第40話◇相思




 トルマリン=ドルバイトは、ドルバイト家の次男として生を受けた。


 三つ上の兄は優しかったし、厳格な父も尊敬していた。自分を産んだ時に母が亡くなったらしく、写真でしか見たことがなかったが、美しい人だった。


 トルマリンに《導燈者イグナイター》の適性があることが分かった時の父の喜びようを今でも覚えている。それがとても嬉しくて、誇らしかったことも。


 父は言った。必ずやお前に相応しい《偽紅鏡グリマー》を見つけてやる、と。


 父ははりきっていた。

 トルマリンは、だけど、その言葉にはピンときていなかった。


 尊敬する父の喜びに水を差したくなくて、ただ微笑んだ。


 トルマリンには、思いを寄せる少女がいた。

 当時、互いに七歳だった。マイカという少女で、庭師の老人の孫。


 彼女は祖父の仕事によくついてきた。


 庭師は代々ドルバイト家で働いていたので父からの信用も厚く、そういったことも特別に許されていた。


「トル」


 彼女が口にする、その短い音の連なりが、容易く自分の心を弾ませる。


「マイカ」


 自分の呼びかけは、どうなのだろう。どう受け取られているだろう。子供心にそんなことが気になってしまう。


 淡い黄色を織り込んだような、灰色の毛髪と瞳。大人しそうな顔をしているのに、笑う時は顔全体で楽しそうに笑う。


 ある日、裏庭で本を読んでいた時、彼女に出逢った。


 まだ花開かない蕾にそっと手を添えて、悩ましげな顔をしていたその子に、トルマリンは一瞬で目を奪われた。


 それが出逢い。

 その日を機に、トルマリンは彼女とよく喋るようになった。


「へー、トルは《導燈者イグナイター》になるんだねぇ」


「祖父も、父さんも、兄さんもだったから。僕も適性があってよかった」


「そうなの?」


「え? うん。そりゃあ、一族代々そうだったわけだし、それに……がっかりは、させたくない」


 父は喜んでくれた。息子に適性があることを望んでいた。

 失望されたくはない。


「ふぅん。ぼくは、トルが《導燈者イグナイター》になれなくても、がっかりなんてしないけどな」


 そう言って、彼女はニッと笑う。


「マイカは、どうするの?」


 そう質問すると、彼女は一瞬寂しそうな顔をして、それからいつもの笑みを浮かべ直す。


「なんだろ、花屋さんとかどうかな。いけるんじゃない? ここから仕入れればタダだし」


「タダじゃないよ……もしかして盗んで売る気?」


「トルが家主になれば、くれるでしょ? ぼく達、親友じゃないか」


「親友の家の花を売ろうとしないでおくれよ。それに、僕は次男だから家は継げない」


「なんだぁ、じゃあお兄さんの方と友達になればよかったなぁ」


「君は酷いことを言うんだな」


 落ち込むトルマリンの肩を、マイカが叩く。


「なに言ってんの、冗談に決まってるじゃん。ぼく、トルのこと好きだし」


 それが、友人的な好意なのだと自分に言い聞かせても、心臓の高鳴りは止められなかった。


「……僕も、君を好ましく思っているよ」


「あんがと。……む? 閃いたんだけど、トルのお嫁さんになれば花はもらい放題?」


「この家の花を売ることを前提にするのはやめてもらっていいかい?」


 彼女との別れは、唐突だった。


 いつもみたいに楽しく話して、彼女の方が祖父と帰る。

 でも、その日は楽しい話の後に、お別れだと言われた。


「……マイカ? どういうことだい」


「いやぁ……。なんていうか、お引っ越し? みたいな」


 彼女の笑みはぎこちない。


「そんな話、聞いていない。君のお祖父様は次も来る予定だって……」


「あ、うん。おじいちゃんじゃなくて、えぇと、ぼくだけ、みたいな」


 そんなこと、あるのだろうか。トルマリンはとにかく困惑した。そんな唐突は別れは受け入れられなかった。


「そ、そんなに遠いのかい? 都市内なら、どうにかなるのではないかな。もし君が嫌でなければ、僕の方から逢いに行くよ。だから……その」


「えへへ。トルは本当にぼくが大好きなんだなぁ」


 マイカは、笑っている。泣きそうな顔で。


「理由、を。理由を言ってくれないか。こんなの、納得できない」


「いやぁ……」


 彼女は頬を掻くばかりで、答えてはくれない。


 そこへ庭師が沈痛な面持ちで彼女を迎えにくる。

 これは、単なる引っ越しなどではない。


「あぁ、まだ帰ってはいなかったか」


 父が現れた。


「貴方の孫娘は《偽紅鏡グリマー》だそうだな」


「え――」


 頭が真っ白になるトルマリンの横で、彼女が苦しそうに俯き、涙を堪えるように唇を噛んだ。


「……どこでそれを」


「それはいい。《偽紅鏡グリマー》は稀に常人同士からも生まれる。貴方もその息子夫婦も常人であることは確認済みだ。その娘だけが《偽紅鏡グリマー》なのだろう」


