは遠慮していたが、それが二人の溝を生んだ。

 これからもう少し、思ったことを言ってみようと思うヤクモだった。


「それを言うなら、平然と虫を食べられる兄さんも気持ち悪いです」


「栄養満点なんだけどなぁ」


「ならこの笑い方は可愛さ満点です!」


「……まぁ、感じ方は人それぞれだからね」


 ショックを受けたような顔をするアサヒ。


「やめてください! 分かりました。アサヒちゃんは兄さんの為なら変わりますとも。どんな笑い方が好みですか? 『えへへ』ですか『くすっ』ですか『あはは』ですかなんでも対応してみせますよ!」


「いや、いつものアサヒの笑い方が、一番好きだけど」


 不意を突かれたような顔の後、アサヒはだらしなく顔を弛緩させた。


「……うへへ」


「うん、それ」


「あんまり褒めないでください。夜這いしますよ」


「気をつけるよ」


「そこは更に褒めて暗に夜這いを推奨するところでしょう!」


「我慢、するんじゃなかったの?」


「わたしは、ですよ。兄さんが出来ないなら、いつでも応じる用意はあります」


「折角みんなが来てくれたんだし、夕食は一緒に摂ろうか」


「あ、ですね――じゃなくて!? 話を流さないでください!」


 ぷりぷりと怒りを露わにする妹を伴って、ヤクモは進んでいく。



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