第35話◇現実




 防壁に弾き飛ばされながらもヤクモは思考を巡らせる。


 だが、どれだけ考えても、フィールドの反対側にある綻びを斬る方法は――思い浮かばない。


「カッ……!?」


 壁面に叩きつけられた。

 悲鳴が聞こえたような気がした。


 脳内に響く妹の声か、応援に来てくれた家族の声か。

 口から臓腑が飛び出たかと錯覚する程の衝撃。


 そして、その衝撃を逃がすことさえ許さない防壁の圧力。

 まるで、磔にされているような体勢だった。


 それでも、右手の愛刀だけは手放さない。

 トルマリンが近づいてくる。


 魔力防壁がめりこまないあたり、設定を変えているらしい。通常は術者の移動に合わせて防壁も移動するからだ。


 場外判定はフィールド外、つまり観客席などに及んだ場合に限る。

 壁面に背を預けようと、敗北とはならない。


 だが、これは……。


「棄権してくれ、ヤクモ」


 トルマリンが悲しげに言う。


「ふざけるな……!」


 怒りの滲んだその叫びは、誰に向けられたものか。

 トルマリンか、それとも自分にか。


『どうしよう……このままじゃ兄さんが……でも……どうにも……っ……わたしじゃ、なにも……』


 妹の声が震えている。


 違う。彼女は何も悪くない。

 自分が。自分が……。


「君の生き方は、眩しいよ。朝のこないこの世界に在ってなお、燦然と輝いている。君のような人間を、昔なら太陽にたとえたのだろうな」


 トルマリンが、目の前にいる。

 刃の圏内に立っている。


 ――いるのに……ッ!


 それを振るうことすら、ヤクモには出来ない。

 だからといって、諦められるものか。


「ッッッッ……!」


『! ダメです兄さん! 無理に動こうとしないで!』


「ヤクモ。やめてくれ。実力は覆らない。勝てない戦いはあるんだ。それは仕方のないことで、受け入れるしかないんだよ。現実という、壁の存在をね」


「そんなこと、出来るわけがない」


「可不可の問題ではないさ。そういうものだというだけ」


「知ったことか! 僕らは覆らないものを覆すしかない! 勝てない戦いに勝つしかない! 負けて仕方ない戦いなんてない!」


「……それは、理想ですらないよ。支離滅裂な妄想だ」


「違うッ! これは意志だ! 決意だ! 覚悟だ! ヤマトの戦士は決して折れない! 決して諦めない! だから! 必ず目的を達するんだ!」


「言霊、というのだったかな。効果があるとは思えないけど」


 無いわけが無い。

 自分がどれだけ、家族の言葉に救われたことか。どれだけ力をもらったことか。


「勝敗は決している。君が棄権しないなら、意識を失うまで攻撃しなければならない。最悪死も有り得るんだ。冷静になってほしい。これは、命を懸ける程のことじゃあないだろう」


「――――ッ」


 それは、トルマリンにとってはそうなのだろう。

 壁の中で生きてきた、将来を約束されている領域守護者候補なら。


 これは、命を懸けるに足る戦いではないのだろう。

 でも。


「自分達の命なんて毎日懸けてた! 生きる為に最低限必要なことだった! 僕らが負けられないのは、家族の命が懸かっているからだ!」


 言えるものか。負けましたなどと、口が裂けても言えるものか。

 それが、家族を夜の闇へ押し戻すと知って、出来るものか。


「……そうか。なら、その意志を汲もう。棄権はしなくていい。敗北を、送ることとするよ」


 彼のロングソードが持ち上げられ、突きの構えから――放たれる。

 刺突。


 ヤクモの体に、痛みは無い。

 それもそうだ。


 刺さっていたのは、雪色夜切にだった。


「……な」


 だが、アサヒが折れた様子はない。

 これは――刀身の非実在化だ。見えるが、実体は無い状態。

 ネフレン戦でヤクモが使用した、武器の基本機能の一つ。


「君はこれを、クリソプレーズの首に振るっていたな。擬似的な死を経験させ、心から敗北を実感させた。上手だと思ったよ。だが、それは本来の使い方ではない」


 それもそうだろう。


 今や魔力防壁を展開しながらの魔法による遠距離戦闘が常識となっているが、遥か|偽紅鏡《グリマー》がまだ接続者と呼ばれていた頃にはまだ試行錯誤があった。


 そんな中、武器形態時の接続者を使用する者も多かったのだろう。

 だから、この機能がある。


 ヤクモも、十年の間で何度も利用した。


 非実在化で相手の体内に通し、そこから実在化させる。

 それによって、刃は対象の中に『在った』ことになる。


 魔力防壁は透過出来ないが、それでも充分だ。

 どれだけ固くても、中に何かが生じるという異常が起きれば傷はつく。


 雪色夜切にそれをやれば――半ばから断たれることになる。


 そして、痛覚を切るような魔力操作を行えないヤクモは、半身を裂かれる痛みに襲われることとなる。


「さようならヤクモ――申し訳ないとは、思わないよ。そんなことをすればきっと、君を侮辱することになってしまうから」


 非実在化が解かれる。


『兄さ――』


 刀が、折れた。

 真っ二つに、半ばから。


 神のような存在に上半身と下半身を掴まれ、力任せに引きちぎられたような――激痛。


「あああああああああああああああああああああ……ッ!!」


 本能の訴えかけるままに、叫号が吐き出される。

 魔力防壁が解除された。


 地面に倒れ込む。

 腕を前に出す余裕さえ無い。


「兄さん!」


 そんなヤクモを、受け止める者がいた。

 人に戻ったアサヒだ。

 痛みに悶えるヤクモを抱きしめ、彼女は苦しげに言う。


「……ごめんなさい」


 謝罪の言葉。

 その意味も分からず、ヤクモは痛みにもがき苦しむ。


「……意識が、飛ばないのか」


 トルマリンは予想外の出来事に驚くようにも、感嘆するようにも聞こえる声で呟いた。

 審判が勝敗を宣告しようとしたところで、トルマリンがそれを止めた。


「よせ。規定では、今の彼の状態を戦闘不能とは言わない筈だ」


 彼だって、勝ちたい筈なのに。負けられない理由があると言っていたのに。

 あぁ、そうか。本気なんだ。


 彼はとっくに本気で、ヤクモがそうなのも知っていて。


 自分の勝利は疑っていないから棄権を勧めて、だが友がまだ屈していないから、外野の判断で終わらせることも拒んだ。

 そして、待っている。


 立つのか、倒れたままなのか。ヤクモに委ねようとしている。

 自分の知っている、善良なトルマリンのままだ。


 理由があるだけで、最初からずっと。


 立たないと。

 立って、刃を。刃を、握って。それで、それで。


 それで……。

 それで……。

 どうやって――。



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