第34話◇攻防
魔力操作の感覚を常人に説明するのは難しい。
そもそもヤクモは才能が無い以前に魔力がほとんど無いから、鍛える意義も見いだせなかった感覚だ。
それでも他の者に訊いてみたところによると、これがバラバラだった。
スファレは手足のように『魔力』という部位を動かすイメージだと言うし、ラピスは自分の意識を体の外へ広げるイメージだと言うし、ネフレンは未来へ想いを馳せるようにただ結果を想像すればいいと言っていた。
そして、トルマリンはこう言っていた。
何かにたとえるようなものでは無い、と。
手を動かす感覚を、他のことにたとえて説明する必要なんて考えつかないのと同じ。
彼にとって最早、それは当たり前のことで。
他者の疑問に応えるだけのたとえさえ、思い浮かばない程のことなのだ。
『
妹の声がした時には、ヤクモは既に刃を振るっていた。
正面を向いた構えから手首を捻ねり、半円を描くように天を斬りつける。
上空から二人を押しつぶす勢いで落ちてきた魔力の塊が、弾けて消える。
『
跳ねるように、膝を曲げる。
足首のあった位置を魔力の刃が通り過ぎていった。
滞空時間は一瞬に調整していたが、トルマリンはその隙さえ見逃さない。
四方から壁が迫っていた。
足はまだ地面に接してすらいないが、その頃には押しつぶされているだろう。
『――っ。
空中にあっても体は動く。迫る防壁、正面のものの綻びを探す。破壊出来る程のものはない。だが穴はあった。刺突。鋒が突き刺さる。だがそれだけ。それ以上は刺さらない。だからこそ狙った。
無理に押し込もうとすれば、反動でヤクモの体が流れる。後方へ。膝を曲げた状態で壁面に着地、ヤクモを押しつぶさんとする勢いを利用し斜め上方へ跳躍。
その際、刃を抜くのも忘れない。
四方は囲まれたが、トルマリンは蓋をしなかった。
ならば、そこから脱すればいいという理屈。
正面の防壁を飛び越えることに成功。
だが、それさえもトルマリンは見越していたようだ。
今度は上下左右余すところなく、壁だ。
仮にそれを突破しても、その奥には魔力で編まれた槍がこれもまた全方位に構えている。
大きな跳躍によって、ヤクモの足元にも魔力の壁を作るだけのスペースが出来てしまった。
敵が最善手を打ったところで、即座に次の最善手を迫る怒涛の魔力攻撃。
刹那の遅延が致命となる。
『
だからヤクモも既に、次に来る防壁へと意識を移していた。
落下の勢いをも利用して、綻びを斬る。
彼はわざと用意していたに違いない。ヤクモがそれを斬って防壁を一枚消そうが、その一振りと引き換えに槍がヤクモが貫く確信があるのだ。
だが、彼の予想は外れることになる。
「――――」
驚いたのが、気配で分かった。
魔力防壁は、例えるならば水の入った袋だ。
小さな穴なら、滲むように漏れよう。
大きな切れ込みなら、溢れ出る水によって裂け目が広がることもあろう。
何かに叩きつけられれば、袋ごと弾けることだってあるだろう。
ヤクモ達のやっていることは、そういうことだ。
そしてその技術は、十年を経て研ぎ澄まされている。
袋にどのような切れ込みを入れれば、どのように水が噴き出すかなど経験から導き出せる。
ヤクモが斬った後も、魔力防壁は消えなかった。
足元の防壁に着地し、ヤクモはただ立っていた。
壁同士が隙間を埋めるように繋がり、兄妹は閉じ込められた形だ。
槍の動きも止まらない。
全方向から、兄妹は串刺しになるだろう。
魔力は、自分の魔力を防がない。
故に通り抜けるようにして槍が壁を透過し、故にヤクモ達の策は嵌った。
魔力は自分の魔力を防がないが、壁同士が繋がるように束ねることは出来る。
透過するだけで、干渉はしているということだ。
今にも弾けそうな切れ込みを入れた袋に、無理に大量の水を流し込めばどうなる?
「弾けろ」
水泡のように、壁も槍も全てが散る。
今度こそ着地し、ヤクモは駆け出した。
「……素晴らしいよヤクモ。よくもカタナ一本でここまで…………」
素晴らしい。それはこちらの台詞だった。
スファレのたとえを借りて、魔力操作が手足を動かすに等しいとしよう。
ならば、彼にはどれだけの腕がある? どれだけの脚がある?
それぞれを個別に動かし、動かしつつ次の策を用意し、それが破られた場合の策を用意する。
そんな芸当が出来る者が、どれだけいるだろう。
プロを含めたところでそう多くはいまい。
謎だった。
ヤクモには魔法が無い。故に剣の腕と肉体を鍛えた。
じゃあ、彼は何故魔力操作をこの域まで鍛えた?
ヤクモとトルマリンの一瞬の攻防が理解出来た者は、観客席の中にもほとんどいないに違いない。
トルマリンはとても凄いことが出来るのに、その凄さは目に見えない。
認められ辛い努力をするには、理由がある筈。
いや。
今はそれを考える時ではない。
『魔力防壁の展開を確認』
ヤクモの到達を防ぐには妥当な選択。
だが、何かがおかしかった。
『展開数…………一です』
そこから増える気配が無いのだ。
ヤクモ達の技を目の当たりにしたなら、ネフレンの時のように多重展開を選択するものと思っていた。
それが一枚だけ。
一枚斬れば、再展開までにはかなりの距離を詰められる。
それが分からないトルマリンではないだろう。
分かっていて、一枚で充分だと考えているのか。
「君たちは紛れもなく、最高の剣士だ。だが、我々は領域守護者候補なんだ。済まない、ヤクモ。君の剣戟は――わたしには届かない」
迫る。
魔力防壁がヤクモ達に向かって急速に広がる。
『………………兄さん、ダメです。これは』
トルマリンは、あくまで魔力攻撃で戦おうとした。
そしてヤクモ達はそれを打ち破ったのだ。
だから彼は、自分がやりたくなかったであろう手段を執った。
《無謬公》は類稀なる魔力操作能力の持ち主。
あぁ、そうだ。そう聞いていた。
だが、これ程とは。
彼は巨大な魔力防壁を急速に広げている。
このまま激突すれば、ヤクモ達は壁に叩きつけられ、身動きがとれなくなるだろう。
なにものも綻びと無縁ではいられない。
だが、そう。
綻びの位置によっては、手が届かない。
あまりに当たり前の帰結。
そこまで、トルマリンは操れる。
彼の魔力防壁にも綻びはあった。
トルマリンの
だがフィールドを埋め尽くす勢いで迫るそれを避けながら後方へ回る手段は――無い。
『そんな……兄さん!』
激突の直前、ヤクモは衝撃を殺すように後方へ跳んだ。
その程度のことが、ヤクモに許された最善手だった。
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