第32話◇相対
「準備はいいかい、アサヒ」
「えぇ、とうに完了しています」
選手入場口。後数歩進めばフィールドに出るという場所。
家族の未来が懸かった大会の予選、その第一試合だ。緊張しないわけがない。
だが、やはりアサヒは本調子には見えない。
それは、壁の内側に来てから折に触れて感じていたことだった。
やたらと回数が増えた不安そうな顔。魔法を搭載していないことへの劣等感。過去。
思いと言葉を尽くしても、彼女の心は完全には救われないようだった。
きっと、自分でどうにかしなければならない問題なのだろう。
ヤクモの視線に気づいた彼女が、明るく笑う。
「大丈夫ですよ。兄さんなら大丈夫」
「違うよアサヒ。
「……うへへ」
きゅっと、手を掴まれる。指の一本ずつを絡めるようにして、繋ぐ。
「行こう」
「はい」
進む。
外側から見るのと、内側に立つのとでは印象がまるっきり違う。
広大なフィールドだ。
「夜雲ちゃーん……! 朝陽ちゃーん……!」
大勢の声がする。
ヤクモ達をそう呼ぶのは家族くらいだが、此処にいる筈が――居た。
皆が観客席に居る。
見ると、近くにロードが居た。ひらひらと手を振っている。連れてきてくれたのか。
そして、皆がばさりと何かを広げた。
横断幕だ。
継ぎ接ぎだらけの布に、炭か何かで『頑張れ!!』と書かれている。
いびつで、汚くて、周囲の失笑を買っていた。
でも、そんなことはどうでもいい。
「あはは……いつの間に用意したんだろう」
「わたし達に来るなって言ったのは、作ってるのバレたくなかったからですね……まったく」
口々に声援を送るみんなを見て、改めて闘志を燃やす。
反対側の入り口から、トルマリンがやってくるのが見えた。
いつものような微笑は無い。
「今日はよろしくお願いします、トルマリン先輩」
彼の《
魔力防壁を矛としても使える領域守護者。
「あぁ……」
彼の表情は暗い。
観客席の家族に気づいたらしい。
言いにくそうな顔で、彼は口を開く。
「君たちの事情は知っている。これは、負けられない戦いなのだろう」
「はい。でも、もしそれを理由に同情なさってるなら、やめてください。僕らは与えられたいんじゃない。掴み取る為に此処へ来ているんです」
「分かっている。わたしはそこまで恥知らずではないよ。そうではなく、表明しておきたいんだ」
トルマリンは一瞬、マイカの方を見た。
すぐにこちらへ戻る。
「わたしは君たち兄妹を尊敬している。その在り方は敬服する他無いよ。友人としても好ましく思っているんだ。だがわたしが勝てば、君たちとそのご家族は再び暗闇へと戻ることになる」
「そうさせない為に、僕らは勝ちますよ」
「いいや、無理だ。無理なんだよ、ヤクモ。変えられない現実はある」
「言われなくても分かってる。けど、僕達にとってこれは変えられる現実だ」
ヤマト民族への差別は無くせない。アサヒが魔法を覚えることはない。ヤマト民族の魔力炉規格が急に開花することはない。夜は明けない。
――変えられない現実は、あるよ。
――分からないとでも思ったのか?
――変えられるチャンスを、もらったんだ。
――これは、変えられる現実なんだ。
ヤクモの思いを否定するように、トルマリンは断言する。
「万に一つも、可能性は無い」
「関係ない。たとえ億に一つだろうと、実現するだけです」
「感情論ではないよ、実現性について説いている」
はっきりとしない物言いに、ヤクモは苛立った。
「何が言いたいんですか? どうせ負けるから棄権しろとでも? だとしたら先輩、失礼ですが言わせてもらいますよ。――ふざけるな」
トルマリンは怒りもせず、俯いた。
「君たちを、傷つけたくないんだ」
それが、優しさなのは分かる。
だが、人の心を踏み躙る高みからの優しさだ。
彼のことはヤクモだって尊敬しているが、今この場での態度はあまりに不愉快だった。
こっちはとっくに本気なのだから、ただトルマリンにもそうあってほしい。
「知ったことじゃない」
「わたしにも負けられない理由がある。始まれば、手は抜けない」
「頼んでない」
「頼むよヤクモ。わたしは――」
「『我らは《皓き牙》、立ちはだかる敵がいれば噛み砕いて己が進む道を切り開く。それこそが、自身の誇りを示し、格を定める方法』なんじゃないんですか? あなたの言葉ですよ」
トルマリンは苦しげに目を閉じた。
そして、再びそれが開いた時、瞳の中から迷いは消えていた。
「そうだな。わたしとしたことが、こうして相対した以上は誰であろうと敵であるということを失念していた。謝罪するよ、ヤクモ、アサヒ。誓おう、全身全霊を以って戦いに臨むと」
「当たり前のことを言わないでください」
彼はもう何も言わなかった。
「アサヒ」
「はい、兄さん」
「イグナイト――
同調現象でヤクモの毛髪が純白に染まる。同色の刀が手に収まる。
「イグナイト――ムーングレイ・フロウ」
灰色を薄めたような色合いのロングソードが彼の手に収まる。
その切っ先はしかし、地面に向いていた。
「構えないんですか」
「見縊っているわけではないよ。むしろ逆だ。体を使わないことで、魔力操作に集中出来る。剣を持ち上げる労力さえ惜しんで、君たちと戦うということだ」
「……魔法を使うつもりが無いのか。それが驕りでなくなんなんですか」
彼は答えない。
今日の彼はどこかおかしい。
学内ランク
対
学内ランク四十位ヤクモ=トオミネ。
本名とは別の呼び名はランク保持者の特別性を高める為のもので、学舎側が用意するものだという。
名前負けしていれば浸透はしないことから、つけられた名が通称になってこそ真の実力者だと考える訓練生達は多い。
ヤクモ達は変則的に四十位へと至ったことで、まだ別名が決まっていなかった。
構わない。名前で戦うわけじゃないから。
審判の合図。
戦いが始まった。
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