「も、申し訳ございません」


「謝罪は不要だ。貴方の仕事ぶりは評価している。その程度のことで信頼は揺らがんさ。隠したくなる気持ちも分からんではないしな。とにかくだ、一つ質問がある」


 庭師の老人は平身低頭して父の言葉を聞いている。


「はっ、なんでしょう……」


「その娘の搭載魔法をお聞きしたい。いや、息子の《偽紅鏡グリマー》候補を選出しているのだが、どうにも納得のいくものが見つからなくてな」


 庭師は言いにくそうに、俯いてしまう。

 やがて、掠れる声で言った。


「……ありませぬ」


「ふっ」


 その時の、父の乾いた笑みが、あまりに悍ましくて。


「そうか。それは壁外行きもやむなしであるな。では、本日もご苦労だった。失礼する」


 何事も無かったように、父は去っていく。

 マイカは、泣いていた。


「マイ、カ」


「ごめん……。い、言ったら、だって、《偽紅鏡グリマー》だってバレたら、トルに、きら、嫌われるって、思って……それは、ぜったい、ヤ、だったから……」


 理解する。

 分かってしまう。


 父の『必ずやお前に相応しい《偽紅鏡グリマー》を見つけてやる』という言葉にモヤモヤした理由。


 そういえば、父と兄が《偽紅鏡グリマー》を家で連れているのを見たことがない。


 兄は優しく、父は厳しいながらも尊敬出来る人物で。

 でも、《偽紅鏡グリマー》を道具以上には捉えていない。


「お父さんとお母さん、いなくて。おじいちゃんが、代わりに魔力税、払ってくれてて、でも……」


 庭師ももう歳だ。魔力炉は加齢と共に衰える傾向にある。領域守護者に若者が多いのはその為だ。


 とにかく、祖父は孫の魔力税を負担できなくなった。


 そして《偽紅鏡グリマー》は自分で魔力をつくる能力に欠ける。

 更には、魔法を搭載していない《偽紅鏡グリマー》だ。引き取り手などいない。


 彼女の壁外行きは免れない。


「ごめん、ずっと、きみを騙してた。ごめんね……人間のフリして、親友だなんて言ったりして、ごめんなさい」


 違う。違う。


「関係ない」


「…………トル?」


「僕は、《導燈者イグナイター》とか、《偽紅鏡グリマー》とか、常人とか! そんなどうでもいいことで君と友人になったわけじゃない! 《導燈者イグナイター》だったら君の笑顔が霞むのか! 《偽紅鏡グリマー》だったら君の優しさが嘘になるのか! 常人だったら君の美しさが損なわれるのか! 違うだろう! 全部、どうでもいいことだ!」


「と、トル。でも、でもね、ぼくは」


 トルマリンはマイカの腕を掴んで走り出す。

 父を追いかける。


「父さん!」


「……どうした、我が息子よ」


 彼は、息子と手を繋ぐ少女など瞳に映らないとばかりに、息子だけを見ている。


「僕は、この子と組みます」


「…………馬鹿を言うな。聞いただろう。魔法の無い《偽紅鏡グリマー》は真実無価値だ」


「魔法なんて、必要ありません」


「トルマリン、貴様がその娘に入れ込んでいたことは知っている。だがな、それは今後の人生と釣り合う程の価値はあるまい? 聡明なお前のことだ、すぐに分かる」


「違います、父さん。僕は父さんや兄さんとは違う。証明して見せます。魔法なんて使わなくても、僕は僕の人生を豊かに出来るのだと。ドルバイト家の名に相応しい領域守護者になれるのだと」


 父は、厳しいがトルマリンを愛してくれている。


 いくら、《偽紅鏡グリマー》を道具のように思っていても。

 それは致命的な価値観の相違ではあっても、人非人にんぴにんであるということにはならない。


「……貴様がわたしに逆らうのは、これが初めてのことだったな」


 そうかもしれない。だって、尊敬する父の言うことは全て正しいと、自分が思っていたから。

 でも、これからは違う。全て、自分で考えねば。


「結果を出せ」


 それから、トルマリンは死に物狂いで努力した。


 マイカと自分がパートナーでいる為には、魔力操作だけで周囲と渡り合わなければならなかった。


 そして、彼は《無謬公》と言われるまでになっていた。

 でもいつからだろう。


 マイカが、笑わなくなっていた。


 ◇


 選手用通用口の中を、二人は歩いて行く。


「済まない、マイカ」


 トルマリンの活躍は、父を満足させるものだった。


 誰もマイカが魔法を搭載していないとは知らない。

 使わずして、トルマリンは学内ランク第七位にまで上り詰めた。


 マイカを魔法無しと嘲笑う者もいない。

 でも、去年のことだ。


 本戦までは魔法無しで勝てた。

 だが、本戦に出てくるのは誰もが予選を突破した真の実力者達。


 負けたトルマリンに対し、こんな疑問を抱く者は大勢居た。

 どうして彼は、追い詰められても魔法を使わないんだ?


 父にも言われてしまった。


「魔法があれば勝てたかもしれないという状況は、魔法は必要ないと宣ったお前の発言と矛盾するのではないか」


 と。

 その通りだ。


 必要ないと言うからには、それ無しに完璧でなければならない。

 なのに。


 眩しかった。遠峰兄妹が。


 魔法無しであることを隠しもせず、正面から貶されれば果敢に立ち向かい、嘲笑を実力で黙らせる。

 なんて、恰好良いのだろう。


 彼には魔力さえ無い。自分にはあった魔力操作能力さえ、無いのだ。


 それなのに、彼は自分の《偽紅鏡グリマー》をそれでも誇り、ただのカタナでしかない妹を最高だと迷わず言い切り、そして結果を出した。


 黒点化さえ、羨む気持ちも湧いてこない。

 進化に条件があるとすれば、それは必要であること。それを迫られること。


 彼らは心を交わし、状況を再認識し、適応したのだ。

 自分も、そうしていたつもりなのに。


 違ったのだと、気づいてしまった。


 気づいて、それでも彼らに勝つことができれば、正しいのだと証明出来ると思った。


 出来なかった。


「わたしは、間違えたのかな」


「……それ、ぼくに訊いてるの?」


 成長して大人びたマイカは、笑わなくなったことで見た目相応のおとなしい少女になった。


「わたしは、ただ、君が壁の外へ行くのが嫌だった。父がしたように、誰かが君を笑うなんて嫌だった。その為に、自分は強くなった……筈、なのに」


「トルは、さ」


 今でも彼女は、自分をそう呼んでくれる。それは喜ばしいことの筈なのに、笑みが伴っていないだけで、悲しくも響く。


「トルは、あの兄妹をずっと『君たち』って呼んでたよね。でも、自分のことは『わたし』だった。戦ってる時も、ずっと」


「――――」


 無自覚、だった。

 でも、それがどれだけ彼女を傷つけていたかは、分かる。


「あぁ、トルは独りで戦っているんだな、ってぼくは聞くたびに思ったよ。ねぇ、トル。ぼくは不思議でならないんだ。どう考えても、ぼくは足手まといだ。幼い頃の親友というだけで、きみはいつまでそれを抱えていてくれるかな? ぼくはこれから先いつまで、きみに不要とされる未来に怯えて生きればいいのかな」


 勝てなくて、当然だった。

 誰よりもパートナーを蔑ろにしていたのは、自分だ。


 集中する為に、戦闘中は基本的に構えることすらせず。

 魔力防壁と魔力攻撃によって全てを完了する為に、必要とさえしていない。


 彼女に己の価値を疑わせたのは、他ならぬトルマリンだ。

 伝えているつもりで、結局彼女を不安にさせているだけだった。


 それは、笑みも消えるというものだ。

 こんなの、楽しくもなんともない。


「わたしの気持ちは、昔と何も変わっていないよ」


 伝えなければ。

 あの兄妹でさえ、そうしなければ互いを真に理解し合うことが出来なかったのだから。


「……気持ちって、なんの気持ちのこと?」


「他の領域守護者には笑われるかもしれない。恥知らずと、誹られるかもしれない。でも、僕はただ、君と離れたくない一心で戦っている。これから先も、ずっとそれは変わらない」


 マイカは、あの日見せたものとどこか近い、泣き顔をする。


「でも、トルの接続可能窩ソケットは四でしょ。ぼく以外の《偽紅鏡グリマー》だって、使える筈じゃないか」


「……それに関しては、ヤクモと同じ理由だ、と言っておこうかな」


 マイカは頬を膨らませた。


「なにそれ……他の男の言葉を借りないで、トルの言葉で言っておくれよ」


 あぁ、まったくヤクモは凄い。アサヒもだ。

 だって、本音を晒すのはこんなにも、恥ずかしい。


「わたしは……いや、僕はね、マイカ。君のことが――」


 トルマリンは気持ちを伝える。


 そして、マイカは実に九年ぶりに、顔全体をくしゃっとさせる、あの魅力的な笑みを浮かべた。


 トルマリンの耳元に唇を近づけ、囁く。


「ぼくもだよ」


 言って、走り出してしまう。


「……あぁ、ダメだな」


 父に小言を言われるだろうし、他の者達はまた噂するだろう。

 でも、そんなことがどうでもいいと思えてしまう。


 負けたのに。

 心はこんなに晴れやかで。

 心臓はこんなにも、跳ねている。



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